スプラトリー諸島
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スプラトリー諸島(Spratly)または南沙諸島(なんさしょとう、中:南沙群岛、越:群島長沙Quần đảo Trường Sa)とは、南シナ海に浮かぶ約100の小さな島々。諸島全体は大変小さな島々で構成され、互いの距離は十数キロメートルから数十キロメートル程度で位置している。一般の人が普通に居住できる環境ではなく、島そのものにはほとんど価値がないが、海洋・海底資源がみこめる。そのため中華人民共和国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、中華民国が領有権を主張している。現在、島を実効支配しているのは中華人民共和国、中華民国、フィリピン、ベトナムなどである。
インドシナ半島を植民地としていたフランスが1930年からいくつかの島々を実効支配していたが、1939年にヨーロッパでの戦争が始まるのと前後して日本が中沙諸島と共に領有を宣言し占領、以降太平洋戦争終結まで支配していた。
また、戦中は新南群島と呼ばれ、1951年のサンフランシスコ講和条約でその領有権を放棄するまで、日本が領有権を主張していた。行政区分は、昭和13年12月23日外甲第116号閣議決定により、台湾の高雄市の一部としていた。リン鉱石の採取が主な産業で従事者が住んでいたが、戦火の拡大により撤退した。
しかし、帰属先を明確にしなかったために、その後1949年にフィリピンが領有を宣言し、1956年以降は南ベトナムがたびたび上陸。南ベトナム政府が1973年9月に同国フォクトイ省への編入を宣言したことに対し、中国も翌年1月に抗議声明を出して領有権主張を本格化させていった。
1970年代後半に海底油田の存在が確認され、広大な排他的経済水域内の海底資源や漁業権の獲得のため、各国が相次いで領有を宣言している。また広大な地域に広がる島々は軍事的にも価値がある。中国を含めたASEANでの会議で軍事介入はせず現状維持の取り決めが結ばれたが、最近中国軍が建物を建設しマレーシアなどから非難を浴びている。
1995年米比相互防衛条約が解消されると中国軍の活動が活発化し、フィリピン主張の島を占領して建造物を構築した。 2004年9月に、中国とフィリピンの2国間で海底資源の共同探査で合意
2005年3月には、2ヶ国に続きベトナムも加わり、探査が行われている。
ドイツ人アマチュア無線家のグループがキャンプを張っての移動運用(DXペディション)を試み、ベトナム軍の守備隊に銃撃されて死傷者が出る騒ぎになった事がある。
[編集] 主な島など
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