ダダイスム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダダイスム(Dadaïsme)とは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことである。単にダダとも。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストとよぶ。
1910年代半ばにヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで同時多発的かつ相互影響を受けながらその流れは発生した。「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名したため(辞典から適当に見つけた単語だったとも言われる)、この命名をダダの始まりとすることもある。ツァラなどによってチューリッヒで行われた、特にチューリッヒ・ダダと言われる運動は、キャバレー・ヴォルテールを活動拠点として参加者を選ばない煽動運動的要素も孕んでいた。
同様の活動について都市ごとに、
- チューリッヒ・ダダ(1915年頃-1920年頃、主要な参加者は、ヒューゴー(フーゴー)・バル、ハンス(ジャン)・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベック、マルセル・ヤンコ、トリスタン・ツァラ、ハンス・リヒター、ゾフィー・トイバーなど)
- ニューヨーク・ダダ
- ベルリン・ダダ(1917年頃-1922年頃、主要な参加者は、リヒャルト・ヒュルゼンベック、ゲオルゲ・グロッス、ジョン・ハートフィールド、ラウル・ハウスマン、ヨハネス・バーダー、ハンナ・ヘッヒ、ヴァルター・メーリング、ゲルハルト・プライス、ヴィーラント・ヘルツフェルデなど)
- ケルン・ダダ(1917年頃-1922年頃、主要な参加者は、マックス・エルンスト、ヨハネス・テオドア・バーゲルト[本名アルフレート・グリューンバルト])
- ハノーヴァー・ダダ(1917年頃-1922年頃、主要な参加者は、クルト・シュヴィータース)
- パリ・ダダ(1919年頃-1924年、主要な参加者は、アンドレ・ブルトン、ジャン・クロッティ、ポール・エリュアール、ベンジャミン・ペレ、フィリップ・スポー、ルイ・アラゴン、ジョルジュ・リブモン=デセーニュ、ジャック・リゴー、テオドア・フラエンケルなど)
などがある。1918年にチューリッヒでツァラによりダダ宣言(第2宣言)がなされる。その後1922年頃にツァラとアンドレ・ブルトンとの対立が先鋭化し、ダダから離脱したブルトン派によるシュルレアリスムの開始と前後して勢いを失った。
ドイツの画家ハンス・リヒターは1910年代半ばから1920年代にかけて、ダダイスム映画作品も手がけている。
目次 |
[編集] 写真
ダダイズムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成された虚無感を背景に、常識や秩序に対する否定や破壊といった感覚を表現の基調とする。
ダダと呼べるような写真作品を残している代表的な写真家・美術家に、マン・レイ、クリスチャン・シャド、マックス・エルンスト、ジョン・ハートフィールド、クルト・シュヴィッタース、ハンナ・ヘッヒ、ラウル・ハウスマンなどが挙げられる。
ダダに特に多い写真表現としては、フォトモンタージュがある。単に写真を切り貼りしたというコラージュというような作品から、より緻密に1枚の作品に仕上げているものまであり、後者の作品は、シュルレアリスムの写真へもつながっていく。複数の写真を組み合わせることにより、比較的に容易に、意外性を生じさせたり社会風刺ができるところに、ダダイストたちがフォトモンタージュを好んだ理由の1つがあると推測される。
[編集] 日本
日本においては、戦前は、美術の分野において 村山知義、柳瀬正夢らのMAVO、文学の分野において辻潤、高橋新吉、吉行エイスケ、北園克衛らの活動がある。
戦後は、1960年代にネオダダを標榜して高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之らによるハイレッド・センターが「東京ミキサー計画」などのハプニングイベントを遂行した。
(stub) なお、ウルトラマンに登場した三面怪人ダダのネーミングは、ダダイズムに由来するという。ちなみに、「ブルトン」の名を持つ怪獣もウルトラマンに登場している。
[編集] 主な芸術家
List of Dadaistsを参照。
- ギヨーム・アポリネール
- ルイ・アラゴン(Louis Aragon; 1897年-1982年)
- ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)(Hans Arp, Jean Arp; 1887年-1966年)
- ポール・エリュアール(Paul Eluard; 1895年-1952年)
- マックス・エルンスト(Max Ernst; 1891年-1976年)
- ジョージ・グロス(ゲオルグ・グロッス)(George Grosz; 1893年-1959年)
- ジャン・クロッティ(Jean Crotti; 1878年-1958年)
- クリスチャン・シャド
- クルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters; 1887年-1948年)
- フィリップ・スポー(Philippe Soupault; 1897年-1990年)
- サルバドール・ダリ
- トリスタン・ツァラ(Tristan Tzara; 1896年-1963年)
- マルセル・デュシャン
- ゾフィー・トイバー(Sophie Taeuber; 1889年-1943年)
- ラウル・ハウスマン(Raoul Hausmann; 1886年-1971年)
- ヨハネス・テオドア・バーゲルト(本名アルフレート・グリューンバルト; Alfred Emanuel Ferdinand Grünwald)(Johannes Theodor Baargeld; 1892年-1927年)
- ヨハネス・バーダー(Johannes Baader; 1875年-1955年、または、1876年-1955年、または、1875年-1956年)
- ジョン・ハートフィールド(John Heartfield, Helmut Herzfelde; 1891年-1963年)
- ヒューゴー・バル(フーゴー・バル)(Hugo Ball;1886年-1927年)
- リヒャルト・ヒュルゼンベック(Richard Huelsenbeck; 1892年-1974年)
- ライオネル・ファイニンガー
- ゲルハルト・プライス(Gerhard Preiss; )
- テオドア・フラエンケル(Théodore Fraenkel; 1896年-1964年)
- アンドレ・ブルトン(André Breton; 1896年-1966年)
- ハンナ・ヘッヒ(Hannah Höch; 1889年-1978年)
- ヴィーラント・ヘルツフェルデ(Wieland Herzefelde; 1896年-1988年)
- ベンジャミン・ペレ(Benjamin Péret; 1899年-1959年)
- ヴァルター・メーリング(Walter Mehring; 1896年-1981年)
- マルセル・ヤンコ(Marcel Janco; 1895年-1984年)
- ジャック・リゴー(Jacques Rigaut; 1899年-1929年)
- ハンス・リヒター(Hans Richter; 1888年-1976年)
- ジョルジュ・リブモン=デセーニュ(Georges Ribemont Dessaignes; 1884年-1974年)
- マン・レイ