サティヤ・サイ・ババ
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サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba सत्य साईं बाबा、1926年11月23日-)は有名な、議論の的となっているインドのグルであり、何百万もの信奉者と何百ものサッティヤ・サーイーン・バーバーグループを各国に持つ。
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[編集] 概要
サティヤ・ナーラーヤナ・ラージュ(Sathya Narayana Raju)の名でラトナカラム(Ratnakaram)家に生まれた。10代の時、ファキール(行者)のシルディー・サーイーン・バーバー शिरडी साईं बाबा の生まれ変わりであると主張し、それ以降その名を継いだ。
シヴァとシャクティのアヴァターラ(化身)にして、全知全能の神の力を持つ愛の権化を自称する。それから1960年代末に西洋の霊的探求者の興味を引くことになった。サティヤ・サイ・ババは次第に有名になり、1960年代末には西洋人が彼を訪ねるようになったのち奇跡の人として世界中にその名が知れ渡る。
2004年現在、百万人以上の信奉者がおり、主にインド人かインド系の民族の人々からなる。帰依者向けの講話を編纂した多数の書籍と、数百のサイババを賞賛する本が出版されている。インド政府の一部でははサイ・ババを「国宝」にしようという動きがある。
[編集] 思想・行動
ヴィブーティー(聖灰)や指輪や時計のような小さな物を出現させる「奇跡」を大勢の信者の前で行うことで有名である。無から実体化を主張するが、学者による管理された環境での調査は拒んでいる。信奉者達はしばしばサイババによる様々な種類の眼を見張る奇跡を報告する。サイババはダルマ(正しい行い)とヴェーダを復興するために化身したと説いており、真実、正しい行い、平安、愛、非暴力の実践を説く。そして世界の主要な宗教の統一を教え、それらは全て神の導きであるとする。
彼の信仰者と組織は、例えば学校や、バンガロールにあるサイババの主なアーシュラム(修行場)の近くの最先端の病院での医療、アーンドラ・プラデーシュ州とタミル・ナードゥ州の数千人への水の供給計画など世界中の事業に関わっている。サイババが生まれ、住んでいるプッタパルティは当初小さな村だったが現在は大学、世界宗教博物館、プラネタリウム、超専門病院などが建設された。それらは全て無償である。
[編集] 不正
元信奉者のバサヴァ・プレマナンドやウェールズのピアニストのデヴィット・ベイリーらは、時計を出現させるときの手品を隠しカメラで撮影し、この映像は現在インターネットで公表されている。
また、サイババが若い男や信者の子供らと、性関係を持っているとの主張が複数存在する。これらの疑惑は子供が被害にあったと主張する欧米人の親の信者の証言で明るみになった。それら性的虐待の証拠は本と雑誌で1976年から発表され、これもインターネットで検索可能である。但し、性的虐待理由にサイババに対して起こされた欧米の裁判でサイババに不利な判決が出た例はないようだ。
他にも、サイババの住居で4人の男性が殺害事件が起こったことも、批判の的になっている。欧米諸国、特に北欧とオランダではデンマークの映画"Seduced by Sai Baba"の公開以降で、これまでの子供の性的虐待疑惑や奇跡と称される手品が広く報道され、2000年以降、悪評のために信奉者は減少。日本でも"Seduced by Sai Baba"がSBSで放送された後も同様に減少した。
一方インドでは、サイババ信仰は手品の映像の公表にもかかわらず、一向に衰える兆しを見せない。貧民層中心の信者、さらに奇跡に懐疑的でない国民性の他に、一大観光産業であるサイババを守るために、地域ぐるみでのスキャンダルの揉消しが行われていると指摘されている。
また、これらの疑惑が発覚する以前には、首相・最高裁判事も含めたインドの有力者がサイババを国宝扱いで神の生まれ変わりとして崇め信奉していたため、サイババ批判はインド国内ではタブー扱いであるとの指摘もある。前述のサイババの住居内で起こった殺人事件でも地元警察は何らまともな調査も行わずサイババ側の主張を受け入れたと批判されている。
[編集] 教え
主な教え