女系
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女系 (じょけい)とは、血統の根拠を女親(母方)の血統に求めること、また求めた者を指す。反対語は男系(だんけい)という。また生物学的な分野においては母系を使い、古代に多かった女系優先の社会は母系制という。
[編集] 女系継承
中華文明圏においては、宗族の概念があるため男系継承が主流だった。日本では、実質的な女系継承として婿養子、入婿の制度があったが、これも論理的には養子関係を結ぶことにより息子として継承するという形式を取っている。また、女系の親族が養子となって継承することもあった。
また日本での天皇の皇位継承においては女性天皇は現れたが、女系天皇は現れていない。全て男系である。また「皇室典範」によっても「男系の男子」に皇位継承を限定している。
一方、ヨーロッパの王侯貴族では血統を重視したため女系継承は比較的良く行われた。キリスト教の影響により嫡子にしか相続権がなかったため、当主に男子の跡継ぎがいないことが多かったためでもある。
中世においては当主に男子がいない場合、女子が夫を迎えて共同で相続する(これは日本の婿養子と似ているが、子孫は夫の家名を名乗る点で異なっている。)ことは普通に行われ、この仕組みによりアンジュー帝国やハプスブルク帝国、ブルゴーニュ公国、スペイン王国などが形成された。ヨーロッパの王朝交替は多くが女系継承によるものである。
しかし、傍系の男子との継承争いが起こることも多く、また女系を考慮すると相続順位が複雑になるため混乱が生じることもあった。
フランク王国の古法である「サリカ法典」は女性が当主となることを認めていなかったが、夫が王位、爵位を継承することで実質的に無効化されていた。
しかし14世紀のフランス王国でルイ10世に男子の跡継ぎがなく、唯一の女子(ジャンヌ)が王妃の不倫により王家の血を引いていないのではないかという疑惑が有ったため、サリカ法典を理由にルイ10世の弟のフィリップ5世が王位を継承した。さらにジャンヌの系統やプランタジネット家に王位が渡ることを避けるために、サリカ法典をさらに拡大解釈し、女王のみならず女系の王位継承を禁止した王位継承法を制定した。この王位継承法と継承制度も現在では一般的にサリカ法と呼び、近世には、プロシア、近代のドイツ帝国、イタリア王国が、男系継承のみの王位継承法を採用している。また、その他のドイツ系の国々では準サリカ法と呼ばれる「男系の継承者が全て絶えた場合のみ女系に回る」継承法を採用する場合が多かった。
現代の立憲君主制においては、女性君主を避ける必要も少なくなったため、イギリス、オランダ、デンマークなど、女系のみならず女王も多く存在している。