日本のヒップホップ
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日本のヒップホップでは、日本におけるヒップホップの歴史や推移について述べる。
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[編集] 1980年代
- 1981年
- 1970年代後半にTBSラジオなどで放送されていたラジオ番組、スネークマンショーがこの年にリリースしたアルバム「スネークマンショー」に収録された『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』(小林克也・伊武雅刀)、及びコメディアンの山田邦子が発表した『邦子のかわい子ブリっ子~バスガイド編』などが『Walk This Way』や『フラッシュダンス』以前の、オーバーグラウンドに現れたラップ的な表現の一例と思われる。ただ、これらの作品がアメリカにおけるヒップホップシーンを標榜して制作されたかどうかは定かではない。
- 1982年
- 映画『フラッシュダンス』が日本で公開され、劇中のわずか数分にヒップホップ4大要素の一つとなるブレイクダンス、ロックスティデイクルー(Rock Steady Crew)がストリートダンスを披露した。ストリートで踊るシーンに使われているJimmy Caster Bunchの名曲『It's Just BE GUN』は世界的にミュージシャンからリスペクトされる。日本ではこれに影響された浜松のグループ「アップルパイオールスターズ」の大橋が早々とブレイクダンスを習得し、その後TOKYO B BOYSのCRAZY-A(現在B BOY PARK主催者)が日本におけるアンダーグラウンドのヒップホップを広めるべく活動を行っていた。
- 1983年
- 1984年
- 映画『ブレイクダンス』公開。この映画や『ワイルド・スタイル』により、ブレイクダンスが日本全国に一大ムーブメントとして広がる。CRAZY-A、TOKYO B BOYSが原点とする原宿ホコ天(歩行者天国)では当時、 ナオヤ(TokyoB Boys、ZOO)、DJ KRUSH、MURO、BEAT、阿部ちゃん、グッチG、ホリエハルキ、ヨウヘイなど、現在著名のDJ、ダンサー、ラッパーが活動を行っていた。また新宿や六本木ではオウジ、サム(TRF)、横浜ではFLOOR MASTERS、村山タカシが活動していた。まさに空前のブレイクダンスブームであり、ラップやDJよりも、「踊れること」が尊ばれた時代であった。
- そんな中、モンチ田中がテレビ番組などでDJプレイを紹介するなど、マスメディアにおけるDJ活動を活発化させていた他、風見しんごが歌った『涙のtake a chance』でブレイクダンスが採用されたことも特筆すべき事項である。
- この当時、B-FreshのMCベルとケークKらが自主制作レーベルにて日本のラップシーンの先駆けとなる活動を行っていた。メンバーの中にはDJ Krush、MURO、DJ BEATなど、現在の日本を代表するアーティストが在籍していたことでも知られている。同様に活躍していたチームにJAP MC'S (初代メンバーはCrazy-A、Keny(ホシナ)、Beat Master AZ(馬場)、KAZU(ZOO))などがある。
- 佐野元春が、渡米中に制作したアルバム『VISITORS』において、冒頭の「Complication Shakedown」を含む数曲でラップを取り入れ、当時の音楽業界に大きな衝撃を与えた。これは日本人ミュージシャン初のラップと言われており、現在の国内ラップミュージシャンからも、大いにリスペクトを受けている。
- 1985年
- ジョージ・ヒコが米国Tommy Boy Recordsから12インチをリリースしたほか、モンチ田中を中心としたDJグループ「M.I.D.」が結成されるなど、シーンの基礎的な部分がさらに成長を進めていった年であるといえよう。また、いとうせいこうがアルバム「業界くん物語」にてラップに挑戦した。この年にリリースされた吉幾三の「おら東京さ行くだ」を広義のラップに含むとする説もある。
- 1986年
- RUN-DMC がエアロスミスと共演した『Walk This Way』が全世界的なヒットを記録し、シーン全体に多大な影響を与えた。またPoppin Pete、Skeeter Rabbitが大阪に来日、大阪にもヒップホップシーンが形成していくきっかけを与えた。Popping Styleを伝授された愛弟子はワイルドチェリー、ユキ、シン兄弟、林田、オズ、テツなど。一方で東京では「HIPHOP」というクラブが渋谷にオープンし、DJ YUTAKAがレギュラーでプレイした。さらに、ラジオ番組「SCRATCH MIX」がFM横浜で始まるなど、多方面でシーンの広がりを垣間見ることが出来た年だと言える。これらとは別の動きとして、ビブラトーンズを解散した近田春夫がPresident BPMを結成し、12インチ『Masscommunication Breakdown』をリリース。近田の活動は後にビブラストーンとなって結実する。また、いとうせいこう&TINNIE PUNX名義のアルバム『建設的』がリリースされたのもこの年。収録曲の「東京ブロンクス」は今でも語り継がれる名曲である。
- 1987年
- ホコ天(原宿歩行者天国)では東京B-BOYSに代わり、ミスティックムーバーズ、B-ROCK CREW (チノ、コージ、百)等が活躍し、アフリカ・バンバータ来日ではステージ下でブレイクダンスバトルが繰り広げられた。一方、映画「星くず兄弟の伝説」でのコネクションを背景に高木完、藤原ヒロシがTINNIE PUNXを結成し、President BPMとのスプリット盤12インチをリリース。ECDがベスタクス主催のDJイベントにて優勝する。パブリック・エネミー等の多数のアーティストが来日。
- この時点で日本のヒップホップシーンには、すでに述べているようなストリートダンスシーンを背景に成長したアプローチと、いとうせいこう、近田春夫、高木完などの一派を中心としたオーバーグラウンドな視点からのアプローチの2つが存在したことは特筆すべきことであろう。
- 1988年
- インディーズレーベルMajor Forceが設立される。高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太などが参加していた。また、設立と同時にMajor Force主催のイベントDJ Underground Contestが開催される。優勝者はDJ Krush、特別賞はスチャダラパー。このイベントにはChappy、B-Fresh 3、DS455、Gaku(後にEAST ENDを結成)などが参加していた。
- 1989年
- ニュー・ジャック・スウィングというダンスが大流行する。これまでのブレイクダンスとは違い、ロジャーラビット、ランニングマン、ロボコップという名前がついたステップのダンスが日本全国に大流行し、この年、ダンス番組『DADA L.M.D』がスタート。初代メンバーはMr.T、タケダ、TACO、KAZU、ハルク、KAN、そして1990年代のニュースクールダンスをロサンゼルスから持ち帰り、毎週テレビで惜しみなく披露していたKAZU(STRUT)である。
- また、KAZUとJJAY Yが日本人として初めて「ソウル・トレイン」に参加、ジェフリーダニエルのバックダンサーを勤めた。彼らはZOOの初代メンバーであり、ニュースクールの先駆け的存在であった。その活動は「彼がいなければ現在のDJ KENBO、DJ WATARAIなどはいなかった」と言われるほどの存在感を示した。
- 一方、いとうせいこうがアルバム「MESS/AGE」をリリース。日本語によるオリジナルなラップや音楽スタイルがMCUやKOHEI JAPAN等、後に登場するアーティストに多大な影響を与えた。
[編集] 1990年代
90年代に頭角を表したのはMC仁義、Muro、B-Fresh、Rhymester、MELLOW YELLOWなど。ゴールデンや深夜放送枠にあったダンス番組は「Club DADA」、「Dance Dance Dace」(TRFのSAMとオウジがメイン)、「ダンス甲子園」などである。これらが注目され、LL ブラザーズやZOOが人気を得る。ZOOの「Choo Choo TRAIN」はJR東日本とのタイアップもあり全国ヒットとなったが、ファッションをいち早く日本に持ち込んだのも彼らである。ZOOファミリーでもあるBobyがNYの『A LIVE TV』のダンサーからNYファッションを持ち運んだ。ティンバーランド、ゲス、トミー・ヒルフィガー、DKNY、Polo Sportsなど、リアルタイムファッションを各雑誌が取り上げた。ZOO全盛期のメンバーは、Taco、Naoya、Mark、Satsuki、ルーク、Hiro(現在EXILE)、Cap、HIsami、Sae。
アンダーグラウンドのシーンでは、ブラックマンデーのYOU THE ROCK☆&DJ BEN、FUNKY GRAMMER UNITのRhymester、EAST END、MELLOW YELLOW、その他にも、A.K.I、キミドリ、DJ KRUSH、ECD、MURO などがいた。
『DA・YO・NE』(EAST END×YURI )、『今夜はブギー・バック』(スチャダラパーと小沢健二)、『Bomb A Head!』(m.c.A・T)の大ヒットが後押しする形で、1990年代半ば頃からJ-POPを聞いていた人たちにもラップミュージックが認知されるようになる。これらの動きはRIP SLYMEやKICK THE CAN CREW等の新しいスタイルを持ったユニット登場の端緒となっていった。
- 1990年
- MC仁義、童子-Tなどが所属していたZINGI主催のイベントYoung MC's In Townがスタート。またDJ Dog Holiday(須永辰緒)がインディーズレーベルRhythmを設立。このレーベルにはYOU THE ROCK☆&DJ BEN、Gas Boysなどが参加していた。またこの頃にスチャダラパーがクルーリトル・バード・ネイション(Little Bird Nation)を結成。tokyo no.1 soul set、脱線トリオ、かせきさいだぁ≡、四街道ネイチャー、SHAKKAZOMBIE、A.K.I. Production等のグループを登場させるきっかけを作る。一方、ニュー・ジャック・スウィングの申し子とも呼ばれたボビー・ブラウンが来日。
- 1991年
- スチャダラパーが『タワーリングナンセンス』でキューンソニー(現在のキューンレコード)より、高木完が『フルーツ・オブ・ザ・リズム』でEPICソニー(現在のエピックレコード)よりメジャーデビューを果たす。メジャー・フォースが一気にメジャーへ進出した。「ダンス甲子園」(天才・たけしの元気が出るテレビ!!)のスタートし、M.C.ハマーが来日。
- 1992年
- 当時JG'sに所属していたDJ HONDAが、DJ Battle World Supremacyにて準優勝を果たす。またMuro、Twigy、GoなどによりMICROPHONE PAGERが結成、それまで目立っていたオーバーグラウンド進出へのカウンタームーブとしての活動を始める。一方、ECDがファーストアルバム『ECD』をリリース。
- 1993年
- Run DMC、アイス・キューブなどといった大物アーティストが続々来日する一方で、ストリートシーンを中心にシーンが停滞した。4月、Rhymesterが『俺に言わせりゃ』でファイルレコードよりデビュー。同時期にFunky Grammer Unitの原型が立ち上がり、East End、Mellow Yellowなどが参加している。
- 1994年
- 12月、YOU THE ROCK☆東京FM『ユウ・ザ・ロックのヒップホップ・ナイト・フライト』が放送開始。イギリスでDJ Krushがヒップホップをインストゥルメンタルとして表現する前代未聞のムーブメントを起こす。この動きは後にトリップ・ホップのブームと結びつき、欧州を中心に高い評価を受ける。EAST END×YURI の『DA・YO・NE』、スチャダラパーと小沢健二『今夜はブギー・バック』がリリースされる。
- 1995年
- ブッダブランドがアメリカ合衆国から帰国。Lamp Eye、キングギドラ等がデビュー。日本で最も有名なクラシック「証言」がドロップされる。このころ活躍し始めたのは、Lamp Eye、YOU THE ROCK☆、G.K MARYAN、TWIGY、ZEEBRA、DEV-LARGEなど。
- 1996年
- ECD主催「さんピンCAMP」が日比谷公園にて行われる。約4000人の観客のうち80%は男性。アンダーグラウンドシーン活躍の彼らがおおいな舞台を見せつけ、成功をおさめ、今では伝説のライブとして語り継がれている。
- 1998年
- 日本人プロヒップホップダンサーENGIN#9が、世界のブレイクダンスチームの最高峰New York City Breakersの正式メンバーとしてメンバー入り。
- 同時期にTha Blue Herbの『STILLING STILL DREAMING』、Shing02の『緑黄色人種』がリリース。共にアンダーグラウンドのクラシックとして評価され、東京以外の、アンダーグラウンドと呼ばれる層が明確化。
- 1999年
- 10月、ZEEBRAとDJ KEN-BOによるTFM系全国27局ネットでのレギュラー番組「BEATS TO THE RHYME」が放送開始。Dragon Ashがサードアルバム「Viva La Revolution」をドロップ。Dragon Ashのラップミュージックの要素を多く取り入れた作品は、賛否はあれどメジャーシーンにおけるラップミュージックの立場をより強固にした。「Gratefule Days」で客演したZEEBRAのリリックの冒頭の一節は日本のヒップホップ史上最も有名なフレーズのひとつとして知られる。
[編集] 2000年代
2000年以降、名古屋のM.O.S.A.D.、北海道のTHA BLUE HERB、九州の餓鬼レンジャーなど地方勢のリリースが相次いだ。それぞれが地元愛にあふれた内容となっており、日本語ラップは東京だけのものではないということをアピールした。
- 2002年
- キングギドラが6年ぶりに再始動を宣言。ハードコアラップグループでは異例なヒット(復活後、アルバム「最新兵器」以外すべてトップテンチャート入り)を記録し、社会現象を巻き起こす。Def Jam Japanと契約を交わしたS-WORDの「KROSS OVA-斬-」も高い売り上げを見せた。同レーベルのDABOの「D.A.B.O」も確実にヒットを記録。DABOやS-WORDらNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDと深いかかわりのあるラップ・グループTHINK TANKがファースト・フル・アルバム「BLACK SMOKER」を発表。ダブやレゲエを散りこんだ音楽性、K-BOMBらの独特のヴォーカル・ワークにより、その異能集団ぶりをリスナーの心に刻み付けた。また、DJ KENTAROがアジア人初のDMC世界チャンピオンに輝き、その名を世界に知らしめる。
- 2003年
- EAST ENDが再始動。アルバム「Beginning of the Endless」はFG全参加による、マスターピースとなった。(その他CRAZY-A、童子-T等が参加)K DUB SHINEのATOMIC BOMB PRODUCTIONSが本格的に活動。
- この頃、アンダーグラウンドが活発化。東京のみならず、大阪、福岡からの雑誌blastのコーナーHOMEBREWER'Sから多くの優れたアーティストが紹介された。特に、後にKreva、Rhymesterとも共演する韻踏合組合、MSCが評価を決定したアルバムをリリースしている。この年はメジャーからのリリースがよくなかったと言われている。
- 2004年
- 伝説的ラップグループ「雷」が「KAMINARI-KAZOKU」として結成後、約10年にしてついにアルバムを制作。ミニ・アルバム(太巻きシングル)「大災害」、続いて、メジャー1stアルバム「330~more answer no question」をリリース。「大災害」にて5番目に収録されている「雷おこし」は4曲を1曲にしたという、世界的に見ても、今までに無い作品に仕上がっている。同年夏、黒い集団とも呼ばれる8MCのビッグユニットNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが再始動を果たし、キングギドラ同様、異例なヒットを叩き出す。また加藤ミリヤのシングル、「Never let go」の同メインの曲となる「夜空」のリミックスではブッダブランドの三人が参加し、これも大きな話題を呼んだ。
- K DUB SHINEの3rdアルバム「理由」収録曲「来たぜ」の歌詞をきっかけにインターネット上を通してDEV LARGEとのビーフ(罵倒)騒動が起きた。また、それぞれ配布された3曲(DEV LARGEの「ULTIMATE LOVE SONG」K DUB SHINEの「1 THREE SOME」DEV LARGEのアンサー「前略ケイダブ様」)は後にミックスCDなどでバージョン等を変えて収録されている。
- 2005年
- DEV LARGEがソロで"D.L"名義として本格的に活動を開始。ZEEBRA、SOSCなどで知られるレーベルFUTURE SHOCKが、都合により停止。童子-Tが、ATOMIC BOMB PRODUCTIONSから自立という形で円満退社。New York City BreakersのENGIN#9が日本に帰国。
- 現在の日本のシーンはメインストリームとアンダーグランドシーンが確実に分けられはじめ、転換期にさしかかっている。以前、アンダーなシーンで活躍していた人物達がメインストリームへと乗り換えていく動きが活発化した(RIP SLYMEやZEEBRAなど)。それに並行してアンダーグランドシーンでは、確実にスキルのあるラッパーが増え新たな動きを見せている。MSC、韻踏合組合、降神、Da.Me.Recordsなどがその一端を形成している。
- B-boy Park2003のMC Battleで優勝したMSCの漢が主催で、全国規模で行われたフリースタイル・バトル大会ULTIMATE MC BATTLEが開始。優勝はカルデラビスタ。後の大会の模様を収めたDVDが発売される。この大会をきっかけにアンダーグラウンドレベルでフリースタイルをするMCが急増する程の影響力を見せた。
- 2006年
[編集] 関連項目
[編集] 代表的なDJ
[編集] 代表的なMC
- DABO
- DEV LARGE
- GAKU-MC
- K DUB SHINE
- KM-MARKIT
- KREVA
- LITTLE
- Mummy-D
- RINO
- smallest
- TOKONA-X
- YOU THE ROCK☆
- TWIGY
- UZI
- VERVAL (m-flo)
- ZEEBRA
- いとうせいこう
- 宇多丸
- 高木完
[編集] 代表的なグループ
- BUDDHA BRAND
- Da.Me.Records
- Def Tech
- EAST END
- Heartsdales
- KAMINARI-KAZOKU.(雷)
- KICK THE CAN CREW
- LUNCH TIME SPEAX
- m-flo
- M.O.S.A.D.
- MELLOW YELLOW
- MIC BANK
- MICROPHONE PAGER
- MSC
- NITRO MICROPHONE UNDERGROUND
- RIP SLYME
- Rhymester
- SHAKKAZOMBIE
- Slash Spit Squadron
- SMRYTRPS
- TERIYAKI BOYZ
- THA BLUE HERB
- THINK TANK
- TINY PANX
- Untip
- キングギドラ
- シーモネーター&DJ TAKI-SHIT
- スチャダラパー
- 妄走族
- ラッパ我リヤ
- Romancrew
- CRAFT