鶴見線
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鶴見線(つるみせん)は、以下の路線から構成される東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
- 神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から神奈川県川崎市川崎区の扇町駅までの本線。
- 神奈川県横浜市鶴見区の浅野駅から分岐して海芝浦駅までの支線。
- 神奈川県川崎市川崎区の武蔵白石駅(実質的には安善駅、後述)から分岐して大川駅までの支線。
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[編集] 路線データ
- 軌間:1067mm
- 複線区間:鶴見駅~浜川崎駅、浅野駅~新芝浦駅
- 電化区間:全線(直流1500V)
[編集] 運行形態
全列車が各駅停車で、ほぼ全列車が鶴見駅を発着する。ラインカラーは黄色である。
弁天橋駅以東の沿線は純然たる工業地帯であり、乗客の多くは工場の従業員である。そのため工場通勤客輸送に特化したダイヤが組まれており、朝夕に比べて昼間の列車数はかなり少なく利用者も少ない。朝の下り列車と夕方以降の上り列車は混雑するが、それら以外の列車は比較的空いていて空席があることが多い。特に、大川支線の大川駅には日中(9~16時台)に1本も列車が来ない。
1994年12月のダイヤ改正でJR東日本の東京圏のほとんどの路線が「土曜ダイヤ」を「休日ダイヤ」と共通化した中、鶴見線では利用者の大半は工場への通勤客の輸送であるがために、2004年3月のダイヤ改正まで長らく「土曜ダイヤ」が残されていた(その後「休日ダイヤ」と共通化し、現在は後述の臨時列車で対応している)。
海芝浦駅にある東芝京浜事業所が土曜・休日が出勤日となる際や平日昼間に終業する際に、通常の列車本数では不足するため、鶴見~海芝浦間に臨時に列車を増発する事がある。これはファンの間では「東芝京浜事業所の通勤客のための臨時列車」という意味合いから「東芝臨」と呼ばれている。この臨時列車は時刻表には掲載されておらず、運行日近くになると各駅の時刻表付近に掲出される。ダイヤ上も臨時列車扱いになっており、列車番号に「臨」を掲げて運行される。
[編集] 改札業務
1971年に大幅な合理化が行われ、鶴見駅以外の各駅の出改札業務が全て無人化された。そのため、鶴見駅にはJRと他社私鉄の連絡改札口と同様の中間改札口が設けられており、同駅で乗り換えて鶴見線の各駅へ向かう場合の運賃精算は同駅で行う形となる(浜川崎駅で南武支線に乗り換える場合は降車駅で精算)。しかし、Suicaシステムの導入により各駅には簡易Suica改札機が設置されたため、当初Suicaイオカードで乗車した場合には鶴見駅の自動改札機のSuicaセンサーに触れないようにとの注意書きがあった。その自動改札機は後に修正が加えられ、Suicaセンサーにタッチしないと改札口が閉まるようになってしまったが、タッチした場合でも自動改札機の画面にはその地点での残額が表示されるだけで入出場などの情報は書き込まれないため、横浜~尻手間を鶴見線経由で乗車しても正しく計算・入出場できるようになっている。
一方、浜川崎駅で南武支線と鶴見線を乗り継ぐ場合には簡易Suica改札機のセンサーに触れないようにとの注意書きが掲出してあり、万一触れてしまった場合は降車駅で駅員に申し出る事になる。
ちなみに、鶴見線全駅には近距離の自動券売機が設置されている。こちらではオレンジカードやイオカードが利用できるほか、Suicaへのチャージもできる(ただし、使えるのは1,000円紙幣のみ)。
[編集] 歴史
- 1926年3月10日 鶴見臨港鉄道が浜川崎操車場~弁天橋駅間、大川支線分岐点~大川駅間を貨物専業鉄道として開業。
- 1926年4月10日 石油支線分岐点~石油駅(後の浜安善駅)間が開業(貨物線)。
- 1928年8月18日 浜川崎駅~扇町駅間が開業。
- 1929年3月14日 浅野駅~浜川崎駅間に渡田駅開業。
- 1930年10月28日 全線電化、鶴見仮駅~弁天橋駅間を延伸した上で鶴見仮駅~扇町駅間での旅客営業を開始。石油支線分岐点に安善通駅(現・安善駅)開業。
- 1931年 大川支線の旅客営業を開始。
- 1931年3月20日 浜川崎駅~扇町駅間に若尾駅・昭和駅開業。
- 1931年7月25日 安善通駅~渡田駅間の大川支線分岐点に武蔵白石駅開業。
- 1931年8月15日 武蔵白石駅~渡田駅間に(臨)海水浴前駅開業。
- 1932年6月10日 芝浦製作所(現・東芝)の専用線を買収し、浅野駅~新芝浦駅間の旅客営業を開始。
- 1932年9月1日 安善通駅~石油駅間に安善橋駅開業。
- 1934年12月23日 鶴見仮駅~鶴見駅間を開業。
- 1935年12月1日 弁天橋駅~鶴見川口駅間(貨物線)を開業。
- 1936年12月8日 国道駅~弁天橋駅間に工業学校前駅(現・鶴見小野駅)開業。
- 1938年12月25日 安善通駅~石油駅間の旅客営業廃止。
- 1940年11月1日 新芝浦駅~海芝浦駅間が開業。
- 1942年12月12日 本山駅(鶴見駅~国道駅間)廃止。
- 1943年6月1日 戦時買収私鉄に指定され国有化、国鉄鶴見線となる。
- 工業学校前駅を鶴見小野駅に、安善通駅を安善駅に、石油駅を浜安善駅に改称。
- (臨)海水浴前駅(武蔵白石駅~浜川崎駅間)、若尾駅(浜川崎駅~昭和駅間)、末広駅(浅野駅~新芝浦駅間)、安善橋駅(安善駅~浜安善駅間)廃止。渡田駅は浜川崎駅に統合。
- 1948年5月1日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 1971年3月1日 鶴見駅を除く全駅を無人化。
- 1972年 72系が運行開始。
- 1979年12月4日 101系が運行開始。
- 1980年 72系撤退。
- 1982年11月15日 浅野駅~鶴見川口駅間(貨物線)が廃止。
- 1986年11月1日 安善駅~浜安善駅間(貨物線)が廃止(線路自体は残り、現在では旧浜安善駅までが安善駅の構内として入れ換え扱いで貨物列車が運転されている)。
- 1987年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR鶴見線となる。
- 1990年8月2日 103系が運行開始。
- 1992年 101系撤退。
- 1996年3月15日 旧型電車(クモハ12形)が運行終了。翌16日から大川支線の電車が武蔵白石駅通過となる。
- 2004年8月25日 205系が運行開始。
- 2005年12月 車両故障のため103系が営業から外れる(事実上の引退)。
- 2006年3月17日 103系が(名目上)この日限りで運行終了。
[編集] 備考
鶴見臨港鉄道は戦時買収後もそのまま存続し、東亜建設工業の傍系企業として現存している。同社は鶴見駅西口駅ビル「ミナール」の他、JRの線路に沿って川崎方面に向かって数ヶ所の不動産を管理・所有しているが、これはかつて路線を鶴見から先に延伸すべく確保した用地の名残である。
[編集] 駅一覧・接続路線
- 表中の色は、103系電車の方向幕の色である。
駅名 | 本線 | 大川支線 | 海芝浦支線 | 接続路線・備考 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|
鶴見駅 | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:京浜東北線 | 神奈川県 | 横浜市鶴見区 |
国道駅 | ● | ● | ● | |||
鶴見小野駅 | ● | ● | ● | |||
弁天橋駅 | ● | ● | ● | |||
浅野駅 | ● | ● | ● | 海芝浦支線分岐駅 | ||
新芝浦駅 | ● | |||||
海芝浦駅 | ● | 東芝関係者以外は出場不可(降車は可能) | ||||
安善駅 | ● | ● | 大川支線乗換駅 | |||
武蔵白石駅 | ● | | | 大川支線分岐駅(乗り換えはできない) | 川崎市川崎区 | ||
大川駅 | ● | |||||
浜川崎駅 | ● | 東日本旅客鉄道:南武線支線(南武支線) 南武支線との乗り換え駅であるが、駅舎は道路を挟んで分離している。 |
||||
昭和駅 | ● | |||||
扇町駅 | ● |
- |印の武蔵白石駅は、大川支線のホームがないため同線直通列車は通過する。
浅野~安善間はJRで最も営業キロの短い駅間(0.5km)の一つである(JR東日本の山手線・京浜東北線西日暮里~日暮里間とJR西日本の境線博労町~富士見町間の営業キロも0.5km)。
鶴見駅と国道駅の間にある東海道線を跨ぐ鉄橋の手前にホーム跡があり、これが廃止となった本山駅の跡である。ホーム跡の高架下は旧鶴見臨港鉄道のバス事業を源流の一つとする川崎鶴見臨港バスの車庫として利用されており、横断距離が長いことで有名な総持寺踏切もある。
ほとんどの沿線各駅の前には酒屋や一杯飲み屋がある。
[編集] 駅名について
鶴見臨港鉄道の開業当時、この路線は埋立地上にあり、沿線には地名が存在しなかった。このため、鶴見線の駅のほとんどは、実業家などの名前や周辺地区からそのまま取られたような名前が付けられている。
鶴見小野は地元大地主の小野信行、浅野は浅野財閥の創設者で、鶴見臨港鉄道の設立者でもある浅野総一郎、安善は安田財閥の安田善次郎、武蔵白石は日本鋼管(現・JFEスチール)の白石元次郎、大川は製紙王の大川平三郎から取ったものである。扇町も浅野家の家紋の扇に因む。
また、国道15号が近くを走るから「国道」、昭和電工扇町工場が近くにあるから「昭和」、石油精製所の近くにあったことから「石油(後の浜安善)」などあまりにそのままな命名がされた例もある。
[編集] 車両
弁天橋駅構内に車庫の鶴見線営業所がある。かつては弁天橋電車区(南テシ)と称していたが、1988年に車両配置は中原電車区に統合された。
[編集] 現在使用中の車両
- 205系0・1100番台 …3両編成9本(27両)
- 鶴見駅発電車の行先LED表示は103系時代の色別を踏襲しているが、使用できる色の制限から一部が変更されている。
- 赤色 - 扇町駅行
- 緑色 - 海芝浦駅行
- 橙色 - 大川駅行・各方向からの鶴見駅行
- 鶴見駅発電車の行先LED表示は103系時代の色別を踏襲しているが、使用できる色の制限から一部が変更されている。
[編集] かつて使用された車両
※ここでは国有化以後の車両を挙げる。鶴見臨港鉄道時代からの車両については鶴見臨港鉄道の電車を参照されたい。なおこのうちの1両が1951年に銚子電気鉄道へ移籍し、「デハ301」として在籍している(2006年現在は除籍され、架線点検車として使用)。
- 11・50系(17m車体を持つ戦前形国電と呼ばれた車両で、本線では1974年頃まで、クモハ12形は1996年3月まで使用された)
- クモハ12形(前記17m戦前形車両に運転室を増設して1両編成で運転できるように改造された車両)
- 大川支線はかつて武蔵白石~大川間の区間運転であり、武蔵白石駅の大川支線ホームは急カーブの線形に沿って作られていたため、20m車が入線しようとすると車体がホームに干渉してしまうので、本線系統の17m戦前車両廃止後もクモハ12形が2両残り、1日交代で1両編成で使用されてファンに人気が高かった。しかしその後の車両老朽化もあり、武蔵白石駅の大川支線ホームそのものを撤去して通過扱いとすることで20m車である103系の入線を可能とすることになり、1996年3月に103系に置き換えられた。なお、クモハ12形は国鉄末期からの一時期(1985年~1994年頃)に昼間や休日の閑散時間帯に1両編成で鶴見~海芝浦間と鶴見~大川間で使用されたこともあった。この2両は東京総合車両センター(旧・大井工場)で保存され、毎年夏の工場一般公開時に見ることができる。
- クモハ12形(前記17m戦前形車両に運転室を増設して1両編成で運転できるように改造された車両)
- 72系(1972年~1980年頃まで)
- 101系(1980年~1992年5月まで)
- 103系(1990年8月2日~2006年3月17日)
- 最後に残っていたT1編成は、実際には故障のため2005年12月以降は運用から外れており、2006年4月26日に廃車回送された。
[編集] 地理
- 鶴見駅~国道駅
- 国道駅~鶴見小野駅
- 橋梁
- 鶴見小野駅~弁天橋駅
- 浅野駅~安善駅
- 橋梁
- 旭運河
- 橋梁
- 浜川崎駅~昭和駅
- 橋梁
- 南渡田運河
- 橋梁
[編集] その他
[編集] 鶴見線を題材にしたテレビ番組
横浜市鶴見区のケーブルテレビ局「YOUテレビ」で放送されているドキュメント番組「横浜ミストリー」の中で、鶴見線の歴史や魅力をリポートする「鶴見線物語」というシリーズが2005年4月からの1ヶ月間放映された。
[編集] 鶴見線と文学作品
歌人・土屋文明の歌集『山谷集』に「鶴見臨港鉄道」と題する連作が収められている(1933年の作品)。
- 貨物船入り来る運河の先になほ電車の走る埋立地見ゆ
などの一連の作品が、これまでの日本には無かった巨大工場地帯の実相を捉えようとしている。