幕下
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- 幕下(ばくか) - 陣幕の下にあるという意味で、家臣ではないが、臣下の礼をとり、服属すること。
- 幕下(まくした) - 相撲の番付階級の一つ。本項に記述。
[編集] 相撲
幕下(まくした)は、大相撲の番付における階級のひとつ。十両の下で三段目の上。十両のなかった時代には幕内のすぐ下の階級であったためにこの名がある。番付では上から二段目に記載されるので、正式名称は「幕下二段目」である。江戸時代には十両の地位が存在しなかったので、幕下に位置していても、幕内力士との対戦が組まれていた。現行の制度では東西60人ずつ、120人が定員となっているが、アマチュア相撲で実績があり幕下10枚目格または15枚目格付出となる力士については定員には含めない。
関取をうかがう位置であり、取的力士もまずここまで出世すれば一人前とみなされる。逆に、十両から陥落して来る者と、下から昇進してくる者との間で、もっとも生存競争の厳しい階級とも言える。力士養成員(取的)扱いの幕下と、関取として一人前に扱われる十両とでは、その待遇には雲泥の差があるため、俗に「十両と幕下は天国と地獄」とまで言われるほど重要な地位と言えるが、この地位に昇進して初めて博多帯と(冬場の)コートを着用でき、多くの部屋ではちゃんこ番などの雑用が免除になるなど、三段目との待遇差も一目瞭然である。
1960年代半ばから、幕下20枚目以内で7戦全勝すれば、無条件に十両昇進となる内規ができた。これはその後、1977年から15枚目以内に改められた。これは、優勝決定戦で優勝を逃した場合にも適用される。しかし、初土俵から三段目まで各段1場所で順調に昇進しても、新幕下で15枚目以内に番付されることはなく、十両昇進まで幕下は最低2場所を要する。したがって、幕下最下位および三段目上位から最短で十両昇進を決めるには、2場所連続で全勝しなければならない。下田圭将は15枚目格付出で7戦全勝優勝を果たしたが十両昇進を見送られた初の力士である。一方の大真鶴健司は、平成15年九州場所、西幕下16枚目で7戦全勝優勝をして、本来ならば内規外で十両昇進を見送られる地位であったが、翌場所からの幕内・十両定員増加の恩恵を受け、昇進した。
幕下上位の力士で、5敗以上の負け越しの場合八番相撲を取ることがある。
十両昇進の目安は十両からの陥落者・十両以上の引退者の数によって、昇進できる人数に差が生じるため、一概に言えないが、5枚目以内で6勝1敗・2枚目以内で5勝2敗の成績で十両昇進を見送られた先例はほぼ皆無である。一方では平成年間にはいっても、琴岩国武士(当時の四股名は「琴藤本」)が西筆頭で4勝3敗と勝ち越しながら十両昇進を見送られることもある。(番付運の悪い例として青葉山弘年の項目も参照のこと)
[編集] 十両との取組がある場合
幕下上位(主に5枚目以内)のうち、終盤戦に十両昇進の可能性が残されている力士を、十両下位の幕下陥落の危険性が考えられる力士と対戦させ、十両力士が勝った場合は両力士共に翌場所同地位に留置、幕下力士が勝った場合は、翌場所負けた十両力士と地位を入れ替える入れ替え戦をはじめ、幕下陥落が確定している十両下位の成績不振者と昇進の可能性が考えられない幕下上位力士を対戦させる消化試合、序盤で十両以上に休場者の数が奇数になり、取組編成上十両下位力士が1名余るため、幕下上位力士が繰り上がり対戦する補欠繰上のパターンがある。
いずれの場合も十両力士と対戦する幕下力士は大銀杏で土俵に上がることが義務付けられている。そのため、十両昇進がかなわないまま引退せざるを得ない力士にとっては、このときの写真が記念となることもある。
関取未経験の現役力士で対十両戦経験者は以下に示す通り。
- 木村山守
- 白馬毅
- 朝陽丸勝人
- 霧の若太郎
- 八木ヶ谷匡也
- 下田圭将
- 大翔馬和待
- 高見藤英希
- 福興山真和
- 琴国晃将
- 龍巍生明(りゅうぎたかあき、対戦当時の四股名は魁松山(かいしょうざん))
- 師子王正樹
- 若浪剛史(当時は若い浪)
- 旭弁天崇弘
- 芳東洋
- 錦風眞悟
- 栃の山博士(当時は栃ノ山)
- 富士龍優耀(ふじりゅうまさる、当時は緑富士)
- 郡山勇二(当時は増昴(ますのぼり))