山本徳郁
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基本情報 | |
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本名 | 山本徳郁 |
あだ名 | KID 神の子 |
階級 | ライト級 |
国籍 | 日本国 |
誕生日 | 1977年3月15日 |
出身地 | 日本国、神奈川県、川崎市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | レスリング |
プロ総合格闘技戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
一本勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
山本"KID"徳郁(やまもと"キッド"のりふみ、本名:山本徳郁、1977年3月15日 - )は、日本の総合格闘家。通称KID。神奈川県川崎市出身。身長163cm、血液型はB型。桐蔭学園高校中退~アメリカ留学~山梨学院大学中退。 ニックネームは自身の発言「格闘の神様の子供、俺は。神の子。」より「神の子」。「KID」というのは中学生時代のあだ名らしい。若い格闘ファンや女性ファンからカリスマ的人気を持つ反面、行き過ぎた言動が反感を買うことも多い。2005年大晦日の須藤元気戦で勝利した直後「よくやった!お前らよくやった!」と須藤、そのセコンドの頭をなでた行為などが批判を受けた。
経歴
ミュンヘン五輪代表だった山本郁栄を父に持ち、姉・美憂、妹・聖子は世界レスリング選手権大会を制覇している。自身も幼い頃よりアマチュアレスリング(フリースタイル)で活躍。全日本学生選手権優勝(フリースタイル58kg級)、 全日本選手権2位(同級)等の実績を残す。また祖父は水泳のオリンピック選手だったと自身のブログで写真付き(そっくり)で公開している。
後に総合格闘家に転向。姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級で優勝。翌年プロデビューし修斗のリングで活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。
2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦においてレフリーストップがかかったにもかかわらずレフリーの制止を無視し相手の勝田哲夫選手を殴り続ける暴挙を働いたため120日間のライセンス停止処分を受ける。
2004年よりK-1ミドル級に転向。デビュー戦で不慣れなK-1ルールにもかかわらず村濱武洋をKO。その後トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、大晦日のK-1 Dynamite!で対戦。互いにダウンを奪い合う激闘を繰り広げたが惜しくも敗れる。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005 ~世界一決定トーナメント開幕戦~にスーパーファイトで出場。しかしマイク・ザンビディスに生涯初のKO負けを喫した。2ヵ月後の7月6日、HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメントにてメーンでイアン・シャファーと対戦し、KO勝利。その後トーナメント準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一発でKO、準決勝で宇野薫にもパンチで出血TKO勝ち。2005年大晦日に大阪ドームのK-1 Dynamite!2005にて須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ち。HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。
2006年2月17日、セコンドについた修斗代々木大会において選手を治療中の中山健児リングドクターに対し暴言を吐いた上、暴力行為を行う。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表をつとめるKILLER BEE所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した。
2006年5月3日のHERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始直後の跳び膝蹴りで1RKO勝ち。試合時間はわずか4秒だった。
2006年7月23日、アマチュアレスリング選手として北京オリンピック(2008年)出場を目指すことを宣言。格闘家活動を一時休止する(ただし、K-1 Dynamite!2006には出場するとしている)。
2006年8月3日、自身のブログ内において、亀田興毅が世界王座を奪取したことについて「自分ならベルトを対戦相手に渡す」と書くが、その日のうちに消されて内容が改変される。