三重交通松阪線
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松阪線(まつさかせん)とは、かつて国鉄・近鉄松阪駅から櫛田川中流の大石(おいし)駅までを結んでいた本線(大石線)と、市街地の平生町駅から海岸沿いの大口駅までを結んでいた支線(大口線)から構成されていた、三重交通(廃止直前は「三重電気鉄道」)の鉄道路線である。
開通当時は地域の足を独占したものの、紀勢東線開通後に松阪~射和間で紀勢東線松阪~相可間(射和駅と紀勢本線相可駅は櫛田川を挟んで近接)と競合したこととモータリゼーションの進行で、三重交通から三重電気鉄道が分離した翌年に、三重電気鉄道が近畿日本鉄道(近鉄)に合併されて同社の路線となる中、松阪線は譲渡される前に廃止された。
現在は、三重交通の路線バスが蛸路~中万~射和間を除き、ほぼ廃線跡沿いを運行し、松阪線の松阪駅舎跡には三交百貨店が建てられている。また、射和、大石の両バス停は駅の名残を残している。
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[編集] 路線データ
廃止時点(1964年3月)のもの。
[編集] 沿革
- 1912年(大正元年)8月17日 松阪軽便鉄道により松阪~大石間が、非電化の蒸気機関車牽引鉄道として開業。
- 1913年(大正2年)8月7日 平生町~大口間(大口線)開業。
- 1919年(大正8年)7月 松阪鉄道に改称。
- 1927年(昭和2年)11月16日 松阪~大石間電化。しかし電力供給が不安定であったため、蒸気機関車も継続使用された。
- 1928年(昭和3年)1月20日 松阪電気鉄道に改称。
- 1929年(昭和4年)6月1日 平生町~大口間電化。同じく蒸気機関車を併用。
- 1938年(昭和13年)4月4日 全面電気運転にする。
- 1944年(昭和19年)2月11日 三重県下の鉄道・バス会社を統合、三重交通が発足。
- 1948年(昭和23年)1月21日 大口線を休止。
- 1958年(昭和33年)12月3日 大口線廃止。
- 1964年(昭和39年)2月1日 三重交通の鉄道事業を分離して三重電気鉄道発足、同社の路線となる。
- 1964年(昭和39年)12月14日 全線廃止。
[編集] 駅一覧
1964年の廃止時点。
松阪駅 - 平生町駅 - 茶与町駅 - 花岡駅 - 駅部田(まえのへた)駅 - 蛸路(たこじ)駅 - 下蛸路駅 - 中万(ちゅうま)駅 - 射和(いざわ)駅 - 阿波層駅 - 庄駅 - 御麻生園(みおぞの)駅 - 大師口駅 - 片野橋駅- 大石(おいし)駅
また、1947年に休止された大口線平生町~大口間の途中駅は以下の通り。
平生町駅 - 天神前駅 - 大口駅
[編集] 接続路線
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