ゲルト・フォン・ルントシュテット
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カール・ルドルフ・ゲルト・フォン・ルントシュテット(Karl Rudolf Gerd von Rundstedt, 1875年12月12日 - 1953年2月24日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦中の陸軍元帥(1940年)。彼はドイツ最良の将軍の一人として知られる。
プロイセン貴族の家庭に生まれた。陸軍士官学校卒業後、1893年に士官候補生としてカッセルの第3歩兵連隊に入営。1904年に陸軍大学(de)に入学、3ヵ年間の参謀将校課程(毎年160名の新入生を受け入れ、75%が試験で落第した。)修了後、1907年ベルリンの参謀本部に勤務。1910年彼はカッセルの第11軍団の参謀部に配属。第一次世界大戦にはトルコ、フランスに出征。1914年少佐に昇進。
戦後、兵力を10万人に制限されたヴァイマル共和国の陸軍に選び残される。1925年にパーダーボルンの第18歩兵連隊の連隊長に着任。後年、同連隊から名誉連隊長の称号を授与された。右の写真は名誉連隊長の襟章を着用するフォン・ルントシュテット元帥である。1927年に歩兵少将に、1929年には中将に昇進。1932年にベルリンの第3師団長になる。同年7月フランツ・フォン・パーペン首相の命によりプロイセン州政府の庁舎を制圧、騒乱状態の危機管理能力に欠ける社民党政権を倒す。同年10月には歩兵大将に昇進。彼はヒトラーの政権奪取前に軍人としてトップキャリアに達していた。1938年11月に上級大将で退官した。
1939年の第二次世界大戦勃発により現役復帰したフォン・ルントシュテットはポーランド侵攻で南部軍集団司令官、フランス侵攻ではA軍集団の司令官として、アルデンヌの森林地帯を突破してフランダースに展開する英仏連合軍をフランス本土から切り離して速やかな勝利を得た。1940年7月、陸軍元帥に昇進。同年10月、フランス占領軍を統括する西方軍総司令官となった。
1941年のバルバロッサ作戦では南部軍集団司令官を務めたが、一部の部隊を独断で退却させ、12月にヒトラーから罷免され予備役となった。1942年3月には再び西方軍総司令官となり、同年8月のディエップ奇襲上陸を撃退。1944年6月のノルマンディー上陸作戦では兵力配置についてヒトラーの方針を批判し、7月いったん罷免されたが、9月に再度復帰、バルジの戦いをはさんで1945年3月までその職にあった。ヒトラーに逆らって、復帰できた将官はルントシュテットだけである。1949年病気のため釈放。
[編集] 参考文献
- John R.Angolia and Adolf Schlicht 著、 Uniforms & Traditions of the German Army 1933-1945, Vol.1,R.James Bender Publishing, 1984.
カテゴリ: ドイツ第三帝国の軍人 | 1875年生 | 1953年没