太田吉彰
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太田 吉彰(おおた よしあき 1983年6月11日 - )は、静岡県浜北市(現浜松市)出身で、ジュビロ磐田所属のサッカー選手である。ポジションはMF。
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[編集] プレイスタイル
爆発的とも言える走力と、強靱なスタミナで右サイドを駆け抜けるサイドアタッカー。右45度からのシュートも得意にしている。縦突破を警戒されるようになってからは、中央や逆サイドでのプレーも増え、次第に単なるサイドアタッカーとは言えないプレーヤーになりつつある。また労を惜しまず守備にも貢献する。
[編集] 来歴
静岡選抜で太田と一緒にプレーした経験がある長谷部誠らが証言しているように、元々はトップ下の選手だった。しかしジュビロユースに加入後、トップ下では自分に将来がないと感じ、ずっと目標としてきた兄・圭輔と同じようなサイドアタッカーに転身することを決断する。当時はスタミナもそこそこ、足も特に速いわけではなかったが、トレーニングで自身の肉体を変貌させ、高校3年時には今のようなプレースタイルの選手になり、FWやサイドハーフでプレーして得点を量産。本人も予想もしていなかった(3年までポジションを取れなかったため)トップチーム昇格を果たす。
クロスの精度や守備力に難があったが、ひたむきに練習を重ね、磐田の世代交代の波に乗りトップデビューを果たした。2005年シーズンはMF陣最多得点をマークするなど、磐田の中心選手になりつつある。
[編集] アラカルト/エピソード
- お祭り好きで、地元での浜松まつりの練りに参加するのが恒例だったと言う。ただしトップチームに定着してからは、観る方に回っていることも多いとか。
- 高校時代は肉体強化のトレーニングの一環として自宅から学校へ行くにも、ユースの練習場に行くのも常に自転車で、「バスと競争するトレーニング」までしていた。それを重ねているうちに、バスより速く走る自転車乗りになってしまった。
- 風貌がスピードワゴンの井戸田潤に似ているとの声もある。
- Jリーグ一の三白眼。
[編集] 所属チーム
[編集] 経歴
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2002年 | 磐田 | J1 | 31 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2003年 | 磐田 | J1 | 17 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2004年 | 磐田 | J1 | 17 | 7 | 1 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2005年 | 磐田 | J1 | 17 | 30 | 7 | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |
2006年 | 磐田 | J1 | 17 | - | |||||||
通算 | 37 | 8 | - | 3 | 0 | 4 | 2 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
ジュビロ磐田 - 2006 |
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1 川口能活 | 2 鈴木秀人 | 3 茶野隆行 | 4 大井健太郎 | 5 田中誠 | 6 服部年宏 | 8 菊地直哉 | 9 中山雅史 | 10 成岡翔 | 11 西紀寛 | 13 森下俊 | 14 村井慎二 | 15 西野泰正 | 16 岡本達也 | 17 太田吉彰 | 18 前田遼一 | 19 藤井貴 | 20 金珍圭 | 21 佐藤洋平 | 22 カレン・ロバート | 23 福西崇史 | 24 山本康裕 | 25 ファブリシオ | 26 中村豪 | 27 上田康太 | 28 船谷圭祐 | 29 森野徹 | 30 八田直樹 | 31 松井謙弥 | 32 山本浩正 | 33 犬塚友輔 | 監督 アジウソン | クラブ | 編集 |
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