バロンドール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バロンドール(Ballon d'Or=黄金の球)は、1956年にフランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』が創設した欧州年間最優秀選手に贈られる賞。ヨーロッパ52カ国のサッカージャーナリストの投票で受賞者が決定する。1995年からヨーロッパサッカー連盟(UEFA)に加盟するクラブでプレーをしていれば国籍を問われないようになった。
最多受賞者はヨハン・クライフ(1971、1973、1974)、ミシェル・プラティニ(1983、1984、1985)、マルコ・ファン・バステン(1988、1989、1992)の3名が3回で並んでいる。現役選手としてはロナウド(1997、2002)の2回が最多。
記者の投票ということで、どうしても実際の活躍や実績よりもネームバリューや選考直前の試合の印象などが先行し易くなり、したがってGKやDFのように守備で貢献した選手よりMFやFWのような攻撃の選手が受賞対象になってしまう傾向が強い(例えばゴードン・バンクス(イングランド)、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ(ともにイタリア)が受賞できない理由は、彼らは守備選任のポジションであったからだ、とする意見は根強い)。また、セリエAとリーガ・エスパニョーラ所属の選手が選ばれやすい傾向も顕著である。
こうしたことから、この賞が真の欧州サッカー最優秀選手を選んでいると考えるファンは少ない。また、情報漏れも酷くなってきており問題視されている。
目次 |
[編集] 歴代受賞者
[編集] 1950年代
- 1956年 スタンリー・マシューズ イングランド
- 1957年 アルフレッド・ディ・ステファノ スペイン
- 1958年 レイモン・コパ フランス
- 1959年 アルフレッド・ディ・ステファノ スペイン
[編集] 1960年代
- 1960年 ルイス・スアレス スペイン
- 1961年 オマール・シボリ イタリア
- 1962年 ヨゼフ・マソプスト チェコ
- 1963年 レフ・ヤシン ロシア(旧ソ連)
- 1964年 デニス・ロー スコットランド
- 1965年 エウゼビオ ポルトガル
- 1966年 ボビー・チャールトン イングランド
- 1967年 フロリアン・アルベルト ハンガリー
- 1968年 ジョージ・ベスト 北アイルランド
- 1969年 ジャンニ・リベラ イタリア
[編集] 1970年代
- 1970年 ゲルト・ミュラー ドイツ
- 1971年 ヨハン・クライフ オランダ
- 1972年 フランツ・ベッケンバウアー ドイツ
- 1973年 ヨハン・クライフ オランダ
- 1974年 ヨハン・クライフ オランダ
- 1975年 オレグ・ブロヒン ウクライナ(旧ソ連)
- 1976年 フランツ・ベッケンバウアー ドイツ
- 1977年 アラン・シモンセン デンマーク
- 1978年 ケビン・キーガン イングランド
- 1979年 ケビン・キーガン イングランド
[編集] 1980年代
- 1980年 カール=ハインツ・ルンメニゲ ドイツ
- 1981年 カール=ハインツ・ルンメニゲ ドイツ
- 1982年 パオロ・ロッシ イタリア
- 1983年 ミシェル・プラティニ フランス
- 1984年 ミシェル・プラティニ フランス
- 1985年 ミシェル・プラティニ フランス
- 1986年 イーゴル・ベラノフ ウクライナ(旧ソ連)
- 1987年 ルート・フリット オランダ
- 1988年 マルコ・ファン・バステン オランダ
- 1989年 マルコ・ファン・バステン オランダ
[編集] 1990年代
- 1990年 ローター・マテウス ドイツ
- 1991年 ジャン・ピエール・パパン フランス
- 1992年 マルコ・ファン・バステン オランダ
- 1993年 ロベルト・バッジョ イタリア
- 1994年 フリスト・ストイチコフ ブルガリア
- 1995年 ジョージ・ウェア リベリア
- 1996年 マティアス・ザマー ドイツ
- 1997年 ロナウド ブラジル
- 1998年 ジネディーヌ・ジダン フランス
- 1999年 リバウド ブラジル
[編集] 2000年代
- 2000年 ルイス・フィーゴ ポルトガル
- 2001年 マイケル・オーウェン イングランド
- 2002年 ロナウド ブラジル
- 2003年 パベル・ネドベド チェコ
- 2004年 アンドレイ・シェフチェンコ ウクライナ
- 2005年 ロナウジーニョ ブラジル
- 2006年 ファビオ・カンナヴァーロ イタリア
[編集] ジンクス
バロンドールとFIFAワールドカップの奇妙な関係性として、「W杯開催の前年度にバロンドール受賞者を輩出した国は優勝できない」というものがある。この現象は「バロンドールの呪い」と呼ばれ、一種のジンクスとしてサッカーファンの間で知られている。
詳細は下記の通りだが、当該受賞者は地区予選もしくは本大会に「全員」代表メンバーとして参加している(「受賞者が参加しなかったから負けた」訳ではない)。活躍が期待された受賞者本人の不調が、必ずしもチームの敗退の理由になった訳でも無い。むしろ大会を通じて大活躍した選手もいる。バロンドールの呪いは単なる偶然なのか、それとも必然なのかは、議論の分かれるところだろう。
- 1965年度受賞のエウゼビオがいた ポルトガルは、準決勝で優勝したイングランドに破れ3位。エウゼビオ自身は9得点を挙げ大会得点王となった。なお、この大会で最優秀選手に輝いたイングランドのボビー・チャールトンが、1966年度のバロンドールも受賞している。
- 1969年度受賞のリベラがいた イタリアは決勝まで勝ち進んだものの、ペレ率いるブラジルの前に屈し準優勝。リベラ自身はサンドロ・マッツォーラとのポジション争いに破れ控えに甘んじたものの、準決勝の西ドイツ戦で値千金の決勝ゴールを挙げている。
- 1973年度受賞のクライフを擁した オランダは、決勝で開催国・西ドイツに破れ準優勝。しかしこの大会でオランダは、革新的な戦術で旋風を巻き起こし、その中心選手であったクライフが大会最優秀選手賞を受賞。さらに同年のバロンドールにも輝き、2年連続の受賞となった。この時西ドイツのキャプテンだったフランツ・ベッケンバウアーは、「(ワールドカップまで獲ったのに)これ以上何をすれば貰えるんだ」と嘆いたという。
- 1977年度受賞のシモンセンがいた デンマークは、ヨーロッパ地区予選で敗退。デンマークは本大会初出場がそれから8年後の1986年で、この時33歳のシモンセンも代表メンバーに名を連ね、1試合(1次リーグ・西ドイツ戦)に出場している。
- 1981年度受賞のルンメニゲがいた 西ドイツは、決勝でパオロ・ロッシらを擁したイタリアに破れ準優勝。ロッシは6得点で大会得点王(ルンメニゲが5得点だった)となり、この年のバロンドールも受賞した。なお、ルンメニゲは1978年・1982年・1986年と3大会連続でW杯に出場しているが、1986年も準優勝に終わっており、2大会連続準優勝という苦渋を味わっている。
- 1993年度受賞のロベルト・バッジョは、孤軍奮闘して イタリアを決勝まで導いた。しかしブラジルとの決勝戦、スコアレスドローの末に行なわれたPK戦で、5人目のキッカー、R.バッジョが外してしまい、あと一歩のところで準優勝となった。
- 1997年度受賞のロナウドの活躍で ブラジルは決勝まで駒を進めたが、ロナウド自身が決勝当日に体調不良で倒れてしまい大ブレーキとなる。結局、開催国・フランスに 0 - 3 の大差で破れ準優勝に終わった。ただしロナウド自身は大会最優秀選手賞を受賞している。
- 2001年度受賞のマイケル・オーウェンを擁する イングランドは、準々決勝で優勝国となったブラジルの前に、先制点をあげながらも破れ、ベスト8止まりだった。