鷹取駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鷹取駅(たかとりえき)は、兵庫県神戸市須磨区大池町5丁目1-10にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線(JR神戸線)の駅である。アーバンネットワークエリアに属しており、Jスルーカード・ICOCA及びSuica(東日本旅客鉄道)・PiTaPa(スルッとKANSAI協議会)利用可能駅でもある。停車するのは普通のみ。
鷹取駅 | |||
---|---|---|---|
目次 |
[編集] 駅構造
電車線のみに島式ホーム1面2線の、高架駅。改札口は1ヶ所のみ。
- のりば
- ■ 西明石・加古川・姫路方面
- ■ 神戸・三ノ宮・尼崎・大阪方面
[編集] 利用状況
年間乗車人数は次のとおり。 JR神戸線の神戸市内各駅の中では塩屋駅に次いで少ない。
- 1999年度 2,911千人(1,926千人)
- 2000年度 2,946千人(1,961千人)
- 2001年度 2,925千人(1,952千人)
- 2002年度 2,928千人(1,967千人)
- 2003年度 3,014千人(2,031千人)
カッコ内は定期利用者の再掲
- 「神戸市統計書」(神戸市企画調整局総合計画課・編)による
[編集] 特徴
- 駅構内の留置線部分を使用してJR貨物の神戸貨物ターミナル駅が設けられ、2003年12月1日に開業した。廃止された神戸港駅の代替施設である。JR貨物の兵庫営業支店も同じく設置されている。
- 駅構内の広大な留置線は昭和初期の灘・鷹取間の神戸市街線高架化事業の際に貨物操車場として設けられた。兵庫駅を高架化するにあたって同駅の貨物取扱設備は地上に残し、そこから鷹取駅までを小運転線によって連絡し本線に合流させたのだが、この際に鷹取駅を拡張して鷹取工場との間に貨物操車場を設け旅客設備はその南に移転させることとしたもの。高架化事業は地上既存線を移すための高架複線の建設が第1期、複々線とするための新たな高架複線の建設が第2期と分かれていたが、第1期が完成し高架運転が開始された時点で既に兵庫・鷹取間は3線構造(一部4線構造)になっていた。このとき兵庫・鷹取間の5か所の踏切も解消された。高架方式は新湊川以東が高架橋式であるのに対して新湊川以西は築堤式。
- 川崎重工業兵庫工場で製作された鉄道車両は、上記の兵庫・鷹取間を連絡する小運転線を経由して必ず鷹取駅構内の留置線まで回送される。ホームからよく見えるところに止まるため、鉄道ファンが写真撮影に訪れるポイントとなっている。
- 兵庫・鷹取間の小運転線は空き時間が多いため、2000年2月1日以降、実際の車両(主に103系電車)を走らせて在来線乗務員の異常時対応能力向上を図るなどの実車訓練用の異常時訓練線として活用されている。なお、この訓練線のための「神戸乗務員訓練センター」は兵庫駅構内に設けられている。
- かつては駅北に隣接してJR西日本の鷹取工場が操業していたが、阪神・淡路大震災により工場自体が被害を受けたことと跡地を市街地復興事業に資するため網干総合車両所にその機能を移転し、2000年3月31日に100年間の歴史を閉じた。
- 鷹取駅は鷹取工場の開業の翌月に開業したものであり、鷹取工場従業員の通勤の便宜を図るためのものだった。工場からは線路下の通路を介して駅プラットホーム東端の従業員専用口に通じていた。
- 駅北側には広大な留置線と鷹取工場が横たわっていたため南側にしか出られない構造となっていたが、鷹取工場跡地の再開発が進捗し、2005年3月28日、駅北側にも駅前広場が整備された。ただし、プラットホームから直接北へ出られるのではなく、いったん南側に出たのち新たに開設された歩行者専用南北自由通路を通り北に出る構造となっている。
- かつては駅西方から側線が分岐し駅南の駅前広場をかすめるようにして南下し国道2号線と平面交差した後、臨海部のライジングサン石油(のちにシェル石油、現在の昭和シェル石油)の油槽所と連絡していた。側線跡は駐車場や店舗用地に転用されている。
- 駅南側にはロータリーがあり、タクシー乗り場もある。
[編集] 駅周辺
兵庫県の機関
|
|
神戸市の機関
|
|
国の機関(公社・特殊会社)
- 須磨郵便局
- 阪神高速道路株式会社神戸建設部須磨工事事務所
教育機関
- 県立総合衛生学院
- 神戸野田高等学校(女子校)(学校法人神戸野田学園)
|
※=統合前の長楽小学校は妹尾河童の母校。「少年H」に登場。 |
商業施設
宗教施設(特記事項あるもののみ)
- カトリックたかとり教会
- 1927年設立。阪神・淡路大震災で礼拝堂は焼失したがキリスト像は被災せず、いかにもキリストが手を広げて火を食い止めた様子に見えることが話題を呼んだ。震災後はボランティアの拠点として活動、ほかにコミュニティFM局が置かれるなどした。震災10周年を機にカトリック鷹取教会から改称。かつては鷹取幼稚園を経営していた。
- イムマヌエル神戸キリスト教会
- 1930年現在地に移転。妹尾河童の著書・少年Hに取り上げられたことで知られる。
- 曹洞宗満福寺
- 寺伝の縁起では1536年(天文5年)の創建と伝えられているが、平清盛の創建との伝承もある。所在地の長田区海運町という町名の由来は満福寺が統合した寺の山号が海運山だったことにちなむ。寺の外塀の石の配列が亀の子(亀の甲)のようなので通称亀の子寺という。
[編集] 接続市バス路線
- (以上3系統とも、2005年4月1日、駅北側に乗入れ開始)
[編集] 歴史
- 1900年4月1日 開業(山陽鉄道)
- 1906年12月1日 国有化
- 1931年10月10日 灘・鷹取間高架線使用開始、兵庫・鷹取間3線化
- 1934年7月20日 吹田・須磨間、電車運転開始
- 1938年9月22日 兵庫・鷹取間5線化
- 1965年3月28日 鷹取・西明石間複々線化
- 1987年4月1日 国鉄分割民営化によりJR西日本が承継
- 1995年1月17日 阪神・淡路大震災により不通
- 1995年1月30日 神戸・須磨間復旧により運行再開
- 2000年2月1日 神戸乗務員訓練センター開所
[編集] その他
- 駅名の由来は、当地から仰ぎ見ることができる高取山(鷹取山)にちなんで工場の名を鷹取工場とし、次いで開設された駅についても同様に鷹取駅としたものである。現在では駅の西南に鷹取町という町名が見られるが、これは駅周辺の市街地化が進行してきた1924年にそれまでの大字東須磨を細分化して町名を新しく立てたときに駅名にちなんで採用されたものであり、駅設置当初には鷹取という地名は近辺には存在しなかった。
- 鷹取駅の駅舎所在地は現在では須磨区大池町に組み込まれているが、1966年の町域変更前は長田区(区再編前は林田区)浪松町に所属していた。駅開業時から町名起立までの住所は神戸市野田村。
- 須磨港(妙法寺川河口付近)と淡路島の大磯港(津名郡東浦町、現・淡路市)の間を運航していた淡路フェリーボートが須磨港・鷹取駅間のバスを営業運行し駅南の駅前広場に乗り入れていたが、明石海峡大橋の開通に伴うフェリーボートの廃業とともにバスの運行も廃止された。
- 少年H(妹尾河童作)で少年Hの家付近の駅として知られている。
- 出雲大社社家の子息、千家鯱麿が飛び込み自殺した。