西武351系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西武351系電車(せいぶ351けいでんしゃ) 西武鉄道には351系を名乗った車両は過去2代あり、いずれも通勤形電車である。
目次 |
[編集] 形式別概要
[編集] 351系(初代)
1960年(昭和35年)に日本国有鉄道(国鉄)からモハ14形100番台を1両譲り受けた車両で、国電譲渡車唯一の2扉クロスシート車であり、屋根がすべて低屋根になっている。
譲渡当時はクハ代用として使われていた。モハ371形の他、電装されてからはクハ1301形などと組んで、平日は狭山線内で折り返し、日曜は池袋から行楽急行の運用に就いた。
後述の351系(2代)に押し出される形で251系(2代)に改番され、さらに荷物電車クモニ2に改造したが、数年で廃車された。
[編集] 351系(2代)
製造当初は501系の名称で、初代モハ501形のモハ501~520までの20両が該当すが、後に2度の改称によって351系(2代)となった。
[編集] 概説
1954年(昭和29年)に登場した初代501系は、制御電動車のモハ501形が17m車体、付随車のサハ1501形が20m車体という長さの異なった車両によって組成されていた。
1957年から、電動車に至るまで20m級に統一した全金属車体に変更した2代目501系を増備した。これは1958年にも電動車のみが増備され、サハ1501形をこの2代目に譲り、同時に初代501系の特徴であった128kwの主電動機と台車、系列番号も2代目501系に供出された。この結果、100kwの主電動機(端子電圧675VでMT-15EもしくはMB-146C)と、1920年代の国電並みに旧式なTR14形台車(一部TR22)装備へとグレードダウン、連結相手はクハ1411形へと変更されて2連を組成し、形式も411系のモハ411形となった。
1964年(昭和39年)に再度改番されて351系(2代)クモハ351形となったが、クハ1411形はそのままの番号で残された。その後クハ1411形やこれを中間車化したサハ1411形と組んで2・4連化されていたが、1969年頃から更新工事が始まり、屋根上通風器(ベンチレーター)のグローブ形化、木製屋根車の雨樋交換(鋼製化)、乗務員扉の鋼製化などが施行された。なお、この関係上クハ1411形は351系(2代)と組んだ事がある車両のみグローブ形ベンチレータとなっている。
吊り掛け駆動の17m車であるために、本線系統では1977年(昭和52年)頃までに概ね運用を終了したが、クモハ351~356が多摩湖線専用車とされた。その多摩湖線も国分寺~萩山間の区間運用に使われていたが、1990年(平成2年)のさよなら運転を最後に運用を終了した。
[編集] 車体
半鋼製ながら当時流行だった正面2枚窓のいわゆる「湘南顔」であり、側面はノーシル・ノーヘッダーのすっきりしたデザインとなった。また車内には当時まだ珍しかった車内放送装置と蛍光灯照明が取り付けられていた。
後年の改造により正面行先票(サボ)受けの廃止と運転席脇の車内に行先表示器を設置し、車両色を黄色+茶色のツートンである西武旧塗装からベージュ+赤のいわゆる「赤電塗装」への変更、列車無線アンテナの設置、そして晩年にはパンタグラフをKP-62A形へ変更、前照灯のシールドビーム2灯化改造をされたものもあった。また、前述の多摩湖線専用車となった車両は、サハを含めて1980年頃に再度更新工事を受け、内装のアルミデコラ化や客室部の床のリノリウム化などが施行された。
[編集] 電装品
台車は351系化された後に、クモハ351形はイコライザ式のTR-14Aが、サハ1311形は同じくイコライザ式のTR-11Aがそれぞれ装着された。
最終期のクモハの主電動機はクモハ351~354がMB-146C形、クモハ355・356がMT-15E形(いずれも100kW)を搭載されていた。駆動方式は吊り掛け式、CS-5形制御装置、制動装置は電動車がAMME、付随車がATMEである。電動発電機(MG)とAK-3形電動空気圧縮機(CP)は本来クモハ351形に搭載されるが、多摩湖線の3連は中間のサハ1311形にMG534-Mrb(12kVA)電動発電機1台とAK-3形電動空気圧縮機を2台搭載してユニット化され、車両重量の平均化が図られた。
MB-146C形主電動機は故障が少ないと検修サイドから好評で、巻き替え・130kW化の上E31形電気機関車にも使用されている。
[編集] 譲渡車両
- 大井川鉄道(現・大井川鐵道)には1977年から4両が譲渡された。同社では2扉に改造し、車内を西武5000系の交換品を使用したクロスシートに改造された。また半数が電装解除され、モハ312-クハ512、モハ313-クハ513として譲渡された。譲渡後は長らく同社で主力として運用されたが、モハ312編成が脱線事故(但し規模も被害も極めて小さいものであった)で休車し、また老朽化が激しかったこともあって後に廃車され、モハ313編成も後を追う形で廃車された。
- 上毛電気鉄道には8両が譲渡され、特に大きな改造をせずデハ231~238として譲渡された。旧クハ1411形のクハ31~38と2両編成を組み、西武時代と同じ塗装で使用された。同社の車両統一や近代化に貢献したが、老朽化のため1990年(平成2年)8月までに廃車・解体された。
[編集] 保存車両
2006年現在、クモハ355が横瀬車両基地にて静態保存されている。保存開始当時は赤電塗装だったが、1998年秋のイベント開催時から登場当時の状態に復元されている。毎年秋に開催されるイベント時には、やはり登場時の状態で保存されている特急車5000系と並んで公開される。
また、池袋線石神井公園駅近くの病院に、多摩湖線で営業運転を終了したクモハ351のカットボディ(先頭部6m)が保存されている。この病院の理事長が西武鉄道の嘱託医を長年務めたのに加え、熱心な鉄道ファン(国鉄80系の実物大レプリカを診察室にしている事でも知られる)である事から譲受されたものである。