リンゼイ・ダベンポート
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女子 テニス | ||
金 | 1996 | シングルス |
リンゼイ・ダベンポート(Lindsay Davenport, 1976年6月8日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州パロスベルデ出身の女子プロテニス選手。身長189cm、体重79kgで、現在の女子プロテニス界では最長身の選手である。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。プレー中に感情が顔に出やすいタイプでもある。これまでにWTAツアーでシングルス51勝、ダブルス36勝を挙げている。4大大会では女子シングルスで1998年全米オープン、1999年ウィンブルドン、2000年全豪オープンの3冠を獲得したが、女子ダブルスでも1996年全仏オープン、1997年全米オープン、1999年ウィンブルドンで3度の優勝がある。
1993年2月に16歳でプロ入り。1994年の女子テニスツアー年間最終戦、WTAツアー選手権(当時の名称は「バージニア・スリムズ選手権」)にて、大会初出場でいきなりガブリエラ・サバティーニとの決勝戦まで進出した。1996年アトランタ五輪の女子シングルス決勝でアランチャ・サンチェスを 7-6, 6-2 で破り、金メダルを獲得する。1998年の全米オープンで4大大会初優勝を達成。決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 7-5 で破り、1986年全仏オープンのクリス・エバート以来12年ぶりに、アメリカ合衆国出身の女子テニス選手として優勝を飾った。その1ヶ月後、1998年10月12日付で初の世界ランキング1位になる。1999年のウィンブルドンで、ダベンポートは決勝でシュテフィ・グラフを 6-4, 7-5 のストレートで破って優勝した。この大会ではコリーナ・モラリューとペアを組んだ女子ダブルスでも優勝し、単複2冠を獲得している。(グラフはこのウィンブルドン選手権を最後の4大大会出場にすると宣言し、1ヶ月後の8月13日に現役を引退した。)2000年の全豪オープンではマルチナ・ヒンギスの大会4連覇を阻止した。こうしてダベンポートは4大大会3冠王となったが、同年のウィンブルドンと全米オープンの決勝でヴィーナス・ウィリアムズに2連敗を喫してしまい、しばらくウィリアムズ姉妹の後塵を拝することになった。
2004年のウィンブルドン準決勝でマリア・シャラポワに敗れた後、一時は引退を示唆する発言をしていた。しかし直後の全米オープン前哨戦の大会(ハードコート)で好成績が続き、世界ランキング1位に返り咲いたため、引退を翻意する。2005年の全豪オープンで5年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、セリーナ・ウィリアムズに逆転負けして準優勝に終わる。同年のウィンブルドンでも5年ぶり3度目の決勝に進出するが、今度はヴィーナス・ウィリアムズに敗れ、またしてもウィリアムズ姉妹に優勝を阻まれた。4大大会で唯一優勝がない全仏オープンでは、1998年のベスト4が自己最高成績である。
最近は試合中に肩の痛みを訴えてトーナメントの決勝戦を棄権するなど、いくらかのかげりが見られる。
若き日には、日本の伊達公子選手の良きライバルでもあった。両者の対戦成績はダベンポートの「5勝3敗」である。
2003年4月25日に元テニス選手で、現在は投資銀行に勤務するジョナサン・リーチと結婚。2006年12月、妊娠を公表。出産後もツアーに復帰するかどうかは未定。
[編集] 4大大会優勝
年 | 大会 | 対戦相手 | スコア |
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1998年 | 全米オープン | マルチナ・ヒンギス | 6-3, 7-5 |
1999年 | ウィンブルドン | シュテフィ・グラフ | 6-4, 7-5 |
2000年 | 全豪オープン | マルチナ・ヒンギス | 6-1, 7-5 |
[編集] 関連項目
女子テニス世界ランキング1位 | |
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ヴィーナス・ウィリアムズ | セリーナ・ウィリアムズ | ジュスティーヌ・エナン=アーデン | クリス・エバート | トレーシー・オースチン | ジェニファー・カプリアティ | キム・クライシュテルス | シュテフィ・グラフ | アランチャ・サンチェス | マリア・シャラポワ | モニカ・セレシュ | リンゼイ・ダベンポート | マルチナ・ナブラチロワ | マルチナ・ヒンギス | アメリ・モレスモ | |
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