岡崎トミ子
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生年月日 | 昭和19年(1944年)2月16日 |
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出生地 | 福島県福島市 |
出身校 | 福島県立福島女子高等学校卒業 |
学位・資格 | ‐ |
前職・院外役職(現在) | 衆議院議員 アナウンサー |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
参・環境委員会理事 参・行政監視委員会委員 参・郵政民営化特別委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
宮城選挙区 |
当選回数 | 2回(衆2回) |
所属党派(現在) | 民主党(横路グループ) |
党役職(現在) | 「次の内閣」環境副大臣 文化団体局次長 国際局副局長 |
会館部屋番号 | 参・議員会館314号室 |
ウェブサイト | 参議院議員 岡崎トミ子のホームページ |
岡崎トミ子(おかざき とみこ、昭和19年(1944年)2月16日 ‐ )は、昭和・平成期における日本のアナウンサー、政治家。参議院議員(2期)。元衆議院議員(2期)。
概要
- 福島県福島市出身。
- 昭和37年(1962年)福島県立福島女子高等学校(現在の福島県立橘高等学校)を卒業する。同年ラジオ福島に入社しアナウンサーとなる。昭和42年(1967年)東北放送に移り、アナウンサーとして「希望音楽会」、「子ども音楽コンクール」、「歌のない歌謡曲」、「クイズ宮城東西南北」などの教養、娯楽番組や毎年8月15日前後の反戦平和をテーマとした特別番組を担当した。また東北放送では同社労働組合の副委員長を務めている。
- 平成2年(1990年)第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城1区から立候補し当選する。当選回数2回。平成6年(1994年)村山内閣で文部政務次官に就任する。平成8年(1996年)社会民主党に参加するが、同年9月鳩山由紀夫、菅直人、横路孝弘らに誘われる形で、民主党結成の呼びかけ人となり、副代表に就任する。しかし、民主党結成直後の第41回衆議院議員総選挙では落選する。
- 平成9年(1997年)宮城県知事選挙に自民党参議院議員の市川一朗が立候補したことに伴う補欠選挙に立候補、当選した。
- 2001年7月の参議院選挙宮城県選挙区(改選数2)で再選を果たした。
- 平成13年(2001年)韓国への海外視察の際、元従軍慰安婦の日本大使館に対する抗議行動に顔を出し応援のコメントをしたことについて、産經新聞は「国費を利用しての反日デモ参加」と報道した。日本の保守勢力の一部からは国会議員としての見識を疑われると批判された。
- 平成13年(2001年)岡崎の政治団体が01年7月の参院選の際、政治資金規正法で禁止されている外国人からの寄付として、朝鮮学校を運営する朝鮮籍の理事長と、パチンコ店を経営する韓国籍の会社社長からそれぞれ2万円の寄附を受けたことがわかった。
- 平成16年(2004年)9月 党副代表就任
- 平成16年(2004年)12月3日 第二次世界大戦中に「従軍慰安婦」であったとされる韓国人女性らを細田博之官房長官と面会させる。日本の閣僚が「『従軍慰安婦』として旧日本軍に強制連行された」と主張する女性と公式に面会したのは初。
- ※ただし、「慰安婦」の「強制性」自体がそもそも証明されていない上に、同議員が連れてきた韓国人女性(当時75)とフィリピン人女性(当時74)が「慰安婦とされた」年齢は14~15歳(戦線の状況からいえば12~13歳)という計算になり、彼女らの主張には疑問も多い。
関連項目
外部リンク
- 参議院議員 岡崎トミ子のホームページ(公式サイト)
- 民主党宮城県総支部連合会