スパルタ教育
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スパルタ教育( - きょういく)は、古代ギリシアのポリス・スパルタで子供は国の財産として、12歳から質実剛健の厳しい軍事トレーニングを課し、その過程で体に障害を生じたものは情け容赦なく切り捨て、有能なものだけを市民として育てた教育。アテナイの自由で、芸術や弁論を尊重した教育の対極。
スパルタの実際の教育についての資料は、プルタルコスの『英雄伝』(対比列伝)のリュクルゴスの項にある。彼による教育改革が、いわゆるスパルタ教育である。
そこではまず、親は自分の子供を自分の好き勝手に育てることは許されない。「子供は都市国家スパルタのもの」であるため、生まれるとすぐ親は長老の所に連れて行く。そこで「健康でしっかりした子」と判定されれば、育てる事が許される。病身でひ弱な子供は「生きていても国の為に為らない」として、ターユゲトンのもとにあるアポテタイの淵に投げ捨てられた。
子供が7歳になると、集められて、いくつかの組に分け、同じ規律の下、食事を共にし、遊びも学習も一緒に行われた。一切の訓練の眼目は、命令に服従すること、試験に耐え、闘えば必ず勝つことで、頭は丸刈りにされ、裸体に裸足で訓練を行った。12歳になると、下着もなくなり、沐浴も禁止された。
また、意図的に十分な食事を与えず、大人の食事や畑の作物を盗ませるようにした。これは、盗みによって兵士の能力としての大胆さや狡猾さを身に付けさせるためである。
祭りではみな裸で踊らされ、嫌がれば当然体罰があるので、スパルタでは男も女も平然とした様子で踊っていたらしい。
教育は成人に達するまで続き、どんなことであれ自分の好き勝手は許されず、町でも軍隊の駐屯地にいるのと同じ生活を求められ、どんなときでも自分は公人として国に仕えているという自覚を常に求められた。
20歳になると部下を持ち、戦争の時は彼らの指揮をとり、家では彼らを召使いにした。
教育の結果の一つとして、成人後に結婚するとなれば、強い子供を産めそうな女を男が取り合うこともあった。
[編集] 参考作品
- 『スパルタ教育』(カッパブックス、光文社 1969年)
このような質実剛健の教育を良しとして、作家の石原慎太郎が書いた教育論。当時評判を呼んだ。