アメンホテプ4世
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アメンホテプ4世(Amenhotep IV)は古代エジプトの王(ファラオ)で、在位期間は紀元前1379年~紀元前1362年ころである。後に改名してアクエンアテン(Akhenaten)、イクナートン。彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。
[編集] 改革の原因
アモン(アメン、テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことを、アメンホテプ4世が嫌ったと考えられる。また、アメンホテプ4世自身が奇形であったがために、神官勢力が神(アモン)の呪いである根拠としたことも原因の一つでもあると考えられる。
[編集] 改革の内容
- 首都をテーベからナイル川を277キロほど下った東岸のテル・エル・アマルナ(古名 アケトアトン)に移転。
- 従来の多くの神々の崇拝を禁じて、神々の像を破壊し、太陽円盤の唯一神アテンへの信仰に切り替えた。自らもイクナアトンと名前を変えた。
- アマルナ美術と呼ばれる、写実的・開放的な芸術を生み出した。
[編集] 后妃・子女
妻には古代エジプト三大美女の一人と言われるネフェルティティがいる。子には次代のファラオスメンクカーラー(弟で共同統治者という研究もある)、その次の代のファラオで黄金のマスクで有名なツタンカーメン、ツタンカーメンの妃アンケセナーメンなどがいる。