アラビア半島
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アラビア半島は、アジアとアフリカを繋ぐ場所に位置する西アジア南西の巨大な半島である。
紅海、アカバ湾、アラビア海、アデン湾、ペルシア湾、オマーン湾等に囲まれており、北の付け根はイラクとヨルダンにあたる。半島の南東方面にはルブアルハリ砂漠が広がっている。
政治的には、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン王国、イエメン共和国に分かれており、カタールとサウジアラビアの沖にバーレーンがある。
[編集] 歴史
- 紀元前2世紀ごろ ローマ帝国とアジアの季節風貿易で紅海沿岸の都市が栄える。
- 5世紀ごろ 商業発展し、メッカとヤスリブ(メディナ)を中心に栄える。
- 570年頃 ムハンマド誕生
- 630年 ムハンマド率いるイスラム軍がアラビア半島統一。
- 632年 ムハンマド死去。初代正統カリフとしてアブー=バクルが選出される。首都はメッカ。
- 661年 ウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤが選挙によらず第4代正統カリフ・アリーからカリフ位を奪い、ウマイヤ朝成立。本拠地ダマスカスに遷都。
- 750年 アッバース家の武装蜂起によりウマイヤ朝滅亡。アッバース朝成立。バグダッドに遷都。
- 8世紀後半 ハールーン・アッ=ラシードの治世。帝国全盛期。
- 869年 ザンシュの乱起こる。
- 10世紀後半 アミールがカリフから軍事・行政権奪取。この頃アラビア半島の領土の大半を喪失。
- 1055年 セルジューク朝がバグダッド入城。
- 1258年 第36代カリフ・ムスタアスィムがモンゴル軍により処刑され、アッバース朝滅亡。
- 1260年 チンギス・ハンの孫フレグがイルハン朝建国。
- 1335年 イルハン朝の直系断絶。
- 1392年 ティムール軍バグダッド入城。
- 16世紀ごろ オスマン朝のセリム1世、メッカ・メディナの保護権獲得。
- 18世紀半ば ワッハーブ王国成立。
- 1920年 セーヴル条約により、アラビア半島の領土喪失。イギリス・フランスの支配進行。
- 19世紀初頭 エジプト総督ムハンマド・アリーがワッハーブ王国を滅ぼす。
- 1902年 サウード家がリヤド奪還。
- 1932年 サウード家がワッハーブ王国を復活させ、サウジアラビア王国と称する。
[編集] 関連項目
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