ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
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ヒルデガルト・フォン・ビンゲンまたはビンゲンのヒルデガルト(独:Hildegard von Bingen, 英:Hildegard of Bingen, ユリウス暦1098年 - 1179年)は、中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長。
神秘家であり、40歳頃に「生ける光の影」(umbra viventis lucis)の幻視体験(visio)をし、女預言者とみなされた。50歳頃、ビンゲンにて自分の女子修道院を作る。自己体験を書と絵に残した。医学・薬草学につよく、ドイツ薬草学の祖とされる。彼女の薬草学の書は、20世紀の第二次世界大戦時にオーストリアの軍医ヘルツカにより再発見されたエピソードがある。才能に恵まれ、神学者、説教者である他、宗教劇の作家、伝記作家、言語学者、詩人であり、また古代ローマ時代以降最初の女性作曲家(注:ギリシア時代に数名が知られる)とされる。中世ヨーロッパ最大の賢女とも言われる。
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[編集] 年譜
- 1098年 神聖帝国(いわゆる神聖ローマ帝国)のドイツ王国、ラインラントのラインヘッセンのアルツァイ近くマインツ司教区ベルマースハイム(Bermersheim)で、地方貴族である父ヒルデベルト(Hildebert)、母メチルト(Mechtild)の10番目の子供として誕生。
- 1106年 同司教区オーデルンハイム(Odernheim)のディジボーデンベルク(Disibodenberg)にあるベネディクト会系男子修道院ザンクト・ディジボードの近くで庵を営む修道女ユッタ・フォン・シュポンハイム(Jutta von Sponheim)に育てられる。
- 彼女の教育に、ザンクト・ディジボード男子修道院の修道士フォルマール(Volmar)が加わる。
- ユッタが同敷地内に女子修道院を設立し、同時に院長に就任。
- 1136年 ユッタ死去。同時にヒルデガルト、女子修道院の院長に就任。
- 1141年 神の啓示を受けたとして、フォルマールと腹心の修道女リヒアルディス・フォン・シュターデ(Richardis von Stade)の援助の許、『道を知れ(Scivias)』の執筆を開始。自らの幻視体験(後の彼女自身の言葉によれば「生ける光の影」(umbra viventis lucis))を初めて公けに表明する。
- この頃から彼女の幻視体験がマインツの大司教ハインリヒの知るところとなる。
- 1147年 クレルヴォーの大修道院院長で、当時宗教界に非常に大きな影響力があった聖ベルナール(クレルヴォーのベルナルドゥス)に助言を求めて書簡を送る。
- 同年 教皇エウゲニウス3世によって開かれたトリーアの教会会議において、ヒルデガルトの幻視体験がマインツ大司教ハインリヒによって俎上に上がり話題となる。教皇使節が彼女の許に派遣され、執筆途中の『道を知れ』を持ち帰り、教会会議上でそれが披露され、多くの人に感銘を与えたとされる。この時同席していた聖ベルナールの取り成しもあって、教皇より執筆の認可が正式に彼女に与えられ、これによって彼女の名が広く知られるようになる。
- この頃から典礼用の宗教曲を作詞作曲し始める。彼女の作曲した典礼劇『諸徳目の秩序』(Ordo virtutum)は、作者の知られた典礼劇そして道徳劇としては最も古い。
- 1150年 彼女の名声によって各地から修道女が集まり手狭になったため、ビンゲン近郊のルペルツベルク(Rupertsberg)に新しい女子修道院を建設して移る。
- 1151年 『道を知れ』完成。
- 1150年代後半 インゲルハイム宮廷 (de:Ingelheimer Kaiserpfalz)にてフリードリヒ1世・バルバロッサ(赤髭王)に謁見。
- 1158年 - 1163年 ドイツ王国各地へ説教旅行(計3回)
- 1163年 フリードリヒ・バルバロッサよりルペルツベルク女子修道院に対し、皇帝による保護の勅令が出される。
- 1165年 アイビンゲン(Eibingen)に庶民階級のための新しい修道院を建設。
- 1167年 - 1170年 病床に臥す。
- 1170年 - 1171年ドイツ王国各地へ説教旅行
- 1173年 フォルマール死去。後任にザンクト・ディジボード男子修道院よりゴットフリート(Gottfried)が就任。彼女の『生涯』を執筆。
- 1176年 ゴットフリート死去。
- 1177年 ヒルデガルトとかねてから文通し共感していたベルギーのガンブルー修道院出身のギベール・ド・ガンブルー(Guibert de Gembloux)が彼女の秘書となり、『生涯』を追補執筆。
- 1178年 破門された貴族を保護し、その死後同修道院敷地内に埋葬した件で、マインツの司教座聖堂参事会員達との間で確執。マインツ大司教クリスチャンよりルペルツベルク女子修道院に対し聖務停止(聖体拝領の禁止、聖歌唱の禁止)の禁令が出される。
- 1179年 3月禁令が解かれる。9月17日ヒルデガルト死去。
[編集] 補足
- 出生地についてはボッケルハイム(Böckelheim)という記述もあり、ディジボーデンベルク近くのボッケルハイム城の在った現在のシュロスボッケルハイム(Schloßböckelheim)と思われるが、詳細は不明。
- ユッタの名前については、シュパンハイム(Spanheim)とシュポンハイム(Sponheim)の両方の記述がある。現在シュポンハイムと呼ばれる地名は、当時シュパンハイムと呼ばれていたらしい。ディジボーデンベルク近くのシュポンハイム城の貴族(領主シテファン伯)出身。ケルン司教区の大司教フーゴー・フォン・シュポンハイム(de:Hugo von Sponheim)は彼女の兄弟。
- ディジボーデンベルクのザンクト・ディジボード修道院は、アイルランドの聖コルンバ系修道士ディジボード(St.Disibod / Disibodus)が700年頃にこの地に教会を建設したのが始まり。1000年頃にマインツの大司教によって再整備された。16世紀の半ばに戦争や略奪で破壊され、現在は史跡として残されている。聖ディジボードの名前はヒルデガルトの記述によってのみ知られているに過ぎない。
- ビンゲンとライン川の支流ナーエ川を挟んだ対岸の丘陵地は、ザルツブルクのベネディクト会修道士聖ルペルト(St.Rupert / Rupertus)の一族の所有地であり、その聖遺物が納められてルペルツベルクと名付けられた聖地であった。ヒルデガルトが新しく建設する女子修道院をこの地に定めたのは、聖ルペルトがドイツ圏で初めて女子修道院を建設した人であった事が念頭にあったと思われる。このヒルデガルトの修道院は、17世紀の三十年戦争でスウェーデン軍によって破壊され放棄された。現在地図上にこの名は残っていない。
- ビンゲンとライン川を挟んだ対岸の、現在リューデスハイム(Rüdesheim)と呼ばれる丘陵地帯に建設されたアイビンゲンの女子修道院は19世紀まで存在していたが、俗化が進み、また地所が没収されたために閉鎖された。20世紀になって同地に新しく聖ヒルデガルトの名前を付けた女子修道院が建てられている。
[編集] ヒルデガルトの幻視体験について
- 対外的には40歳代の“Scivias”『道を知れ』で初めて示され、その序文で実は5歳頃から体験している事が述べられている。またその中で彼女は、この幻視体験が興奮状態(トランス)や瞑想状態ではなく、実に意識がしっかりしていて周囲の状況が分かっている正常な覚醒状態で生じ、それを受けている時も周囲で現実に生じている事象を同時に知覚していると述べている。そしてこの幻視体験を Visio(ヴィシオ、英:ヴィジョン)という言葉で表現している。
- 具体的な幻視の状況について、彼女は後にギベールへの書簡の中で次のように述べている。
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- 「生き生きした光の影」(umbra viventis luminis)が現れ、その光の中に様々な様相が形となって浮かび上がり輝く。炎のように言葉が彼女に伝わり、また見た物の意味付けは一瞬にしてなされ、長く、長く記憶に留まる。
- また別の「生ける光」(Lux vivens)がその中に現れる事があるが、それを見ると苦悩や悲しみがすべて彼女から去ってしまい、気持ちが若返る。
- これらの幻視が示す内容は、ほとんどがキリスト教に関わる事柄であり、彼女の基盤となったベネディクト会の規範の範疇で解釈され意味付けがなされている。またこれらを表した幾つかの絵画に見られるように非常に象徴的であり、中世修道会のもつ神秘主義的な面が強く現れているとして後のスコラ学と対比される点でもある。
[編集] ヒルデガルトの思想について
伝記、著作品、書簡などから伺えるのは、彼女がベネディクトの戒律を厳格に守る修道女であり、当時のベネディクト会派の中でも特に保守的であったということであろう。これは彼女の性格やユッタ・フォン・シュポンハイムの影響が大きかったということもあるが、穿った見方をすれば、幻視体験をするという特異的な体質が周囲に明らかになった時の、下手をすれば異端ともされかねない反応に対する、予防保全的な身の処し方であったのかも知れない。
- 聖母マリア
- 当時既にマリア崇敬が広まってきており、ベネディクト会の中でもそれを積極的に肯定する者も多く現れていた。一方ヒルデガルトは初期のキリスト教徒と同様に、マリアという対象そのものには無関心に近く、マリアの処女性という事に対してのみ非常に強い関心を表している。
- 教会(ecclesia)
- 「教会」(エクレシア)という概念に対して非常に強い愛着を示している。簡単にいえば「教会は神と一体であり、我々はその愛情に包まれている」という、修道会特有の考え方に対して大きな共感をもっていた。彼女はマリアの処女性を投影し、「キリストの花嫁」を強調して、「教会」は一層女性的な性格を帯びることになる。ここにヒルデガルトのフェミニズムを見て取る事ができるとする考え方もある。
- 聖ウルスラ
- 特に宗教歌に目立つのが聖ウルスラ(en:Saint Ursula)に関するものである。ケルンの守護聖人でもある聖ウルスラを女子修道院の象徴としたのはヒルデガルトが初めてというわけではないだろうが、その処女性と殉教者という事に共感して多くの聖歌を作詞作曲したことは、特に注目すべき事であろう。そして、ここにもまた女子修道院の独自性を求めた姿が認められる。
- 階層(ordo)
- 神の世界での厳格な階層秩序(オルド)があるように、人間界にも階層があることを積極的に認めている。つまり貴族と庶民が違う階級で生活するのは当然の事であるという、貴族社会の考え方を修道院内でも実践していた。進歩的な他の女子修道院長からこの点について融和を図るべきだとの指摘の書簡に対しては、神はすべての階層に等しく愛を示している。生まれつき階層が分かれているのだからそのように生きるべきだとの回答をしている。
- 明らかではないが、庶民子女に対する修道院として後にアイビンゲンの修道院を建設したのは、彼女なりの方策ではなかっただろうか。
[編集] 著作品
[編集] 著書
- "Scivias" 『道を知れ』(1141年 - 1151年) (1153出版)
- "Liber Vitae Meritorum" 『生命の功徳の書』(1158年 - 1163年)
- "Liber Divinorum Operum" 『神の業(わざ)の書』(1163年 - 1173年/1174年)
- これら3つは幻視体験に基づく3部作とされる。
- "Analecta Sacra" 『聖なる抜粋』
- "Causae et Curae" 『病因と治療』(1151年 - 1158年) 複合的な医学書 (ヒルデガルトの著作ではないとする見解もある)
- "Physica" 『自然学』(1151年 - 1158年) 単純な医学書
- "Vita Sancti Disibodi"『聖ディジボード伝』
- "Vita Sancti Reperti" 『聖ルペルト伝』
[編集] 宗教曲
ヒルデガルトはユッタ・フォン・シュポンハイムからプサルテリウム(サルテリー:ツィターやチェンバロの原型楽器)の演奏の手解きを受けており、合唱の伴奏楽器として使用したと思われる。
- Ordo virtutum 道徳劇『諸徳目の秩序』
- 作者の知られた典礼劇では最古。1150年頃作成。
- 『道を知れ』第3部13章(最後の章)の内容に則しているので、『道を知れ』に添付されたものとも考えられる。
- Symphonia harmoniae celestium revelationum 聖歌集『天からの啓示による協和合唱曲』
- 1140年頃から作られ始めた宗教曲は、現在77曲が2つの写本、デンデルモンド写本(Dendermonde manuscript)、及びリーゼン写本(Riesencodex)に残されている。この内、1170年頃のデンデルモンド写本は、彼女自身が関わっているものと思われる。
- 曲種分類は次の通り(Olivia Carter Mather氏の分類に従う[1])
アンティフォナ | 43曲 | Cum erubuerint / Cum processit factura / Hodie aperuit clausa porta / Karitas habundat(Caritas abundat) / Laus trinitat / Nunc gaudeant / O beata infantia / O beatissime Ruperte / O Bonifaci / O choruscans lux stellarum / O cohors milicie floris / O cruor sanguinis / O eterne Deus / O felix apparicio / O frondens virga / O gloriosissimi lux vivens angeli / O magne pater / O mirum admirandum / O orzchis Ecclesia / O pastor animarum / O pulchre facies / O quam magnum miraculum / O quam mirabilis / O rubor sanguinis / O spectabilis viri / O speculum columbe / O splendidissima gemma / O successores fortissimi / O tu illustrata / O victoriosissim / O virgo Ecclesia / O virtus Sapientia / Quia ergo femina / Quia felix puericia / Spiritus sanctus vivificans / 《In matutinus laudibus「朝課の讃歌集」》(8つのアンティフォナ: Studium divinitatis / Unde quocumque / De patria etiam / Deus enim in prima / Aer enim volat / Et ideo puelle / Deus enim rorem / Sed diabolus) |
レスポンソリウム | 18曲 | Ave Maria, O auctrix vite / Favus distillans / O clarissma mater / O dulcis electe / O Euchari columba / O felix anima / O lucidissima apostolorum / O nobilissima viriditas / O quam preciosa / O tu suavissima virga / O viriditas digiti Dei / O vis eternitatis / O vos angeli / O vos felices radices / O vos imitatores / Rex noster promptus / Spiritui sancto honor sit / Vos flores rosarum |
イムヌス | 5曲 | Ave generosa / Cum vox sanguinis / Mathias sanctus / O ignee spiritus / O viridissima virga(※) |
セクエンツィア | 7曲 | Columba aspexit / O ecclesia occuli tui / O Euchari in leta via / O Ierusalem / O ignis spiritus paracliti / O presul vere civitatis / O virga ac diadema |
アレルヤ | 1曲 | Alleluia, O virga mediatrix |
キリエ | 1曲 | Kyrie eleison |
その他の合唱曲 | 2曲 | O dulcissime amator / O Pater omnium |
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- ※ O viridissima virga はアンティフォナに分類されている例もある
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[編集] 資料
(書籍)
- 『ビンゲンのヒルデガルトの世界』種村季弘/著(青土社, 2002年) ISBN 4791759788
- 『ビンゲンのヒルデガルト』H.シッペルゲス/著, (熊田・戸口/訳) (教文館, 2002年) ISBN 476426630X
- 『ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学』バーバラ・ニューマン/著, (村本訳) (新水社, 1999年) ISBN 4883850021
- 『聖ヒルデガルトの医学と自然学』ヒルデガルト・フォン・ビンゲン/著,(トループ/英訳,井村/監訳)(ビイングネットプレス, 2001年) ISBN 4434067656
- 『聖女ヒルデガルトの生涯』ゴットフリート修道士他/著, (荒地出版社,1998年) ISBN 4752101068
- 『Scivias(道を知れ)』第2部 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン/著(佐藤/訳),『中世思想原典集成』第15巻 上智大学中世思想研究所/編訳,(平凡社, 2002年) ISBN 4582734251
- "The Letters of Hildegard of Bingen vol.1", Oxford University Press, USA (1998年) ISBN 0195121171
- "The Letters of Hildegard of Bingen vol.2", Oxford University Press, USA (1998年) ISBN 0195120108
- "The Letters of Hildegard of Bingen vol.3", Oxford University Press, USA (2004年) ISBN 0195168372
(CD)
- ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:『シンフォニア-宗教歌曲集』・セクエンツィア(中世音楽アンサンブル)(日本BMG BVCD-1601)
- ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:『神々しい黙示録』・サマーリー指揮、オックスフォード・カメラータ(香NAXOS 8.550998)
- Hildegard von Bingen : "Canticles of Ecstasy", Sequentia (BMG CD 05472 77320 2)
- Hildegard von Bingen : "Voice of the Blood", Sequentia (BMG CD 05472 77346 2)
- Hildegard von Bingen : "O Jerusalem" , Sequentia (BMG CD 05472 77353 2)
- Hildegard von Bingen : "Symphoniae" , Sequentia (BMG GD 77020) (上記日本国内盤と同じ内容)
- Hildegard von Bingen : "Ordo Virtutum" , Sequentia (BMG 2 CD 05472 77394 2)
- Hildegard von Bingen : "Saints" , Sequentia (BMG 2 CD 05472 77378 2)
(DVD)
- Hildegard von Bingen:"In Portrait/Ordo Virtutum", Vox Animae,The Virtues(英BBC Opus Arte : OA-0875-D)
[編集] 脚注
- ↑ On-line Reference Book for Medieval Studies/The Music of Hildegard von Bingen by Olivia Carter Mather