あいりん地区
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あいりん地区(愛隣地区)は、大阪府大阪市西成区萩之茶屋周辺のJR大阪環状線・新今宮駅より南に位置する西日本最大のドヤ街・寄せ場(日雇労働者の就労する場所)となっている地区の愛称。あいりん地区という名称は、1966年5月に国や自治体、報道機関の統一名称となった。現場の労働者や近隣住人には「釜ヶ崎(かまがさき)」という通称が定着している。名前の由来は多々あるが、日雇労働者への配給を作るために釜で炊き出しをするため「釜ヶ崎」という名前が生まれたという説が一般に知られている。もちろんこれは俗説であり、日雇労働者の寄り場がこの地区に形成される以前の明治期から釜ヶ崎(西成郡今宮村釜ヶ崎)という呼称はあった。
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[編集] 地理
JR大阪環状線・新今宮駅と大阪市営地下鉄御堂筋線・堺筋線動物園前駅より南の地区、阪堺電気軌道阪堺線・南霞町駅と今池駅間と南海本線・南海高野線・新今宮駅と萩ノ茶屋駅間の一帯が通称釜ヶ崎と呼ばれる。釜ヶ崎は1900年に町名変更される前の地名であり、現在でも続く俗称である。現在、広義では大阪市西成区花園北一・二丁目、萩之茶屋一・二丁目・三丁目、太子一・二丁目、天下茶屋北一丁目、山王一・二丁目・三丁目の三角地形とその周辺 (地図参照1)(地図参照2)に該当する地域のことを指す。狭義では、南海本線と阪堺電気軌道の高架線路同士の中間地域あるいは、単に、山王一・二丁目・三丁目と太子一・二丁目を指す。
[編集] 概要
あいりん地区には、路上生活者が数多く居住し(大阪市内の路上生活者は約6,600人)、約20haの面積に3万人の人口があると言われる。しかし、この地域は住所不定の日雇労働者が多いため、人口統計は国勢調査でもはっきりつかめていない。
あいりん地区の周りは、かなり整備されており、JR新今宮駅の北は通天閣・フェスティバルゲート・スパワールドが立ち並ぶ観光地的な町並であるが、南のあいりん地区では路上生活者が昼間から寝ていたり、日雇労働者向けの簡易宿泊所(ドヤ)が密集しているなどしている。
頻繁にNPO団体や宗教団体などによって食事の配給などが行われている。そのため公園には人が列を作って並ぶことがある。
覚醒剤や拳銃などの違法物が日常的に取引されている他、ノミ行為を行う店舗が白昼に営業している。西成警察署から目と鼻の先の国道沿いには延々と不法駐車がなされているが、取締りが意味をなさないので放置状態である。これについては、2006年6月から駐車違反の取締りの民間委託があるため、改善されることが期待されている(タクシーに乗ると、タクシードライバーが西成警察署まで行くことを躊躇するため、困惑している区民も数多い)。
近くに色街としての性格が残る元遊郭だった飛田新地がある。また天王寺動物園、新世界(スパワールドや通天閣など)も近いことから、観光客も多い。西成警察署はこの地区にあり、行政や警察主導による再開発などの改善が待たれている。
また、西成労働福祉センターの2004年度の就労斡旋数は、前年度比18.4%増の1日平均3544人にのぼり、景気回復の影響で2005年度はさらに増える見込みで、バブル以前の1983年度の水準に回復しつつある。しかし、仕事の増加に反し、あいりん地区の日雇い労働者は年々減っている。2005年度、あいりん労働公共職業安定所発行の手帳(雇用保険日雇労働被保険者手帳:通称「白手帳」)を持つ人の数は、前年度比約12%減の約6500人と、最盛期の1986年度の約4分の1にまで減っている。原因は、常勤の仕事が見つかったわけではなく、高齢により労働者でなくなったためである。新たに日雇い労働者になる人の平均年齢は49.2歳で、労働者全体の平均年齢も54.5歳と労働者の高齢化が進んでいる。高齢者は労災が増えるため業者が嫌がり、日雇い労働市場から取り残されつつあるのが現状である。
[編集] 第一次暴動以降
第一次暴動とは、1961年8月1日に釜ヶ崎の日雇労働者の老人が交通事故に遭い、通報で現場に駆けつけた西成署員が即死と断定し、派出所前の歩道に遺体を放置したまま20分も現場検証を続け、その後近くの病院に収容したことに対し、周りの労働者が警察の措置に抗議し暴動に発展し、負傷者を多く出した事件のこと。
労働者は西成警察署を包囲し、パトカーや付近に駐車していた車を横倒しにしたり、アパートに放火したりするなどと現場は騒然となった。これに対し大阪府警は警官隊を6000人に増員し応戦。暴徒を警棒と警備車によって鎮圧した際、負傷者を出す事態となった。この結果、2000人に上る労働者の暴動は2日間続き、28人を逮捕、労働者数10人、警察官約100人が負傷した。
この事件は、当時の国会や大阪府や大阪市議会でも取り上げられ、それに基づき医療費を自治体が負担するなど対策が実施されたが、その後も暴動は幾度となく続いた。そのため、地域の印象向上のため、1966年5月、大阪市・大阪府・大阪府警による「三者連絡協議会」において、釜ケ崎地区の名称を「あいりん地区」とすることが決められ、以後、国や自治体、報道機関ではあいりん地区の名称が用いられている。ただし、近年、大阪市、大阪府の行政用語としては、「地区」という語句を用いず、「あいりん」または「あいりん地域」として表記されていることが多い。
1973年の第21次暴動より約17年間の空白期があったが、1990年10月、第22次暴動が起こった。労働者のみならず騒動を知って地区外より集った青少年層も取り込んで拡大し、阪堺線南霞町駅の炎上や近隣店舗の破壊などの末、沈静化に数日を要した。
1992年10月の第23次暴動以降、大規模な騒動は十年以上発生していない。ただし2004年12月に大阪市西成区のあいりん地区にある労働者の支援団体を名乗る「釜ケ崎地域合同労働組合」が3日夕、大阪府警西成署前で「警官が労働者に暴行を加えた」として抗議した。同署前には約250人の労働者が詰め掛け、100人以上の警察官らが付近の警戒に当たるなど騒然となった。
[編集] 年中行事
4月30日釜ヶ崎メーデー前夜祭
5月1日釜ヶ崎メーデー
8月12日釜ヶ崎夏祭り前夜祭
8月13日~15日釜ヶ崎夏祭り
[編集] その他
- 最近は、インターネットの普及もあり、周辺のビジネスホテルがその格安感(1泊2,000円位)から外国人など若い旅行者に人気がある。
- 阪堺電気軌道阪堺線の南霞町駅は、この地区で起こった暴動が原因となって北に移転した。(1992年10月)
[編集] 関連項目
- 山谷 (東京都)
- 寿町 (横浜市)
- 乞食谷戸
- 簡易宿泊所
- スラム
- 九龍城砦(香港)
- がめつい奴(1960年公開の映画)
- じゃりン子チエ(萩之茶屋付近が舞台の漫画)
- 黒岩重吾
- ありむら潜
- あたりや大将(釜ヶ崎が舞台の映画)