クリス・エバート
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クリス・エバート(Chris Evert, 1954年12月21日 - )は、アメリカ・フロリダ州フォートローダーデール出身の女子プロテニス選手である。コート上で全く表情を変えずにプレーしていたことから、“アイス・ドール”(氷の人形)というニックネームで呼ばれた。全仏オープン「7勝」の大会最多優勝記録保持者であり、エバート自身もフランスが好きなことから「パリの恋人」とも称された。4大大会シングルス通算「18勝」はライバルのマルチナ・ナブラチロワと並ぶ女子歴代4位タイ記録。WTAツアーでのシングルス通算「157勝」の歴代2位記録も保持している。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。フルネームは Christine Marie Evert (クリスティン・マリー・エバート)というが、「クリス・エバート」の名前で最もよく知られている。“Chrissie”(クリッシー)という愛称で呼ばれることも多い。
1972年12月21日、18歳の誕生日にプロ入りする。1974年の全仏オープンで4大大会初優勝を果たし、続くウィンブルドンも初制覇。この頃ジミー・コナーズ選手と交際したが、婚約破棄に終わる。1975年~1978年に全米オープンで大会4連覇を達成。1979年にイギリスの男子プロテニス選手、ジョン・ロイドと結婚し、夫の姓を併用して「クリス・エバート・ロイド」(Chris Evert-Lloyd)と名乗るようになった。クレーコート(赤土)「125連勝」の記録も樹立したが、1979年の全仏オープン前哨戦「イタリアン・オープン」の準決勝で、16歳の新星トレーシー・オースチンに敗れて記録が止まる。同年の全米オープン決勝でもオースチンに敗れ、大会5連覇を逃した。
1980年代に入ってからは、エバートのライバルの座をマルチナ・ナブラチロワが占めるようになる。2人は現役生活を通じて「80回」対戦し、最終的な対戦成績はナブラチロワの「43勝37敗」となった。
最後の4大大会優勝となった1986年の全仏オープンは「31歳5ヶ月」での制覇で、大会史上2番目の年長優勝記録となった。1974年 - 1986年まで「13年連続」での4大大会優勝も女子テニス史上最長記録となる。しかし、ジョン・ロイドと離婚した1987年に連続優勝記録が止まった。この年にシュテフィ・グラフが世界ランキング1位となり、女子テニス界は世代交代期を迎える。離婚後の1988年、全豪オープンでエバートは最後の4大大会決勝に進出したが、当時18歳のグラフに 1-6, 6-7 で敗れた。これでエバートの4大大会女子シングルス決勝記録は「通算34度進出」=「18勝16敗」で終わった。決勝進出34度は女子歴代1位記録で、2位はマルチナ・ナブラチロワの32度(18勝14敗)、3位はシュテフィ・グラフの31度(22勝9敗)である。
最後まで“アイス・ドール”のイメージを守り続けたクリス・エバートは、1989年に35歳で現役引退を表明した。最後の4大大会出場となった全米オープンでは、準々決勝でジーナ・ガリソン(アメリカ)に 6-7, 2-6 で敗れる。同年10月に日本の東京・有明コロシアムで行われた女子国別対抗戦「フェデレーション・カップ」(現在の名称はフェドカップ)でアメリカ・チームを優勝に導いたが、これがエバートの現役最後の試合となった。1995年に国際テニス殿堂入りを果たしている。
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン:2勝(1982年、1984年) [準優勝4度:1974年、1981年、1985年、1988年]
- 全仏オープン:7勝(1974年、1975年、1979年、1980年、1983年、1985年、1986年) [大会歴代1位/準優勝2度:1973年、1984年]
- ウィンブルドン:3勝(1974年、1976年、1981年) [準優勝7度:1973年、1978年-1980年、1982年、1984年、1985年]
- 全米オープン:6勝(1975~1978年、1980年、1982年) [大会4連覇を含む/準優勝3度:1979年、1983年、1984年]
年 | 大会 | 対戦相手 | スコア |
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1974年 | 全仏オープン | オルガ・モロゾワ | 6-1, 6-2 |
1974年 | ウィンブルドン | オルガ・モロゾワ | 6-0, 6-4 |
1975年 | 全仏オープン | マルチナ・ナブラチロワ | 2-6, 6-2, 6-1 |
1975年 | 全米オープン | イボンヌ・グーラゴング | 5-7, 6-4, 6-2 |
1976年 | ウィンブルドン | イボンヌ・グーラゴング | 6-3, 4-6, 8-6 |
1976年 | 全米オープン | イボンヌ・グーラゴング | 6-3, 6-0 |
1977年 | 全米オープン | ウェンディ・ターンブル | 7-6, 6-2 |
1978年 | 全米オープン | パム・シュライバー | 7-5, 6-4 |
1979年 | 全仏オープン | ウェンディ・ターンブル | 6-2, 6-0 |
1980年 | 全仏オープン | バージニア・ルジッチ | 6-0, 6-3 |
1980年 | 全米オープン | ハナ・マンドリコワ | 5-7, 6-1, 6-1 |
1981年 | ウィンブルドン | ハナ・マンドリコワ | 6-2, 6-2 |
1982年 | 全米オープン | ハナ・マンドリコワ | 6-3, 6-1 |
1982年 | 全豪オープン | マルチナ・ナブラチロワ | 6-3, 2-6, 6-3 |
1983年 | 全仏オープン | ミマ・ヤウソベッツ | 6-1, 6-2 |
1984年 | 全豪オープン | ヘレナ・スコバ | 6-7, 6-1, 6-3 |
1985年 | 全仏オープン | マルチナ・ナブラチロワ | 6-3, 6-7, 7-5 |
1986年 | 全仏オープン | マルチナ・ナブラチロワ | 2-6, 6-3, 6-3 |
[編集] 4大大会女子シングルス優勝記録
- 1位:24勝 マーガレット・スミス・コート(オーストラリア)
- 2位:22勝 シュテフィ・グラフ(ドイツ)
- 3位:19勝 ヘレン・ウィルス・ムーディ(アメリカ)
- 4位タイ:18勝 クリス・エバート(アメリカ)、マルチナ・ナブラチロワ(チェコスロバキア → アメリカ)
- 6位タイ:12勝 ビリー・ジーン・キング(アメリカ) [スザンヌ・ランラン(フランス)は、国際大会以前の全仏選手権6勝を含めて通算12勝]
- 8位タイ:9勝 モーリーン・コノリー(アメリカ)、* モニカ・セレシュ(ユーゴスラビア → アメリカ)
- *は現役選手。
[編集] 関連項目
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