大友工
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大友工(おおともたくみ、1925年2月1日 - )は読売ジャイアンツおよび近鉄バファローに所属していた投手。1959年から1961年まで登録名大友工司(おおともこうじ)。
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[編集] 来歴・人物
兵庫県出石郡出石町(現豊岡市)生まれ。大阪逓信講習所の一員として甲子園出場。1950年代前半における巨人のエースであり、1952年には松竹ロビンスを相手にノーヒットノーラン達成、1953年には最優秀防御率、最多勝利の二冠の上MVPまで獲得した。広島カープに相性がよく、18連勝の後1敗を挟んでさらに12連勝した記録が残っている。1956年に死球を受けて以降は衰え、1959年オフ10年選手制度により近鉄に移籍した。1961年の引退後は近鉄のコーチとなった。その後1965年から1966年に中日ドラゴンズの二軍コーチ、1967年から1968年には一軍コーチを務めた。
[編集] 略歴
[編集] 所属球団
[編集] 背番号
[編集] 通算成績
- 294試合 130勝57敗 防御率2.11