三木城
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所在地 | 兵庫県三木市上の丸町 |
別名 | 釜山城・別所城 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 別所則治 |
築城年 | 1492年 |
主な改修者 | 前野長康、中川秀政 |
主な城主 | 別所氏、豊臣秀吉配下武将 |
廃城年 | 1617年 |
遺構 | 曲輪、空堀、井戸、(模擬城壁) |
三木城(みきじょう)は、播磨国美嚢郡三木(兵庫県三木市上の丸町)にあった城。平山城。釜山城や別所城とも呼ばれる。
天正6年(1578年)から2年に渡って織田方の羽柴秀吉(豊臣秀吉)と別所長治との間で兵糧攻めを含めて激しい攻防戦が繰り広げられたことで知られる。この合戦の際には神吉城(印南郡)、志方城(印南郡)、淡河城(美嚢郡)、高砂城(加古郡)、端谷城(明石郡)など東播磨各地の城が支城として別所方に従った。
本来の城郭は現在の三木市街地部分も含むものであったが、本丸周辺だけが上の丸公園として残っている。公園内には別所長治の辞世「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」の歌碑や、城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」、そして近年立てられた別所長治像がある。公園に隣接して三木市立図書館、城郭跡の下には滑原(なめら)商店街がある。
毎年5月5日には別所長冶を偲び、「別所公春まつり」が開催されている。
[編集] 年表
- 1492年(明応元年) - 別所則治によって築城。
- 1530年(享禄3年) - 浦上村宗により落城。城主の別所就治は落ち延びる。
- 1531年(享禄4年) - 村宗の死に伴い就治が三木城を奪還。
- 1578年(天正6年) - 羽柴秀吉による三木城攻め(三木合戦)が始まる。
- 1580年(天正8年) - 秀吉の「三木の干し殺し」により落城。
- 1580年代(天正年間) - 天守が増築される。
- 1617年(元和3年) - 一国一城令により廃城となる。
- 1619年(元和5年) - 三木城の遺材も用いられた明石城が完成。
[編集] 歴代城主
- 別所則治(1492年~stub)
- 別所則定(stub)
- 別所就治(stub~1556年)
- 別所安治(1556年~1570年)
- 別所長治(1570年~1580年)
- 杉原家次(1580年~stub)
- 前野長康(stub~1585年)
- 中川秀政(1585年~1592年)
- 中川秀成(1592年~1594年)
- 杉原長房(豊岡城城主)が領有(1596年?~1600年)
- 伊木忠次(池田輝政(姫路城城主)の城代家老)(1600年~1616年)
[編集] 関連項目
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