誤報
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誤報(ごほう、英:misinformation)は、誤った情報や、報告および報道。この項ではマスコミによるそれを扱う。なお、マスコミ以外の発信者としては、次の3つに分類することができる。
- マスコミ以外の組織(会社や団体)によるもの。
- 一個人によるもの。
- 機械によるもの。
2による誤報の例は、山でのキャンプファイアーを誰かが山火事だと思って消防署に連絡するといったもの。セキュリティ機器が、異常事態が発生していないにも関わらず、何らかの原因で警報を鳴らすケースは3に含まれる。
以下、マスコミを発信者とした誤報について記述する。誤報にもさまざまな種類があり、中には必ずしも「誤った報道」とは言いきれないレベルのものもある。誤報に関する書籍(参考文献を参照)では、次のようなものを「誤報」として扱っている。
目次 |
[編集] 誤報の種類
[編集] 単純なミス
名称や肩書、数字(年齢[1]、電話番号、金額等)の誤り、写真の取り違え(例:Aという人物として紹介した写真が、実はBという人物のものだった)、誤訳といったものをここに分類する。城戸又一編『誤報』では、「衛生都市」(衛生→衛星)、「天丼を焼いただけで鎮火」(天丼→天井)、「秋の股のお手入れ」(股→肌)などといった誤植を「誤報」として扱っている。これらのミスは後の項目に比べると程度の小さいものとされ、この手のものが「誤報」の中で最も頻度の高いものとされている(後藤文康『誤報』103頁)。もちろん、単純なミスであるからといって、記事の影響が必ずしも軽微というわけではない。電話番号を誤って記載した場合は間違い電話の被害者を生むことにつながるし、株価の場合は株式市場に深刻な影響をもたらしかねない。
[編集] 情報提供者、取材対象者からの情報
情報元が誤った情報を発信し、そのまま報道したため誤報となったケース。映画館が上映時間を誤って新聞社にFAXした、博物館のチラシにある企画展の期間が間違っていた、といったパターンがよく見られる。これらは厳密に言えば責任は発信者側にあるが、読者(もしくは視聴者)に誤った情報を提供したという意味では報道機関の責任でもある。
[編集] 無知によるもの
[編集] 単独スクープ
いわゆる「飛ばし」によるもの。スクープをものにするには、取材対象や他のマスコミに気づかれないよう秘密裡に調査が行われる必要があり、裏付け調査が不充分な状態でも一定の信憑性があると判断された時点で見切り発車することになる。一旦報じられればその後はオープンな調査が行えるが、事前調査では掴めなかった事実が明らかになり、記事の内容は事実に反していたと判明する場合がある。
検察による強制捜査などが予定されていた場合、事前に報じられると捜査対象の逃亡や証拠隠滅のおそれがある為、事前にマスコミにリークし、実施前の公表を控えるよう依頼することがある。
企業合併では、経営トップ同士が合意に至ったとしても合併が成立するとは限らない。正式発表の前には株主や労働組合の合意を取り付ける必要があるのだが、それが不充分な状態で報道された場合、社内外からの反対により合併が破談になることがある。その場合、報じられた時点では誤報とはいえないものの、結果的には誤報となる。
[編集] 予定稿
裁判や試合などのように「いつ起きるか分かっているできごと」、あるいは高齢の著名人の死亡のように「いつかは起こるできごと」の場合、新聞界では、事前に記事を用意しておくという習慣がある。このような事前に書かれた原稿を予定稿と呼ぶ。選挙の当落のように、記事の種類によっては複数の予定稿が書かれることがある。もちろん新聞に掲載するにあたって多少の修正は行われるが、最初から記事を書く場合に比べて時間が節約できるため、速報性の向上につながる。また、記事のチェックを事前に余裕を持って行うことができるため、誤報を予防することができるというメリットもある。
ここでは、その予定稿を起因とした誤報のケースを挙げる。
- 1926年 - 元号「光文」誤報事件。詳細は光文を参照。
- 1955年 - セイロン(現在のスリランカ)で皆既日食の観測に共同通信が「成功」(実際には失敗)。
- 1994年 - リレハンメル冬季五輪のさなか、朝日新聞が「ボスニア、半旗の入場」と報道(実際には半旗ではなかった)。
ネット配信のニュースにおいて、予定稿が誤って閲覧可能な状態になってしまい、結果的に誤報となった例がある。短時間でミスに気づいて削除されることが多いが、RSSの普及に伴い誤報が人目に触れる危険性が高まっている。
[編集] 犯罪報道
犯罪報道において、特定の人物を犯人だと読者に印象づける報道がしばしば見られるものだが、犯人扱いされた人物が実際には犯行に関わっていなかったことが明らかになったり、裁判で無罪になった場合をここで扱う。1968年に起きた三億円強奪事件においては、翌年末に脅迫の容疑で別件逮捕された青年が、マスコミによって強奪事件の犯人であるかのような扱いを受けた。すぐに青年のアリバイが証明され釈放されたものの、新聞には男性の経歴や家族、交友関係などが詳しく記載されたため、無実と分かった後も好奇の目にさらされ続けたという。1974年の松戸OL殺人事件では、別件逮捕された後に1人の女性に対する殺人や死体遺棄などの罪で起訴された男性について、マスコミは連続女性殺人事件との関連をほのめかし続けた。「おわび」や「訂正」が出されたのは東京高裁において、殺人などについての無罪判決が出された後、およびそれが確定した後(1991年)のことである。また、1994年の松本サリン事件では、マスコミによって、1人の人物が逮捕、起訴されていないにも関わらず、約1年のあいだにわたって犯人視され続けた。いずれの報道にも共通するものとして、警察発表や、捜査員からの非公式な情報をさして裏づけを取ることもなく記事にしたり、記事をことさらセンセーショナルなものにしがちなマスコミの姿勢が挙げられる。また、松本サリン事件の報道の反省として述べられていたものに以下がある。
- 速報性を重視するあまり情報のチェックが不十分であったこと。
- マスコミどうしの競争の中で他社に抜かれたくないという思いがあったこと。
- 他社が記事にしているからこちらも載せて大丈夫だろうという姿勢があったこと。
[編集] 戦争報道
[編集] 虚報
何らかの過失により事実と異なる報道がなされる誤報と違って、虚報、ないしは虚偽報道では故意に事実と異なる報道がなされる。従来、虚報は誤報の文脈で語られてきたが、明確にこれと区別する必要があろう。詳細は虚偽報道の項を参照されたい。
[編集] 注
- ↑ 年齢を偽っている著名人は少なくない。ある新聞が某劇作家の本当の年齢を書いたところ、その人物の周辺から抗議を受けたという。後藤文康『誤報』105-106頁を参照。
[編集] 参考文献
- 城戸又一編『誤報』日本評論新社、1957年
- 林ヶ谷昭太郎『日本の新聞報道』池田書店、1990年
- 韮沢忠雄『マスコミ信仰の破たん』白石書店、1991年
- 土屋道雄『報道は真実か』国書刊行会、1994年
- 後藤文康『誤報』岩波書店、1996年
- 池田龍夫『新聞の虚報・誤報――その構造的問題点に迫る』創樹社、2000年
[編集] 関連項目
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