取り直し
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取り直し(とりなおし)は、大相撲で行われる再試合のことである。このシステムは昭和初年(1920年代末)に導入された。それ以前は、引分か預りとなっていた。
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[編集] 物言いの取り直し
行司が軍配をあげた後の物言いの協議において同体とみなされた場合、行司の判定如何にかかわらず、再試合となる。同体となった取組で負傷するなどし、両方の力士が続行不可能なときは痛み分け、一方の力士が続行不可能となったときは、同様に痛み分けか、他方の力士の不戦勝となる。近年では琴春日桂吾-五城楼勝洋(平成17年5月場所7日目、2005年5月14日)で五城楼が負傷し、取り直し後琴春日の不戦勝となった。
取り直しの一番がふたたびもつれ、再度取り直しとなることも多い。最近では、1988年5月場所初日の水戸泉政人と霧島一博との対戦で、3回取り直しとなったことがある。
[編集] 水入り後の取り直し
水入りの大相撲になった際、それでも決着がつかないときに審判委員の協議の上二番後取り直しとなることがある。その取組の後に二番しか残っていないときは一番後取り直しとなる。
旭國-魁傑は結び前の一番だったため10分後に取り直した。
このとき、取り直しのあとも水が入り、勝負がつかないときには引分となる。
1939年1月場所11日目の磐石熊太郎と鏡岩善四郎の対戦は、二番後取り直しになったが、双方が棄権を申し出たために、双方不戦敗のあつかいとなった。
[編集] 現制度以前
現在の取り直しは、その日のうちに行われ、それ以前の記録は残らないが、それ以前は、星取表に引分または預りの記録をつけたあとで、その場所の別の日に再び対戦させたこともあった。その記憶があったため、1931年(昭和6年)5月場所では、8日目に天竜三郎と能代潟錦作の対戦が、水入り後の取り直しでも決着がつかなかったとき、10日目にそれぞれの取組とは別に再戦して、結果的に天竜が勝ち、星取表には引分をつけずに8日目の天竜の勝ちとして成績をつけたことがあった。また、1943年(昭和18年)5月場所で、青葉山徳雄と龍王山光とが、引分になったときも、〈敢闘精神不足〉という理由でいったんは出場停止になったあと、停止がとけた日に再戦させたことがある。