廣田浩章
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廣田 浩章(ひろた ひろあき、1964年2月26日- )は元プロ野球選手(投手)。
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[編集] 来歴・人物
巨人時代の1989年、それまで抑え役だった鹿取義隆に代わって抑えで活躍したが、その後故障に苦しむ。1994年巨人を自由契約となり阪神の入団テストを受け合格も、王貞治監督に誘われダイエーと契約。故障が癒えず公式戦で登板機会が無いシーズンが続いたが、ヤクルト移籍後の1997年、野村克也監督のもと中継ぎとして見事復活し、リーグ優勝に貢献した。この年は廣田以外にも小早川毅彦、野中徹博といった他球団を自由契約となった選手が活躍し、野村再生工場がフル稼働した年でもあった。
現在は福岡ソフトバンクホークスの打撃投手を務めている。旧登録名は広田浩章。
在籍した4球団すべて自由契約となった珍しい選手である。(同様のケースで近鉄~日本ハム~阪神~ダイエーでプレーした柴田佳主也がいるが、こちらは4年連続自由契約。移籍はすべてテスト入団)
[編集] 略歴
- 出身地 山口県萩市
- 球歴 萩商業高 - NTT中国 - 巨人(1986年 - 1994年) - ダイエー(1995年 - 1996年) - ヤクルト(1997年 - 1999年) - 近鉄(2000年)
- ドラフト順位 2位
- 投/打 右投右打
- 身長・体重 174cm・76kg
[編集] 通算成績
- 342試合 29勝 19敗 30セーブ 防御率3.00
[編集] 背番号
- 28(巨人)
- 45(ダイエー)
- 14(ヤクルト)
- 51(近鉄)
- 105(ソフトバンク打撃投手)