チャンピオン・カーニバル
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チャンピオン・カーニバルとは、毎年春に全日本プロレスが行っている総当りリーグ戦またはトーナメント戦の名称である。略称はチャンカー。
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[編集] 概要
1973年4月から、ジャイアント馬場の「世界のチャンピオンを集めて雌雄を決したい」という構想の下に始まった。「春の本場所」と呼ばれ、 年末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』に並ぶ全日本プロレス最大のイベントとなった。数多くの名レスラーが優勝を目指して好勝負を展開した。
四天王時代はハードなシングルマッチの連戦で多数の負傷者が出た。このときの反省か、後に三沢光晴らが全日本を脱退して旗揚げしたプロレスリングノアでは、シングルトーナメント(リーグ戦)はほとんど行われていない。だが、チャンピオンカーニバルによって選手の地力が大いに高められたのも事実である。
なお、1983年から1990年の間はトーナメント戦(リーグ戦)は行われず、多数のタイトルマッチを行うシリーズとして開催された。
[編集] 1973年大会
- 参加15人
- ジャイアント馬場 ※優勝
- マーク・ルーイン ※準優勝
- ザ・デストロイヤー
- キング・イヤウケア
- ムース・モロウスキー
- ヒロ・マツダ
- カリプス・ハリケーン
- バロン・シクルナ
- サンダー杉山
- 大熊元司
- マシオ駒
- アントニオ・プグリシー
- マティ鈴木
- マッド・ラシアン
- サムソン・クツワダ
- 内容
- トーナメントの結果、ジャイアント馬場が第1回大会優勝
[編集] 1974年大会
- 参加15人
- ジャイアント馬場 ※優勝
- ミスター・レスリング ※準優勝
- ジャンボ鶴田
- マーク・ルーイン
- ザ・デストロイヤー
- サンダー杉山
- マティ鈴木
- 高千穂明久
- サムソン・クツワダ
- マシオ駒
- アブドーラ・ザ・ブッチャー
- キング・イヤウケア
- ルーファー・ジョーンズ
- ジョー・ソト
- ソーラー・ホワイト
- 内容
- ジャイアント馬場が2連覇。1回戦のザ・デストロイヤーとアブドーラ・ザ・ブッチャーの試合は4回ノーコンテストのため両者失格となった。
[編集] 1975年大会
- 参加14人()内は決勝リーグ戦の成績
- ジャイアント馬場(3勝) ※優勝
- ジンキニスキー(2勝1敗) ※準優勝
- ザ・デストロイヤー(1勝2敗)
- ザ・レスリング(3敗)
- ジャンボ鶴田
- 高千穂明久
- キラー・コワルスキー
- 大熊元司
- スティーブ・カーン
- マイク・ジョージ
- グレート小鹿
- サムソン・クツワダ
- ボブ・オートンJr
- マーク・ルーイン
- 内容
- ジャイアント馬場が無敗で3連覇を果たす
[編集] 1976年大会
- 参加14人
- アブドーラ・ザ・ブッチャー 18点 ※優勝
- ジャイアント馬場 18点 ※準優勝
- ジャンボ鶴田 17点
- 大木金太郎 17点
- ザ・バラグーダ 17点
- ザ・デストロイヤー 16点
- キング・イヤウケア 16点
- サムソン・クツワダ 9点
- ザ・ビースト 9点
- グレート小鹿 7点
- 大熊元司 6点
- バディ・ウォルフ 6点
- ラリー・レーン 4点
- ラリー・シャープ 0点
- 内容
- この年からリーグ戦になる。アブドーラ・ザ・ブッチャーが優勝決定戦でジャイアント馬場を下し初優勝
[編集] 1977年大会
- 参加15人
- ジャイアント馬場 20点 ※優勝
- ジャンボ鶴田 21点 ※準優勝
- アブドーラ・ザ・ブッチャー 20点
- 大木金太郎 18点
- ザ・デストロイヤー 17点
- スーパー・デストロイヤー 16点
- ブル・ラモス 16点
- 高千穂明久 12点
- サムソン・クツワダ 11点
- グレート小鹿 10点
- 大熊元司 9点
- ジム・デュラン 6点
- ビル・ホワイト 4点
- ホセ・ゴンザレス 2点
- レッド・ウルフ 0点
- 内容
- 優勝決定戦は師弟対決となった。ジャイアント馬場がジャンボ鶴田を下し、4度目の優勝
[編集] 1978年大会
- 参加15人
- ジャイアント馬場 24点 ※優勝
- アブドーラ・ザ・ブッチャー 25点 ※準優勝
- ジャンボ鶴田 22点
- 大木金太郎 20点
- キム・ドク 17点
- ザ・デストロイヤー 16点
- ドン・レオ・ジョナサン 16点
- キング・イヤウケア 16点
- ブラック・テラー 12点
- テッド・デビアス 10点
- グレート小鹿 4点
- 大熊元司 4点
- ロッキー羽田 4点
- ルーク・グラハム 2点
- フランク・モレル 0点
- 内容
- ジャイアント馬場が優勝決定戦でアブドーラ・ザ・ブッチャーに勝利。2年連続の逆転優勝を飾った。
[編集] 1979年大会
- 参加16人
- アブドーラ・ザ・ブッチャー 24点 ※優勝
- ジャンボ鶴田 24点 ※準優勝
- ジャイアント馬場 23点
- ザ・デストロイヤー 22点
- ディック・スレーター 21点
- 大木金太郎 18点
- ドン・カラス 18点
- トーア・カマタ 16点
- マリオ・ミラノ 10点
- 石川隆士 8点
- グレート小鹿 6点
- 大熊元司 6点
- ロッキー羽田 6点
- ビリー・フランシス 4点
- ドン・ミラノ 2点
- ビッグ・レッド 0点
- 内容
- 優勝決定戦は両者リングアウトとなったため急遽再試合となった。
[編集] 1980年大会
- 参加13人
- ジャンボ鶴田 19点 ※優勝
- ディック・スレーター 19点 ※準優勝
- アブドーラ・ザ・ブッチャー 18点
- テリー・ファンク 18点
- ジャイアント馬場 17点
- タイガー・戸口 15点
- テッド・デビアス 12点
- レイ・キャンディ 8点
- ミステリアス・アサシン 6点
- ロッキー羽田 4点
- グレート小鹿 4点
- 大熊元司 2点
- カール・ファジー 0点
- 内容
- ジャンボ鶴田が必殺のジャーマンスープレックスでディック・スレーターを下し初優勝を果たした。
[編集] 1981年大会
- 参加14人
- ジャイアント馬場 21点 ※優勝
- ジャンボ鶴田 19点 ※準優勝
- アブドーラ・ザ・ブッチャー 18点
- ブルーザー・ブロディ 18点
- ジャック・ブリスコ 18点
- タイガー・戸口 17点
- キラー・ブルックス 12点
- ジ・アベンジャー 10点
- 石川隆士 8点
- グレート小鹿 6点
- ロッキー羽田 6点
- プリンス・トンガ 6点
- 大熊元司 4点
- ウェイン・ファリス 3点
- 内容
- トップだったジャンボ鶴田が最終戦で両者リングアウトに終わり、ジャイアント馬場が逆転し6度目の優勝。
[編集] 1982年大会
- 参加18人
- ジャイアント馬場 29点 ※優勝
- ジャンボ鶴田 28点 ※準優勝
- テッド・デビアス 28点
- ブルーザー・ブロディ 28点
- 天龍源一郎 26点
- ビル・ロビンソン 25点
- モンゴリアン・ストンパー 20点
- アレックス・スミルノフ 18点
- バック・ロブレイ 16点
- マイティ井上 11点
- ロッキー羽田 10点
- プリンス・トンガ 10点
- 石川隆士 9点
- 佐藤昭雄 8点
- グレート小鹿 8点
- 大熊元司 8点
- ビル・ハワード 2点
- 阿修羅・原 0点
- 内容
- ジャイアント馬場はビル・ロビンソンやモンゴリアン・ストンパー戦で得点を取れず優勝が危ぶまれたが、上位陣から確実に勝利を奪い連覇を達成、通算7度目の優勝とした。
[編集] 1991年大会
- 参加14人
- Aブロック
- Bブロック
- 内容
- リーグ戦形式のチャンピオン・カーニバルが復活。2リーグ形式となり、Bブロック1位のジャンボ鶴田がAブロック1位のスタン・ハンセンに勝利し優勝。
[編集] 1992年大会
- 参加20人
- Aブロック
- 三沢光晴 17点 ※準優勝
- ジャンボ鶴田 16点
- テリー・ゴディ 15点
- ジョニー・エース 12点
- 渕正信 10点
- ダグ・ファーナス 8点
- ジャイアント・キマラII 6点
- 菊地毅 4点
- M・ブラスター 2点
- ジョー・ディートン 0点
- Bブロック
- スタン・ハンセン 18点 ※優勝
- スティーブ・ウィリアムス 15点
- 川田利明 12点
- ダニー・スパイビー 12点
- 小橋健太 11点
- 田上明 8点
- ダニー・クロファット 8点
- 小川良成 4点
- デビット・アイズリー 2点
- ビリー・ブラック 0点
- 内容
- スタン・ハンセンが文句なしの全勝優勝。
[編集] 1993年大会
- 参加13人
- スタン・ハンセン 20点 ※優勝
- 三沢光晴 20点 ※準優勝
- テリー・ゴディ 19点
- スティーブ・ウィリアムス 19点
- 川田利明 18点
- 田上明 17点
- 小橋健太 12点
- デイビーボーイ・スミス 8点
- ジョニー・エース 8点
- パトリオット 7点
- ダニー・クロファット 4点
- ダグ・ファーナス 4点
- 秋山準 0点
- 内容
- 再び1リーグ形式に戻った。上位の選手がお互いに星を潰しあい大混戦となり、その中でスタン・ハンセンと三沢光晴が優勝戦進出を決めた。2年連続のこの2人での優勝戦となり、またしてもスタン・ハンセンが勝利、2連覇を達成した。
[編集] 1994年大会
- 参加12人
- 川田利明 19点 ※優勝
- スティーブ・ウィリアムス 19点 ※準優勝
- スタン・ハンセン 18点
- 田上明 17点
- 小橋健太 17点
- ジョニー・エース 11点
- 秋山準 9点
- ビッグ・ジョン・ノード 6点
- ダグ・ファーナス 4点
- ジョニー・スミス 4点
- ジ・イーグル 4点
- 三沢光晴 4点
- 内容
- 2年連続準優勝の三沢光晴が2戦戦った後欠場するというアクシデントが発生。リーグ戦は四天王とスタン・ハンセン、スティーブ・ウィリアムスが争う激戦となり、川田利明とスティーブ・ウィリアムスがスタン・ハンセン以外に全勝し優勝決定戦に進出。優勝戦は川田利明が勝利し、超世代で初の優勝者となる。
[編集] 1995年大会
- 参加11人
- 三沢光晴 17点 ※優勝
- 田上明 17点 ※準優勝
- 川田利明 16点
- スタン・ハンセン 16点
- 小橋健太 13点
- ジョニー・エース 11点
- 秋山準 6点
- ダグ・ファーナス 6点
- ダニー・スパイビー 4点
- ダニー・クロファット 4点
- 大森隆男 0点
- 内容
- 三沢光晴は全勝で勝ち進んでいったものの、川田利明戦で左眼窩骨折という事態になる。去年に引き続きリタイアかとの憶測も出たが、その後も出場し、7勝3分で優勝戦に進出。田上明も順調に勝ち点を重ねていき、優勝戦は四天王同士の対決となった。三沢光晴がタイガー・スープレックスで田上明を下し、怪我を乗り越えての初優勝を果たした。
[編集] 1996年大会
- 参加12人
- 田上明 17点 ※優勝
- スティーブ・ウィリアムス 17点 ※準優勝
- 三沢光晴 16点
- スタン・ハンセン 16点
- 小橋健太 16点
- 川田利明 15点
- ゲーリー・オブライト 12点
- ジョニー・エース 9点
- パトリオット 6点
- 秋山準 5点
- 大森隆男 2点
- 本田多聞 1点
- 内容
- 田上はハンセンに勝利するなど確実にポイントを稼いだ。ウィリアムスも三沢や川田を倒し優勝戦に進出。優勝戦で田上はノド輪落としで勝利し、前回準優勝の雪辱を果たし初優勝。
[編集] 1997年大会
- 参加13人
- 川田利明 19点 ※優勝
- 小橋健太 19点
- 三沢光晴 19点
- スタン・ハンセン 18点
- スティーブ・ウィリアムス 18点
- 田上明 18点
- ゲーリー・オブライト 12点
- ジョニー・エース 10点
- 秋山準 9点
- ジャイアント・キマラ 6点
- 本田多聞 4点
- 大森隆男 4点
- 泉田純 0点
- 内容
- 川田、小橋、三沢の3人が19点で並び、史上初の巴戦での優勝決定戦となる。第1試合は三沢と小橋が引き分け。第2試合は疲労が残る三沢を川田が下し、川田は小橋との第3試合も勝利。川田は初のシングルでの三沢越えを果たすとともに、2度目の優勝を達成した。
[編集] 1998年大会
- 参加13人
- 三沢光晴 19点 ※優勝
- 秋山準 19点 ※準優勝
- 川田利明 18点
- 小橋健太 18点
- スタン・ハンセン 17点
- スティーブ・ウィリアムス 17点
- ジョニー・エース 14点
- ゲーリー・オブライト 12点
- 田上明 8点
- 大森隆男 6点
- ジャイアント・キマラ 4点
- ウルフ・ホークフィールド 4点
- 泉田純 0点
- 内容
- 秋山がハンセンを破るなどの活躍で優勝戦に進出。三沢も三冠王者の貫禄を見せ、優勝戦に駒を進める。優勝戦では三沢が得意のエルボーで秋山に勝利し、2度目の優勝を果たした。
[編集] 1999年大会
- 参加10人
- ベイダー 15点 ※優勝
- 小橋健太 16点 ※準優勝
- 三沢光晴 14点
- 秋山準 11点
- 田上明 11点
- ジョニー・エース 9点
- ゲーリー・オブライト 8点
- 高山善廣 3点
- 新崎人生 2点
- 大森隆男 1点
- 内容
- 小橋は無敗でリーグ戦を終える。初参加のベイダーは巨漢とパワーを生かして優勝戦に進出。優勝戦はベイダーアタックでベイダーが勝利し、初優勝を達成した。
[編集] 2000年大会
- 参加16人
- 小橋健太 ※優勝
- 大森隆男 ※準優勝
- 三沢光晴
- スティーブ・ウィリアムス
- ジョニー・スミス
- ベイダー
- マイク・バートン
- 泉田純
- 本田多聞
- ジョニー・エース
- 高山善廣
- 川田利明
- 井上雅央
- 秋山準
- ウルフ・ホークフィールド
- 田上明
- 内容
- 1975年大会以来のトーナメントで行われた。小橋が優勝し、昨年準優勝の悔しさを晴らした。
[編集] 2001年大会
- 参加10人
- 天龍源一郎 15点
- 太陽ケア 15点
- 川田利明 14点
- スティーブ・ウィリアムス 13点
- マイク・バートン 13点
- 藤原喜明 7点
- ジョニー・スミス 7点
- 長井満也 2点
- ジム・スティール 2点
- ジョージ・ハインズ 2点
- 内容
- 川田は最終戦でウィリアムスに敗れ、天龍とケアに逆転を許してしまう。優勝戦は天龍が勝利し、初優勝を飾った。
[編集] 2002年大会
- 参加14人
- Aブロック
- Bブロック
- 天龍源一郎 12点
- 武藤敬司 8点 ※優勝
- 太陽ケア 7点
- スティーブ・ウィリアムス 7点
- マイクロトンド 3点
- ジョージ・ハインズ 3点
- 荒谷信孝 2点
- 内容
- 川田が負傷により欠場を余儀なくされるアクシデントが発生。Aブロックからは小島とバートンが無敗で優勝決定トーナメントに進出。Bブロックは天龍が全勝と抜け出し、武藤は膝を痛め、2敗を喫する苦しい展開になるも何とか抜け出した。優勝決定トーナメントでは武藤が小島とバートンに勝利し、初優勝を果たした。
[編集] 2003年大会
[編集] ヘビー級
- 参加10人
- 小島聡 ※優勝
- 嵐 ※準優勝
- 武藤敬司
- ジョージ・ハインズ
- ビッグ・ジョン・テンタ
- ギガンテス
- ザ・グラジエーター
- 荒谷信孝
- ジョニー・スミス
- 安生洋二
- 内容
- この年はトーナメントで行われた。武藤が準決勝で嵐に敗れるというハプニング。決勝では小島が嵐をラリアットで下し、初優勝。
[編集] ジュニアヘビー級
- 参加6人
- 内容
- 初の試みとして開催された。カール・コンティニーとジミー・ヤンが勝ち点8で並び、優勝戦でカールが勝利。世界ジュニア・ヘビー級王者への挑戦権を獲得。
[編集] 2004年大会
- 参加10人
- Aブロック
- Bブロック
- 大森隆男 7点
- 小島聡 5点
- 太陽ケア 4点
- 川田利明 2点
- 荒谷望誉 2点
- 内容
- 川田が1試合戦って負傷により欠場というアクシデント。優勝決定戦は小島に勝った健介と大森に勝った武藤との勝負になり、武藤がシャイニングウィザードからムーンサルトプレスで勝利、2度目の優勝を達成した。
[編集] 2005年大会
- 参加12人
- Aブロック
- 小島聡 7点
- 佐々木健介 6点 ※優勝
- 太陽ケア 5点
- 嵐 4点
- ジャイアント・バーナード 4点
- 近藤修司 2点
- Bブロック
- 川田利明 7点
- ジャマール 6点 ※準優勝
- 武藤敬司 5点
- ブキャナン 5点
- チャック・パルンボ 5点
- 諏訪間幸平 2点
- 内容
- ジャマールがその巨漢を生かした戦いで小島に勝利。健介は川田を北斗ボムで下し、この2名が決勝戦に進んだ。決勝では健介が痛めた右腕を攻められる苦しい展開になるも、ラリアットから北斗ボムでジャマールにフォール勝ち。昨年準優勝の無念を晴らした。
[編集] 2006年大会
- 参加12人
- Aブロック
- 諏訪魔 7点 ※準優勝
- 太陽ケア 6点 ※優勝
- 武藤敬司 5点
- 佐々木健介 5点
- 吉江豊 5点
- ブキャナン 2点
- Bブロック
- 内容
- 鈴木と小島はともに無敗でリーグ戦を突破したが、鈴木はケアにうまく丸め込まれフォール負け、小島はVOODOO-MURDERSの乱入によりリングアウト負けを喫する。決勝ではケアが得意技の波乗りスープレックス、TKOで流れを手繰り寄せ、最後はH5Oで勝利した。また、セコンドについたRO&DがVMの乱入を阻止し、勝利に貢献した。ケアはベイダー以来7年ぶりの外国人のチャンピオン・カーニバル優勝を達成した。