バウハウス
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バウハウス(Bauhaus)は、1919年、ドイツヴァイマル(ワイマール)の地に設立された美術(工芸・写真・デザイン等を含む)と建築に関する総合的な学校である。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。
「バウハウス」はドイツ語で「建築の家」を意味する。 学校として存在したのは、ナチスによって1933年に閉鎖されるまでの14年間のみであるが、バウハウス様式はモダニズム建築に大きな影響を与えた。
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[編集] 前史
ヴァイマル公により建築家ヴァン・デ・ヴェルデが校長に招かれ、1902年に工芸ゼミナールが設立された。1906年、工芸学校に発展。ヴァン・デ・ヴェルデはドイツ工作連盟展でムテジウスと衝突した結果解雇へと追いやられ、後継をヴァルター・グロピウスに託した。
[編集] 変遷
1918年にドイツ帝国が崩壊しヴァイマル共和国が成立。1919年、工芸学校と美術学校が合併してヴァイマル国立バウハウスになり、初代校長にグロピウスが就任した(当時の校舎は1911年にヴァン・デ・ヴェルデ設計で建てられた旧工芸学校の建物)。バウハウス(建築の家)という名称は、建築を中心にした造形活動の統一を目指すグロピウスの構想によるもの。
最初期には、予備課程を担当していたヨハネス・イッテン(Johannes Itten; 1888年-1967年)の考え方もあり、教育内容には合理主義的(機能主義的)なものと、表現主義的(神秘主義・精神主義的、芸術的、手工業的)なものが混合されていた。
その後グロピウスは、 テオ・ファン・ドースブルフによるデ・ステイル(De Stijl)の、より合理主義的・機能主義的な考え方の影響を受けた。そのこともあり、グロピウスとヨハネス・イッテンとの間に対立が生じ、ヨハネス・イッテンがバウハウスを去り、後継者として、モホリ=ナジ(モホリ=ナギ)が予備課程を担当することとなった。この結果、合理主義・機能主義(工業デザインや大量生産に合致するような方向)が、バウハウスの中心的な傾向となっていった。
右翼勢力からバウハウスは共産党と繋がりがあると中傷を受けた。ヴァイマルのバウハウスは閉鎖され、1925年にデッサウに移転、デッサウ市立バウハウスとなった。デッサウの校舎はグロピウスの設計によるもので、モダニズム建築の代表作の一つとして、世界各国に紹介された。グロピウスは1928年に校長を退いた。
のちにミース・ファン・デル・ローエが校長に就任。1932年にベルリンに移転した(私立学校)。しかし1933年には、ナチスにより閉鎖され、ミースらはアメリカに移住し、バウハウスの運動を伝えた。
[編集] 影響など
バウハウス叢書の刊行も含めて、後世の芸術・思想・教育方法等に与えた影響は、計り知れない。
他に、バウハウスで教鞭をとった者として、リオネル・ファイニンガー、 カンディンスキー、 クレー、 ヨゼフ・アルバース(Josef Albers; 1888年-1976年)、 ヘルベルト・バイヤー、 オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer; 1888年-1943年)などがいる。
なお、モホリ=ナジ(モホリ=ナギ)は、亡命先のアメリカ・シカゴにニュー・バウハウスを設立している(1937年から1939年まで)。
「ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」は、1996年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。
(参考)校長
- 1919年-1928年:ヴァルター・グロピウス
- 1928年-1930年:ハンネス・マイヤー(Hannes Meyer; 1889年-1954年)
- 1930年-1933年:ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe; 1886年-1969年)
[編集] 新生バウハウス
バウハウス大学(Bauhaus University Weimar): ヴァイマル(ワイマール)校舎は、旧東ドイツの時代、建築の単科大学として機能していたが、東西併合後、バウハウスの流れを汲む国立の総合芸術大学としての再編が計画され、1996年、建築、建築工学、アート&デザイン、メディアの四領域を有するバウハウス大学(Bauhaus University Weimar)として、改めてバウハウスの名を掲げることとなった。その中でも、大学院修士課程(MFA)のみのコースとして設置された「Public Art and New Artistic Strategies」は、バウハウス大学の全領域を横断しながら新しい芸術を探求する実験的なコースとして注目されている。
バウハウス・コレーグ: 1999年9月、バウハウス財団管理によるデッサウ校舎において理事長を務めるオマー・アクバーが、実験的教育機関バウハウス・コレーグを立ち上げた。対象は大卒や専門課程既卒者で、クラスは英語で行われている。履修期間は1年(3期)で、1学期だけでも履修できる。私設的な学校なので、公的な卒業資格は得られない。往来のバウハウスが掲げていた「全ては建築に収束する」ではなく、テーマは「都市」。メディア、建築、アート、デザインなどの専門知識を持った20人前後の学生たちで成り立つ。バウハウスブランドを利用しているいると言う批判もあるが、21世紀のバウハウスを見据えた実験的試みが行われている。
[編集] その他
大阪市立工芸高等学校本館(1923年)はヴァン・デ・ヴェルデのヴァイマル・バウハウス校舎に影響を受けたアール・ヌーヴォー風の建物である。
[編集] 関連項目
- テオ・ファン・ドースブルフ
- モホイ=ナジ・ラースロー
- リオネル・ファイニンガー
- ワシリー・カンディンスキー
- パウル・クレー
- ヨゼフ・アルバース
- ヘルベルト・バイヤー
- オスカー・シュレンマー
- ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
- マーセル・ブロイアー(マルツェル・ブロイアー)