五城楼勝洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五城楼勝洋(ごじょうろう かつひろ、本名:小島章朋(こじま あきとも)、1973年8月18日 - )は、仙台市青葉区出身で間垣部屋所属の元大相撲力士。身長191cm、体重156kg。得意技は左四つからの寄りだが、突き押しも力がある。最高位は東前頭3枚目(1998年7月場所)。趣味は釣りとパソコン。現在は年寄浜風(はまかぜ)。
目次 |
[編集] 来歴
東北高等学校時代は剣道と柔道をしており共に有段だったが、間垣親方(元横綱若乃花)からの誘いを受け高校を中退して角界入りした。1989年11月場所で初土俵。相撲経験はなかったが、長身の恵まれた体格で早くから期待され、入門から13場所で幕下に昇進した。怪我もあり一時は序二段まで陥落したこともあったが直に幕下に復帰し、格の違いを見せ付けた。
1995年5月場所には東幕下4枚目の地位で6勝1敗の好成績を残し、翌7月場所に十両に昇進した。十両でも安定した成績を残し、1997年3月場所に新入幕を果たした。1998年7月場所には最高位の東前頭3枚目まで番付を上げたが、三役昇進はならなかった。大胸筋の肉離れの影響もあり3度の休場を余儀なくされ、2000年11月場所には幕下に陥落し、一時は幕下中位まで番付を落とし引退を覚悟していたが、2001年7月場所に幕下優勝を果たすと翌9月場所も勝ち越し、11月場所には十両に復帰した。
1度は幕下に陥落したものの、2002年9月場所には21場所振りに再入幕を果たし、西前頭4枚目まで番付を戻し再び幕内に定着した。しかしここでも、右膝の故障もあり2003年7月場所を最後に十両に陥落。復調しかけていた2004年11月場所、西十両2枚目で9勝6敗と勝ち越し再入幕が確実視された。しかし東十両筆頭で8勝7敗と星の上では下回っていた豊ノ島が幕内に昇進し、五城楼の入幕は見送られた。
これに気落ちしたのか翌場所は4勝2敗から9連敗で負け越し。(ちなみにこの場所再入幕を果たした力士のうち栃栄、春ノ山は全休した。)さらに2005年5月場所に十両の土俵で再び右膝を痛め途中休場。再出場したが本来の相撲がまったく取れず再び途中休場した。翌7月場所は東幕下4枚目に陥落。強行出場したが、膝の怪我を悪化させて途中休場した。翌9月場所も西幕下15枚目で全休し、西幕下55枚目まで陥落した11月場所も初日から休場を余儀なくされた。
幕下下位に陥落したこともあり、2005年11月場所5日目に引退届を提出。怪我に悩まされ続けた現役生活だった。準年寄・五城楼を襲名。2006年9月2日には東京都江東区のホテルで断髪式を行った。同年11月場所千秋楽に同じ間垣部屋付きの浜風親方の退職に伴い、年寄・浜風を襲名した。
[編集] エピソード
1995年5月場所の番付で、本来ならば五城楼と書かれるはずであったが「五城桜」と四股名を誤記されてしまった。本場所では本来の四股名である五城楼として出場。序盤から成績が好調で6勝1敗と大きく勝ち越し、十両昇進を決めた。
[編集] 1場所2度の反則負け
2003年11月場所、前の場所怪我のため全休した五城楼はその場所の4日目の取組で黒海を叩きこんだ時に指がマゲに入って反則負け、さらにその2日後の6日目の取組で潮丸をまたまた叩きこんだ時に指がマゲに入って反則負けとなった。「1場所に2度の反則負け」は史上初の珍事であった。
[編集] 2日連続の不戦敗
2005年5月場所7日目、琴春日との取組で、土俵際突き落とされた際に右膝を痛めた。この一番に物言いが付き、五城楼の右膝が落ちるのと、琴春日の左肘が付くのが同時とみて取り直しとなった。しかし五城楼は立ち上がれず、押尾川審判長が五城楼の棄権の意思と琴春日の出場の意思を確認、琴春日の不戦勝となった。膝を痛めた五城楼は、翌日は出る予定として休場届をすぐに出さなかったため割が組まれたが、やはり痛みが引かず(後に靱帯断裂と判明)、翌8日目春ノ山戦も不戦敗となり、2日連続の不戦敗となった。
2日連続の不戦敗は1989年9月場所の富士乃真以来16年ぶりだが、このようなケースでとなると1948年秋場所の前田山(対力道山)以来、57年ぶりのことであった。その後10日目から再出場したが、まったく相撲らしい相撲が取れず、見かねた師匠の間垣が12日目の取組後に休場届を提出し、再び休場した。この場所は3勝8敗4休(うち不戦敗2)であった。なお引退につながったこの怪我はマスコミにより「珍事」として扱われた。
[編集] 生涯成績
- 通算成績:504勝446敗139休(97場所)
- 幕内成績:113勝135敗7休(17場所)
[編集] 各段優勝
- 幕下優勝:2回(2001年7月場所、2002年3月場所)
- 三段目優勝:1回(1992年3月場所)
- 序二段優勝:1回(1993年11月場所)
[編集] 改名歴
- 小島 章朋(こじま あきとも)1989年11月場所
- 若小島 章朋(わかこじま -)1990年1月場所
- 若仙竜 章朋(わかせんりゅう -)1990年3月場所-1991年7月場所
- 若展竜 章朋(わかてんりゅう -)1991年9月場所-1993年9月場所
- 五城楼 章朋(ごじょうろう -)1993年11月場所-2000年3月場所
- 五城楼 勝洋(- かつひろ)2000年5月場所-2005年11月場所
(五城楼の名は、仙台城(青葉城)が唐の韓翅の漢詩『同題仙遊観』の冒頭「仙台初見五城楼」から名付けられたことに由来する。)
[編集] 年寄変遷
- 五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ)2005年11月-2006年3月〔準年寄〕
- 五城楼 昭二(-しょうじ)2006年3月-2006年11月
- 浜風 昭二(はまかぜ-)2006年11月-
[編集] 外部リンク
- ガチンコフィッシングクラブ - 現役時代に公式サイトを開設し、趣味の釣りの成果を載せたり、掲示板でファンと交流を図った。現在は閉鎖中。