上野恩賜公園
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上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園。通称上野公園、あるいは武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置する事から、上野の山とも呼ばれる。総面積約53万m²。東京都建設局の管轄。彫刻家高村光雲作の西郷隆盛の銅像があることでも知られる。
- 隆盛像の傍らの愛犬ツンの像は後藤貞行の作。
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[編集] 歴史
江戸時代、三代将軍・家光が江戸の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に寛永寺を建てたのが始まり。戊辰戦争時には彰義隊がここに立てこもり、伽藍は焼失、一帯は焼け野原と化した。1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが、公園として残すよう日本政府にはたらきかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。このことをもってボードウィンは、上野公園生みの親と称される。 なお、公園内に1973年から置かれているボードウィン像は、オランダ大使館より公園指定100周年を記念して贈られたものであるが、実際は実弟(元駐日オランダ領事)の像であり、2006年10月6日に本人の像に変更されることになっている。
- 1873年、太政官達により公園に指定。
- 1876年、公園建設完成、開園。
- 1882年、動物園と国立博物館を設置。
- 1890年、帝室御料地となり宮内省の管轄に置かれる。
- 1924年、東京市に払い下げられ、このときのいきさつから、現在まで続く「上野恩賜公園」という名称となった。
- 1933年、京成本線日暮里駅 - 京成上野駅間に博物館動物園駅が開業。
- 1973年、公園指定100周年を記念して、ボードウィン博士の銅像を建立。ただし、顔がボードウィン博士の弟のものに取り違えられていた。
- 1997年、博物館動物園駅営業休止。
- 2004年、博物館動物園駅廃止。
- 2006年、ボードウィン博士の銅像の(正しい顔への)建て替えが行われる。
1992年頃に、当公園付近に不法残留の外国人がたむろし、変造テレカ等の売買など違法行為が頻発して問題になっていた時期があった。
[編集] 施設
都内だけでなく、日本でも有数の都市公園であり、歴史・文化的な施設が多数存在し、文化・芸術の集合地域となっている。
まず、東京都立恩賜上野動物園をはじめ、動物園の横には旧東京音楽学校奏楽堂などの芸術博物館、東京芸術大学、都立上野高校、東京芸大付属音楽高校と教育施設が広がっている。
鶯谷駅方面には徳川家霊廟の歴史的建築などが存在する寛永寺や東京国立博物館、国立国会図書館、国際子ども図書館があり、噴水池周辺には東京都美術館、上野の森美術館、国立科学博物館と並び、上野駅公園口に近づくにつれ国立西洋美術館、東京文化会館がある。
さらに、京成上野駅そば移ると上野の森美術館や西郷隆盛像がありその西側には桜並木が続く。桜並木並びに寛永寺清水観音堂、五条大天神が存在する。脇道に逸れると上野東照宮、寛永寺五重塔があり、また伊豆栄梅川亭、上野精養軒など老舗料理屋がある。
西側に坂を降りると不忍池が広がり、橋を渡ったところに不忍池弁財天、谷中七福神がある。池の周りには台東区下町風俗資料館や水上音楽堂が点在している。
[編集] みどころ
[編集] 美術館
国立西洋美術館|上野の森美術館|東京都美術館|東京芸大付属美術館
[編集] 博物館・資料館
東京国立博物館|国立科学博物館|上野動物園|台東区下町風俗資料館|黒田記念館|横山大観記念館
[編集] 大学・図書館
[編集] 歴史的建築・旧跡
上野東照宮|寛永寺|旧東京音楽学校奏楽堂|徳川家霊廟|森鴎外旧居跡|京成博物館動物園駅跡|西郷隆盛像
[編集] 会館
[編集] 自然
高台となっている忍ヶ岡は、近世からの桜の名所としても有名であり、桜の開花時期になると大勢の花見客が押し寄せることで有名である。
また、忍ヶ岡の南に位置する不忍池は、夏には池の一部を覆い尽くすほどの蓮に覆われ、一面の緑の葉と桃色の蓮の花が美しい。冬には鴨をはじめとした数多くの種類の水鳥が飛来し、とても賑やかになる。
[編集] 上野公園の考古学
[編集] 上野忍岡遺跡の発掘
現在上野公園が位置する台地一帯は、縄文・弥生から古墳時代の遺跡、あるいは幕末維新期の動乱で焼失した江戸時代の寛永寺の主要伽藍及びその子院群の遺構を地下に包含する上野忍岡遺跡(うえのしのぶがおかいせき)でもある。 1994年より、再開発に伴う発掘調査が国立科学博物館構内を嚆矢として、国立西洋美術館前庭部分、東京芸大構内、東京国立博物館構内と続き、近年も台東区教育委員会による発掘調査が、公園内及び周辺地で断続的に続けられている。調査の結果は報告書として刊行され、科学博物館構内からは、寛永寺子院青龍院(しょうりゅういん)の遺構、弥生時代の竪穴住居跡、埴輪片が出土。隣接する西洋美術館構内からは、多数の古墳時代竪穴住居跡が確認され、かつて当地にあった寛永寺子院凌雲院跡の遺構、徳川吉宗側室の墓跡などが確認された。
- 関連文献
- 小俣悟2001「加藤先生と台東区の発掘調査」『ツンドラから熱帯まで:加藤晋平先生古稀記念考古学論集』227~228。※台東区内の遺跡調査の歴史を紹介している。
- 小俣悟1996「台東区の遺跡」『武蔵野』74巻2号。
- 国立科学博物館上野地区埋蔵文化財発掘調査委員会編1995『上野忍岡遺跡:国立科学博物館(たんけん館・屋外展示模型地点)』
- 国立西洋美術館埋蔵文化財発掘調査委員会1996『上野忍ヶ岡遺跡:国立西洋美術館地点』
- 台東区文化財調査会2001『国立科学博物館:おれんじ館地点』埋蔵文化財発掘調査報告書10集。
- 台東区文化財調査会1999『国立国会図書館支部上野図書館地点』埋蔵文化財発掘調査報告書5集。
- ※その他、上野公園内各所の発掘調査報告書多数が、台東区文化財調査会により刊行されている。既刊の発掘調査報告書は、台東区及び都内各公立図書館で自由に閲覧できる。また、台東区教育委員会では、上野公園内を始めとする区内の遺跡を紹介した少冊子『台東区の遺跡』を年度毎に作成、無償配布している。
- 問合せ先:台東区教育委員会文化事業スポーツ課 文化財担当
- 所在地:台東区生涯学習センター内、東京都台東区西浅草3-25-16
- 電話:(03)5246-5852
- 台東区の遺跡(台東区教育委員会文化事業スポーツ課)
- ※その他、上野公園内各所の発掘調査報告書多数が、台東区文化財調査会により刊行されている。既刊の発掘調査報告書は、台東区及び都内各公立図書館で自由に閲覧できる。また、台東区教育委員会では、上野公園内を始めとする区内の遺跡を紹介した少冊子『台東区の遺跡』を年度毎に作成、無償配布している。
[編集] 交通アクセス
[編集] 外部リンク
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