アナスタシア・ミスキナ
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アナスタシア・ミスキナ(Anastasia Myskina, Анастасия Андреевна Мыскина, 外国人名の日本語表記に即したより正確な読みは、アナスタシーヤ・ムイスキナ 1981年7月8日 - )は、ロシア・モスクワ市出身の女子プロテニス選手。2004年の全仏オープン女子シングルス優勝者で、ロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成した。シングルス自己最高ランキングは3位。これまでにWTAツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げている。身長174cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ミスキナはモスクワ市の名門クラブ「スパルタクラブ」で、アンナ・クルニコワやエレナ・デメンティエワと幼なじみだった(3人とも同じ年である)。このクラブは、旧ソビエト連邦時代の名選手オルガ・モロゾワがテニスコーチの夫とともに設立したものである。
2002年に女子テニス世界ランキングを59位から11位に上げ、世界トッププレーヤーの仲間入りをする。20歳を過ぎてからの急成長は、女子プロテニス界では比較的遅い。2003年に22歳で世界トップ10入りを果たす。
アナスタシア・ミスキナは2004年の全仏オープンにて、ロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成する。幼なじみのエレナ・デメンティエワとの「ロシア対決」の決勝は女子テニス史上初の快挙であった。この後、ミスキナはロシア代表選手としてアテネ五輪にも出場したが、女子シングルス準決勝でベルギー代表選手のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れて「銅メダル決定戦」に回った。2人の準決勝敗退選手によって争われる銅メダル決定戦で、ミスキナはオーストラリア代表選手のアリシア・モリクに 3-6, 4-6 のストレートで敗れ、銅メダルも逃して4位に終わった。
ミスキナの全仏優勝に続いて、ウィンブルドン選手権ではマリア・シャラポワ、全米オープンではスベトラナ・クズネツォワが優勝し、2004年度の4大大会では「3大会連続」でロシア人の女子シングルス優勝者が誕生した。ミスキナはデメンティエワと並び、先輩としてこの大躍進の基礎を据えた選手のひとりと言えるだろう。
2005年のシーズンは不振に悩み、全仏オープンで大会前年優勝者が1回戦で敗退する屈辱をなめた。この後ウィンブルドンで初めての準々決勝進出がある。2006年度はウィンブルドンで2年連続のベスト8に入ったが、前年と同じくアメリ・モレスモに2年連続で敗れた。