スベトラナ・クズネツォワ
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スベトラナ・クズネツォワ(Svetlana Kuznetsova, Светлана Александровна Кузнецова,外国人名の日本語表記に即したより正確な読みは、スヴェトラーナ・クズネツォーワ 1985年6月27日 - )は、ロシア・サンクトペテルブルク市出身の女子プロテニス選手。2004年の全米オープン女子シングルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス3位。身長174cm、体重73kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。これまでにWTAツアーで、2004年全米オープンを含むシングルス6勝、ダブルス12勝を挙げている。
クズネツォワは旧ソ連でも有名な自転車競技一家に生まれ育った。父親は著名な指導者、母親は元世界選手権優勝者、兄はアトランタ五輪銀メダリストであるが、スベトラナは7歳から始めたテニスを職業に選んだ。2002年からWTAツアーで優勝できる力をつけ、シングルスで年間2勝、ダブルスで3勝を挙げた。この年はダブルスでアランチャ・サンチェスとペアを組み、東京・有明コロシアムの「トヨタ・プリンセス・カップ」の最後の開催で優勝したこともある。(このトーナメントは1990年に「ニチレイ・レディース」という名前で始まり、1997年から「トヨタ・プリンセス・カップ」の名称に変更されたが、2002年限りで廃止された。)2003年のクズネツォワは、ウィンブルドンで初のベスト8進出を決めた。この時は4回戦で(本大会をきっかけに注目度が急上昇した)マリア・シャラポワを破ったが、続く準々決勝で全仏オープン優勝者のジュスティーヌ・エナン=アーデンに 2-6, 2-6 で敗れている。ダブルスではベテランのマルチナ・ナブラチロワとペアを組み、ここから貴重な経験を得た。
2004年の全米オープンで4大大会初優勝を達成。同じロシア勢どうしの対決でエレナ・デメンティエワを 6-3, 7-5 で破った。2004年度の4大大会は、女子シングルスでロシア勢が世界を席巻した。全仏オープンでアナスタシア・ミスキナがロシアの女子テニス選手として最初の4大大会優勝者になった後、ウィンブルドンではマリア・シャラポワが17歳で初優勝を飾り、そして全米オープンではクズネツォワが優勝して、「3大会連続」でロシア人の女子チャンピオンが誕生した。エレナ・デメンティエワは全仏オープン決勝でもミスキナに敗れているため、2度の準優勝に甘んじた。
2005年は全豪オープンの女子ダブルスでオーストラリアのアリシア・モリクとペアを組み、決勝でリンゼイ・ダベンポートとコリーナ・モラリュー(ともにアメリカ)の組を 6-3, 6-4 で破って優勝した。同年のウィンブルドン女子ダブルスではアメリ・モレスモとペアを組んだが、決勝でリーゼル・フーバー(南アフリカ)とカーラ・ブラック(ジンバブエ)の組に 2-6, 1-6 で敗れ、4大大会女子ダブルス2勝目を逃している。しかし、大会前年優勝者として臨んだ全米オープンでは1回戦敗退の屈辱をなめた。
2006年3月末の「マイアミ・マスターズ」決勝でマリア・シャラポワを破って優勝した頃から、クズネツォワに復調が見えてくる。2006年の全仏オープンで2度目の4大大会決勝進出を果たしたが、過去の対戦成績で1度しか勝ったことがないジュスティーヌ・エナン=アーデンに 4-6, 4-6 のストレートで敗れて準優勝に終わり、2冠獲得はならなかった。