寿町 (横浜市)
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寿町(ことぶきちょう)とは、神奈川県横浜市中区に所在する町名である。1丁目~4丁目からなる。面積は0.070km²、人口は3449人、うち外国人は503人である。(平成12年度)
これ以外にも住民登録をしていない人が多数居住しており、実際には約6300人の人々が生活していると言われている。また、寿町を中心とし、周囲の扇町や松影町を含む約600平方メートルほどの地域を指して寿地区と呼ぶこともある。JR根岸線関内駅・石川町駅、横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町駅が徒歩圏内にあり、交通の便は非常にいい。
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[編集] 概要
寿地区は、首都高、根岸線を挟んで関内の反対側に位置し、日雇労働者が宿泊するための「ドヤ」という簡易宿泊所が100軒以上立ち並び、「ドヤ街」と呼ばれる地区である。(ドヤ街は、日雇労働者の就労場所と合わせて寄せ場とも呼ばれる)寿地区は、東京都の山谷、大阪市のあいりん地区と並ぶ三大寄せ場の一つとされる。
寿地区周辺は、第二次世界大戦後1955年までアメリカ軍によって接収されていた。接収終了後、横浜港の港湾労働に携わる日雇労働者が野毛周辺や水上ホテルといった宿泊施設から、寿地区に新たに建設され始めた簡易宿泊所に大挙移動し、まもなくドヤ街が形成された。
[編集] ヨコハマ・ホステル・ヴィレッジ
2005年6月に、今まで「ドヤ街」という雰囲気を払拭し、地域の活性化を図るために「YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE」という計画が始動した。スローガンは「寿町「ドヤ」から「ヤド」ヘ 」。この計画は、簡易宿泊所が多くある当地域を活かして、簡易宿泊所を改装・改良し、バックパッカーなど、短期滞在者を多く呼ぼうと言うものである。[1] 観光地にも近く、普通のホテルよりも安いため、評判はまずまずの様である。
[編集] 歴史
- 1667年 - 吉田勘兵衛が海を埋め立て、「吉田新田」が完成する。当時の謡曲に因み、「寿町」・「扇町」・「翁町」・「松影町」・「不老町」などの町名が付けられる。
- 1818年 - 「横浜新田」完成。
- 1853年 - 「太田屋新田」完成。
- 1859年 - 横浜港が開港する。生糸や材木などの市が並び賑わう。
- 1945年5月29日 - 第二次世界大戦中の横浜大空襲。米軍による無差別爆撃により、一帯が焼け野原となる。
- 1945年9月2日 - 終戦。米軍に接収され、所謂「かまぼこ兵舎」が建てられる。
- 1950年 - 朝鮮戦争勃発。米軍の軍需輸送が増し、横浜港近くの当地域に労働者が集まって来る。
- 1955年 - 米軍の接収が解除される。
- 1956年 - 最初の簡易宿泊所「ことぶき荘」(現:豊荘)が開業。
- 桜木町から職業安定所と寄せ場が移転してくる。(寄せ場とは日雇労働者が働く場所)
- 1963年 - 簡易宿泊所の数が80軒を超える。
- 1973年 - 簡易宿泊所の数が89軒になる。
- 1983年 - 横浜浮浪者襲撃殺人事件発生。以来、木曜パトロールの会が見回りを開始。
- 1993年 - 寿支援者交流会設立。
- 1998年 - Japan Aggressive Rock Associate !!(JARA!!)が職安前で「寿町フリーコンサート」を開催。(これ以来毎年開催)
- 2005年 - 簡易宿泊所の空室を改装し、旅行者を受け入れる、「ヨコハマ・ホステル・ビレッジ計画」が始まる。(Funnybee株式会社による)
[編集] 施設
- 横浜家庭裁判所
- 横浜公共職業安定所横浜港労働出張所日雇専門
- 神奈川県社会文化会館
- 労働福祉会館
- 労働福祉センター幼稚園
- さなぎの家(NPOさなぎ達による)
- かながわ労働プラザ
- 多目的ホール
- 音楽スタジオ
- 日本パブテスト横浜教会
- 日本基督教団 寿地区センター
- 中村川
- 寿町公園
- 扇町公園
- 吉浜町公園(石川町)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 財団法人 寿町勤労者福祉協会
- 寿支援者交流会
- 寿インフォメーション
- カラバオの会
- ヨコハマホステルヴィレッジ
- Japan Aggressive Rock Associate !!
- ようこそ!寿へ(個人サイト)
- Kotobuki Information (個人サイト)
- 横浜の暗所(個人サイト)
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