テリー・ゴディ
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テリー・ゴディ(Terry Gordy、1961年4月23日 - 2001年7月16日)は、アメリカテネシー州出身の元プロレスラー。「人間魚雷」の異名をもつ。甥のリチャード・スリンガー、息子のレイ・ゴディもプロレスラーである。
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[編集] 略歴
わずか13歳でプロレス入りしたと言われている。テキサス州アマリロの「ファンク道場」で学び、ファンクス一家の一員となる。1977年にTerry Meccaとしてデビュー。1979年にテリー・ゴディと改名し、マイケル・ヘイズとタッグチーム「ファビュラス・フリーバーズ」を結成。テキサス州ダラスを中心に全米で活躍した。
1983年8月に全日本プロレスに参戦するため初来日。全日の常連となる。パワーボムをフィニッシュ・ホールドとして頭角を現す。テリー・ゴディのパワーボムは技を決めた後に、そのままフォールの体勢に持ち込むのが特徴で、それ以降多くの日本のレスラー達が使うようになった。1988年にはスタン・ハンセンとのタッグで世界タッグ王座を獲得。また同年の世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇した。1990年3月「殺人医師」ことスティーブ・ウィリアムスとタッグチーム「殺人魚雷コンビ」を組み、世界最強タッグ決定リーグ戦を1990年、1991年と二連覇する等活躍した。日本でのテリー・ファンク引退試合では、ファンクスの対戦相手にハンセン、ゴディが選ばれた。(テリー・ファンクはその後現役に復帰した)。
1992年にスティーブ・ウィリアムスと共にWCW入りし、スコット・スタイナー、リック・スタイナーのスタイナー兄弟と抗争する。WCWは当時新日本プロレスと提携し、スタイナー兄弟は新日にも登場したがゴティ、ウィリアムズは全日との契約は終了していたものの、全日との関係を重視して登場しなかった。
1993年8月、内臓疾患により全日本のシリーズを欠場。1年後の1994年7月、サマーアクションシリーズ中盤より全日本マットに復帰したものの全盛期の動きには程遠く、これが最後の全日本への来日となった。
その後1995年、IWAジャパンに参戦。画鋲デスマッチ等を行いファンを驚かせた。1996年にはジ・エグゼキューターというリングネームでミック・フォーリーと組んでWWF(現WWE)に登場。ジ・アンダーテイカーと抗争した。1998年にはWARに登場。かつての三冠戦カードである天龍源一郎とのシングル戦が実現した。
酒豪として知られ、それがたたってか持病の心臓病が悪化し2001年7月16日に心不全で急死した。最後の来日は同年2月4日のIWAジャパン横浜文化体育館大会。ジャンボ鶴田が苦手意識を持った数少ないトップレスラーだっただけに、体調管理の甘さが悔やまれる。
[編集] タイトル履歴
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[編集] その他
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | 1961年生 | 2001年没