ジュスティーヌ・エナン=アーデン
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女子 テニス | ||
金 | 2004 | シングルス |
ジュスティーヌ・エナン=アーデン(Justine Henin-Hardenne, 1982年6月1日 - )は、ベルギー・リエージュ出身の女子プロテニス選手。母国語はワロン語である。
12歳の時に母親が癌で亡くなり、厳しい家庭環境で育った。1999年5月にプロ転向。最初の活躍は2000年の全米オープン3回戦で、人気選手のアンナ・クルニコワに圧勝した試合であった(次の4回戦で敗退)。2001年全仏オープンで準決勝に進出、1歳年下のキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」に敗れる。続くウィンブルドンでは決勝に進出、ヴィーナス・ウィリアムズに 1-6, 6-3, 0-6 で敗れて準優勝になった。この一連の活躍で世界的な注目を浴び、トップ10選手に定着する。2002年11月16日にピエール=イブ・アーデンと結婚した。
2003年全仏オープン、全米オープン、2004年全豪オープンで初優勝を達成。すべてキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」の決勝を制し、ベルギーのテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。2004年アテネ五輪の金メダルを獲得した時は、決勝でフランスのアメリ・モレスモを 6-3, 6-3 で圧倒した。
2004年のシーズンはウイルス性疾患などに悩まされたが、2005年の全仏オープンで2年ぶり2度目の優勝を飾り、4大大会通算4勝目を挙げる。その決勝戦では地元フランスの30歳マリー・ピエルスを 6-1, 6-1 で圧倒した。2006年の全豪オープンでは、2年ぶり2度目の決勝戦でアメリ・モレスモとの対戦中に体調を崩し、1-6, 0-2 で途中棄権に追い込まれたため、2度目の全豪優勝はならなかった。しかし2006年の全仏オープンでは、2004年の全米オープン優勝者スベトラナ・クズネツォワを 6-4, 6-4 で圧倒して大会2連覇を達成。全仏では2年連続3度目の優勝、4大大会では通算5勝となった。2006年の4大大会は全て決勝にすすんだが、全仏以外は準優勝に終わっている。
最大の特徴は、身長167cmの小柄な身体から放たれる独特な片手打ちバックハンド・ストロークである。この年代から「シュテフィ・グラフに憧れて」テニスを始める選手が登場するが、エナン=アーデンはフォームまでもグラフに最も近い選手だと言えるだろう。
[編集] 4大大会優勝
年 | 大会 | 対戦相手 | スコア |
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2003年 | 全仏オープン | キム・クライシュテルス | 6-0, 6-4 |
2003年 | 全米オープン | キム・クライシュテルス | 7-5, 6-1 |
2004年 | 全豪オープン | キム・クライシュテルス | 6-3, 4-6, 6-3 |
2005年 | 全仏オープン | マリー・ピエルス | 6-1, 6-1 |
2006年 | 全仏オープン | スベトラナ・クズネツォワ | 6-4, 6-4 |
[編集] 関連項目
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カテゴリ: ベルギーのテニス選手 | 1982年生