もく星号墜落事故
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もく星号墜落事故(もくせいごうついらくじこ)は、第二次世界大戦後、1952年(昭和27年)に日本航空機(マーチン2-0-2、機体記号N93043)が墜落した航空事故である。
[編集] 概要
事故が発生したのは1952年(昭和27年)4月9日、羽田発伊丹経由福岡行きの便で、もく星号は離陸直後に消息を絶ち、その後、伊豆大島の三原山山腹に墜落しているのが確認された。乗客・乗務員37名全員死亡という、当時としては大規模な航空事故を起こした。
しかし、消息を絶ってから残骸となって発見されるまでの間は、マスコミや警察等の関係当局も情報をほとんど手に入れることができず、そのため多くの未確認情報が錯綜し、「米軍機が生存者を発見」「乗客全員無事」などの誤報が次々に打たれた。なお、この事故で講談師の大辻司郎や八幡製鉄社長の三鬼隆などの著名人が死亡している。
もく星号は、日本初の民間航空機として1951年(昭和26年)に就航したマーチン2-0-2型機(N93043)の愛称である。もく星号は、第二次世界大戦後としては初の民間航空機であったが、GHQ占領下ということもあって、日航側はパイロット、運行技術、機体など多くの部分でアメリカのノースウエスト航空に委託を行っていた。当時の航空管制や事故捜査は在日米軍の統制下にあったため、墜落事件の詳細は今もって不明な点が多い。
推理作家の松本清張は、この事件を題材にした「1952年日航機『撃墜』事件」「風の息」などで墜落原因として米軍機による撃墜が行われたという説を主張した。実際にそのようなことが行われたかどうかの真偽は、多くの資料がアメリカ軍の機密下に置かれたこともあり、定かでない。墜落原因としては他に、アメリカ人パイロットによる操縦ミス説か、管制ミス説がある。また、後に機長を空港まで送ったタクシー運転手による証言から機長飲酒説も挙げられている。
墜落直後、大島で大破した機体を撮影した写真には、アメリカ空軍人らしい2名の人影が写っているが、実際に彼らは何者か、何の目的で現場付近を歩いていたかは不明である。