年寄名跡
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年寄名跡(としよりみょうせき)とは、日本相撲協会の役員になったり、相撲部屋を作り弟子を養成するために必要な資格である。基本的に関取が十枚目(十両)以上の本場所を通算30場所(部屋を継承する場合は20場所)勤めることによって年寄名跡を取得する権利が発生する。
年寄制度について詳細は年寄を参照。
目次 |
[編集] 年寄名跡一覧(一代年寄を除く)
現在、105家の名跡が存在する。現在の襲名者は現役年寄一覧を参照。
- 浅香山(あさかやま)
- 朝日山(あさひやま)
- 安治川(あじがわ)
- 東関(あずまぜき)
- 荒磯(あらいそ)
- 荒汐(あらしお)
- 雷(いかずち)
- 伊勢ヶ濱(いせがはま)
- 伊勢ノ海(いせのうみ)
- 井筒(いづつ)
- 稲川(いながわ)
- 入間川(いるまがわ)
- 岩友(いわとも)
- 浦風(うらかぜ)
- 枝川(えだがわ)
- 追手風(おいてかぜ)
- 阿武松(おうのまつ)
- 大島(おおしま)
- 大嶽(おおたけ)
- 大鳴戸(おおなると)
- 大山(おおやま)
- 尾車(おぐるま)
- 押尾川(おしおがわ)
- 音羽山 (おとわやま)
- 尾上(おのえ)
- 小野川(おのがわ)
- 鏡山(かがみやま)
- 春日野(かすがの)
- 春日山(かすがやま)
- 片男波(かたおなみ)
- 勝ノ浦(かつのうら)
- 甲山(かぶとやま)
- 北陣(きたじん)
- 君ヶ濱(きみがはま)
- 木村瀬平(木瀬)(きむらせへい・きせ)
- 清見潟(きよみがた)
- 桐山(きりやま)
- 熊ヶ谷(くまがたに)
- 粂川(くめがわ)
- 九重(ここのえ)
- 境川(さかいがわ)
- 佐渡ヶ嶽(さどがたけ)
- 佐ノ山(さのやま)
- 式守秀五郎(式秀)(しきもりひでごろう・しきひで)
- 錣山(しころやま)
- 芝田山(しばたやま)
- 白玉(しらたま)
- 不知火(しらぬい)
- 陣幕(じんまく)
- 関ノ戸(せきのと)
- 千田川(せんだがわ)
- 高崎(たかさき)
- 高砂(たかさご)
- 高島(たかしま)
- 高田川(たかだがわ)
- 武隈(たけくま)
- 竹縄(たけなわ)
- 田子ノ浦(たごのうら)
- 立田川(たつたがわ)
- 立田山(たつたやま)
- 立浪(たつなみ)
- 立川(たてかわ)
- 楯山(たてやま)
- 谷川(たにがわ)
- 玉垣(たまがき)
- 玉ノ井(たまのい)
- 千賀ノ浦(ちがのうら)
- 出来山(できやま)
- 出羽海(でわのうみ)
- 時津風(ときつかぜ)
- 常盤山(ときわやま)
- 友綱(ともづな)
- 中川(なかがわ)
- 中立(なかだち)
- 中村(なかむら)
- 鳴戸(なると)
- 西岩(にしいわ)
- 錦島(にしきじま)
- 錦戸(にしきど)
- 二所ノ関(にしょのせき)
- 二十山(はたちやま)
- 八角(はっかく)
- 花籠(はなかご)
- 放駒(はなれごま)
- 浜風(はまかぜ)
- 秀ノ山(ひでのやま)
- 富士ヶ根(ふじがね)
- 藤島(ふじしま)
- 二子山(ふたごやま)
- 振分(ふりわけ)
- 間垣(まがき)
- 松ヶ根(まつがね)
- 待乳山(まつちやま)
- 陸奥(みちのく)
- 湊(みなと)
- 湊川(みなとがわ)
- 峰崎(みねざき)
- 三保ヶ関(みほがせき)
- 宮城野(みやぎの)
- 武蔵川(むさしがわ)
- 山科(やましな)
- 山響(やまひびき)
- 山分(やまわけ)
- 若藤(わかふじ)
- 若松(わかまつ)
[編集] 過去に存在した年寄名跡
[編集] 根岸治右衛門
戦前には、105の名跡の他、根岸治右衛門の名跡もあった。
これは、根岸流相撲字の家元としての名跡で代々根岸家が継承したが、1952年(昭和27年)に10代目(本名:根岸 眞太郎、1910年4月10日 - 2005年12月18日)が相撲協会へ名跡を返上した。その折の家元の要望で力士への譲渡は行われず、現在に至っている。
- 根岸治右衛門(ねぎし じえもん)
[編集] 木村庄之助
かつては年寄名跡であった。
- 木村庄之助(きむら しょうのすけ)
[編集] 式守伊之助
木村庄之助同様年寄名跡であった。 一時、年寄「永浜」を名乗った時もある。
- 式守伊之助(しきもり いのすけ)
[編集] 一代年寄
一代年寄とは、狭義的には功績著しかった横綱に一代限りに与えられる年寄名跡のことであり、広義的には横綱であれば受けることや返すことが自由であった時代の一代年寄、横綱または大関が引退した場合に期間限定(横綱5年間、大関3年間)名乗れる一代年寄を称する。なお、千代の富士貢は引退後一代年寄が正式に承認されたが本人が断り、年寄陣幕から九重を襲名している。
[編集] 現在の一代年寄
- 功績顕著
- 横綱5年間
- 武蔵丸光洋(2008年11月15日まで)
[編集] 過去の一代年寄
- 功績顕著
- 大鵬幸喜(たいほう)
- 横綱5年間
- 曙太郎(あけぼの)→2003年11月退職、現在は格闘家・プロレスラーとして活動
- 朝潮太郎 (あさしお)→13代振分を襲名(5代高砂に名跡変更)
- 旭富士正也(あさひふじ)→4代安治川を襲名
- 大乃国康(おおのくに)→12代芝田山を襲名
- 栃ノ海晃嘉(とちのうみ)→9代中立を襲名(10代春日野を経て18代竹縄に名跡変更)
- 北勝海信芳 (ほくとうみ)→8代八角を襲名
- 若乃花幹士_(2代)(わかのはな)→18代間垣を襲名
- 自由時代
- 梅ヶ谷藤太郎 (初代)(うめがたに)→10代雷を襲名
- 鏡里喜代治(かがみさと)→10代粂川を襲名(13代立田川、13代時津風、13代立田川を経て10代二十山に名跡変更)
- 鬼面山谷五郎 (初代)(きめんざん)→1871年7月死去
- 千代の山雅信(ちよのやま)→11代九重を襲名
- 羽黒山政司(はぐろやま)→二枚鑑札で5代立浪を襲名
- 双葉山定次(ふたばやま)→12代時津風を襲名
- 男女ノ川登三(みなのがわ)→1945年6月廃業
- 吉葉山潤之輔(よしばやま)→8代宮城野を襲名して年寄専務
[編集] 準年寄
準年寄とは、年寄名跡所持資格がありながら年寄名跡を取得することができず、しかし親方として協会に残りたい人のために新設された制度で現役名のまま1年間(制度発足時は2年間)平年寄として協会に残ることができる。定員は5名。2006年11月現在は4名が準年寄として協会に残っている。また、準年寄は在籍期限満了直前に年寄名跡を借りて協会に残ることが多く、任期満了で退職した力士は僅か2名のみである。
[編集] 現在の準年寄
[編集] 過去の準年寄
- 三杉里公似(みすぎさと)→17代浜風を襲名(2006年11月26日付けで退職)
- 小城乃花昭和(おぎのはな)→14代高崎を襲名
- 久島海啓太(くしまうみ)→14代田子ノ浦を襲名
- 旭豊耐治(あさひゆたか)→7代立浪を襲名
- 大翔鳳昌巳(だいしょうほう)→在職中の1999年12月4日、膵臓癌のため死去
- 時津洋宏典(ときつなだ)→2001年9月23日任期満了で退職、現在は料理店経営の傍らタレントとしても活動
- 巌雄謙治(がんゆう)→22代小野川を襲名
- 琴錦功宗(ことにしき)→13代若松を襲名(19代竹縄に名跡変更)
- 敷島勝盛(しきしま)→15代立田川を襲名(8代富士ヶ根を経て15代錦島に名跡変更)
- 智乃花伸哉(とものはな)→11代浅香山を襲名(18代玉垣に名跡変更)
- 朝乃翔一(あさのしょう)→14代若松を襲名(17代佐ノ山を経て14代関ノ戸に名跡変更)
- 大至伸行(だいし)→2003年6月18日退職、現在は歌手・タレントとして活動
- 若ノ城宗彦(わかのじょう)→8代西岩を襲名
- 大碇剛(おおいかり)→10代甲山を襲名
- 琴龍宏央(ことりゅう)→2006年4月30日任期満了で退職、家業継承の予定
- 燁司大司(ようつかさ)→14代二十山を襲名
- 五城楼昭二(ごじょうろう)→18代浜風を襲名
[編集] 大阪相撲の年寄名跡
大正末年まで存在した大坂相撲では、東京の年寄にあたる地位を頭取(とうどり)と呼んだ。力士経験者が襲名するのが原則であったが、時には侠客が襲名することもあったという。1927年の東西合同に際して、いくつかの名跡が廃家となった。その中で、1943年に復活した名跡もある。
- 東西合同時の大阪名跡
- 荒岩(一代年寄・1929年限りで廃家)
- 朝日山
- 猪名川(東西合同時に廃家・1943年に安治川と改名して復活)
- 岩友
- 枝川
- 藤島(東西合同時に廃家・1943年に大島と改名して復活)
- 大鳴戸
- 押尾川
- 小野川
- 鏡山(1929年限りで廃家)
- 北陣(東西合同時に廃家・1943年に復活)
- 不知火(東西合同時に廃家・1943年に復活)
- 陣幕
- 千田川
- 高崎
- 高田川
- 竹縄
- 時津風
- 中村
- 西岩(東西合同時に廃家・1943年に復活)
- 湊
- 三保ヶ関