暴君
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暴君(ぼうくん)とは、暴虐な君主、乱暴な政治を行った君主を指す語である。
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[編集] 概説
この語は、ある君主の政治的姿勢に反対する側が、その君主を否定的に批評する意味で用いられる。その批評が万人に賛同されるとものは限らない。君主を倒した勢力が、その革命を正当化するために、倒した君主の悪行だけを史書に残し、暴力的な君主であったと強調している例も皆無ではない。先見性をもった政策を打ち出した優れた為政者だった者でも、暴君と評される事がある。
英語の訳語のtyrantは、もともと小アジアの王や独裁的な人物を指す。それがギリシャのポリスの貴族政治を打ち倒して現れた僭主に対して、τυραννος (tyrannos) という形で充てられた。僭主の行為に対する印象が非合法的だったり、世襲した息子が無能な人物だったりといったイメージから、後世に意味が転用されたものと推定されている。
[編集] 暴君と評された人物
[編集] 殷の紂王(帝辛)
周の側からの宣伝によれば、儀式に熱心な君主であったとされている。
儀式に熱心なあまり生贄を多量に要したことが、奴隷たちや捕虜の異民族に恨まれ、それが宣伝に利用されるとともに、周との戦いに敗れた原因と考えられる(スペインによるアステカ征服が容易になった一因として、アステカの生贄を要する儀式が周辺民族に恨まれていたというような例があるため)。
殷滅亡の(戦術的・戦略的な意味での)直接の原因は、人方や鬼方などの東方の異民族征服の遠征事業の背後を周に突かれたこと、周の戈のほうが殺傷力に優れていたためと考えられている。
[編集] 秦の始皇帝
「焚書坑儒」が思想弾圧として彼の暴政の典型例として取り上げられる。「皇帝の権威を確立させ法治主義の政治を行う上で、議論をもてあそぶだけの思想を放置しておくのは害が大きいので、取り締まるべきである」という李斯の進言によるもので、実用的な書物などは大切に保存された。
また万里の長城についても議論がある。当時の北方遊牧民の指導者は、秦にとって脅威になっていた。なお、始皇帝存命時代には戦乱が起きず民が豊かであったと、発掘された始皇帝陵には記されている。
[編集] 隋の煬帝
殷の紂王と並んで、中国史上の暴君の代名詞とされている。「煬」は、唐の太宗を正当化するためにおくられた恣意的な諡である。
隋王朝においては廟号は世宗、謚は明帝とされた。しばしば性急かつ無謀として取り上げられる大運河の建設は、後の王朝の経済を活性化させ、黄河流域の華北と揚子江流域の華中、華南を結ぶ交通路となったため、無意義な事業ではなかった。
性急な高句麗遠征の失敗と、事後処理のまずさが大きな失政であるが、唐の高句麗征服を容易にする道筋をつけたという利点もあった。
減税も行っており、これを善政と評価する向きもある。
[編集] 厲や霊の諡号がつく君主
そのほか、周の厲王、晋の霊公、晋の厲公、楚の霊王が暴君とされている。
周の厲王は利を好み暴虐であったとされる。王を誹謗する者を監視させて殺したため、誰も王を諌められなくなり、不満が鬱積して爆発。厲王は国外へ逃げなければならなくなったとされる。財政改革と法治主義的な政治を行おうとして思想統制を試みたためという指摘もある。
晋の霊公は、重税を民に課し、宮殿から玉をはじいて通行人を冷やかし、料理人の料理の仕方が気にいらないと言っては殺し、趙盾を犬に襲わせたという。これらの振る舞いだけを見れば暴君には違いない。一方、晋の厲公は寵愛した者の親族を取り立てるなどの側近政治を行った。そして有力な大夫(貴族階級)を殺害した。しかし全て殺害し尽くすのをためらったため、側近の胥童を殺されて幽閉され、悼公を迎えたときに大夫たちに殺されている。これを晋国内での晋公と大夫の主導権争いと見ることもできる。
[編集] 有名な暴君
[編集] 日本
[編集] 中国
- 斉の襄公
- 楚の穆王:父を殺して即位し苛烈に諸国を併呑した。周王室を尊ばず礼を無視し儒家によって春秋の暴君として描かれる。
- 項羽:西楚の覇王。神懸かった武勇を誇るも一度敵対したものをすべて殺し、最後は部下に離反され漢の高祖に敗れた。ちなみに20万人の秦軍を生き埋めに殺害した話が残っている。
- 呉の孫皓:呉の君主。三国志の登場人物の中で最も残酷な性格とされ、あらゆる暴政・拷問を行い呉を滅亡させる。
- 宋の劉昱
- 斉の蕭宝巻
- 金の海陵王
[編集] 朝鮮半島
[編集] アジア
- モンゴル帝国皇帝チンギス・ハーン:ただし主に西洋人による見方である。
- ファーティマ朝カリフハーキム:冷酷かつ異常な振る舞いが多く、人々に恐れられた。ただし一種の名君として評価するむきもないではない。
- ムガル帝国皇帝アウラングゼーブ:残虐で兄を殺して父に死体を送りつけ、ジズヤを復活させて帝国衰微の原因を作る。
[編集] ヨーロッパ
- ローマ帝国皇帝カリグラ:暴君として名高い
- ローマ帝国皇帝ネロ:暴君として名高いが、キリスト教史観によるところが多い。
- 東ローマ帝国皇帝フォカス:暴君とされているが、実際はそれほどではなく、ヘラクレイオスによる帝位簒奪を正当化するためだに暴君とされたという説もある。
- 東ローマ帝国皇帝アンドロニコス1世コムネノス:改革を断行しようとする余りに恐怖政治を行い、最後は市民・貴族の反乱によって廃位、殺害された。
- リューリク朝モスクワ大公国イヴァン4世:雷帝
- イングランド国王リチャード3世:シェイクスピアの戯曲の影響もあって、暴君とされているが、リチャードを倒して王になったチューダー朝のヘンリー7世による王位簒奪を正当化するために暴君に仕立て上げられたという説もある。
- スコットランド国王マクベス:王位を簒奪し、ライバルを抹殺したことから、リチャード同様シェイクスピアの戯曲などでも暴君とされているが、実際の統治能力は高く、国政は安定していたと言われている。