宮中伯
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宮中伯とはドイツ語で「ファルツ伯(プファルツ伯)」(Pfalzgraf)と呼ばれ、神聖ローマ帝国における「宮廷の書記」という意味であり、今日では「大臣」に相当するものと解釈される。帝領伯、王領伯、王領地伯とも訳される。
いわば神聖ローマ皇帝の側近で、通常は宮廷に10人前後の宮中伯がおり、それぞれ担当する部署において政務を処理した。しかし、やがて地方において諸侯が台頭し、帝国が分裂状態になると、皇帝により諸侯を監視、あるいは諸侯の力を抑えるために各地に宮中伯が派遣されるが、その殆どが諸侯との争いの中で没落した。
唯一、ライン宮中伯だけは任地のライン地方に土着し、自ら諸侯化することで存続した。そのため、「ファルツ伯」というと固有名詞的にライン宮中伯を指すようになった。1356年の「金印勅書」によってライン宮中伯は選帝侯となったため、「ファルツ選帝侯」と通称される。