Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions モンゴル帝国 - Wikipedia

モンゴル帝国

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モンゴル帝国の版図の変遷 テムジンがチンギス・ハーンを名乗った1206年から1294年のモンゴル帝国(赤)の領域に続き、4つに分裂した帝国の版図を示した(1294年時点)。キプチャク・ハン国(黄)、チャガタイ・ハン国(濃緑)、イルハン朝(緑)、元(紫)である。
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モンゴル帝国の版図の変遷 テムジンがチンギス・ハーンを名乗った1206年から1294年のモンゴル帝国(赤)の領域に続き、4つに分裂した帝国の版図を示した(1294年時点)。キプチャク・ハン国(黄)、チャガタイ・ハン国(濃緑)、イルハン朝(緑)、元(紫)である。

モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原遊牧民を統合したチンギス・ハーン1206年に創設した遊牧国家中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス(Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル国」と称した。

チンギスとその後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパアナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタンチベットビルマ、東は中国朝鮮半島まで、ユーラシア大陸の大部分にまたがる史上最大の帝国を創り上げた。

モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨する大ハーンを中心に、各地をチンギス・ハーンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。中国とモンゴル高原を中心とする東アジア部分を支配した第5代大ハーンのクビライ1271年に、緩やかな連邦と化した帝国の、大ハーン直轄の中核国家の国号を大元大蒙古国と改称するが、その後も大ハーンを頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、チンギス・ハーンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで中央ユーラシアの各地に君臨しつづけることになる。

モンゴル帝国の最大領域
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モンゴル帝国の最大領域

目次

[編集] 歴史

[編集] 建国

モンゴル高原(モンゴリア)は9世紀遊牧ウイグル国家の崩壊以来、統一政権が存在しない状況にあり、契丹の住む南モンゴリア(現内モンゴル自治区)はの支配下にあったが、北モンゴリアでは遊牧民が様々な部族連合を形成し、お互いに抗争していた。このような情勢のもと12世紀末、北東モンゴリアに遊牧するモンゴル部のキヤト氏族集団から出たテムジンは、同族の絆ではなく個人的な主従関係で結ばれた遊牧戦士集団を率い、高原中央部の有力集団ケレイトオン・ハンと結んで、金に背いたタタル部や同族の諸氏族を討って頭角を現した。1203年、オン・ハンと仲違いしたテムジンは、これを倒してケレイトを併合し、翌年には高原西部の強国ナイマンを滅ぼした。

テムジンのもとにはコンギラト、オングトなど周縁部の有力部族集団も服属するようになり、モンゴリアを統一したテムジンは、1206年、フフ・ノールにおいて開かれたクリルタイ(大集会)において全モンゴリアのハーンに推戴され、チンギス・ハーンを称した。

チンギス・ハーンは、高原の全ての遊牧民を腹心の僚友(ノコル)や同盟部族の王たちを長とする95の「千人隊(千戸)」と呼ばれる集団に編成し、それぞれの千人隊から1000人の兵士が供出可能な軍事動員制度を整えた。さらに、高原の東部大興安嶺方面には3人の弟、ジョチ・カサル、カチウンテムゲ・オッチギンを、西部アルタイ山脈方面には3人の息子、ジョチチャガタイオゴデイにそれぞれの遊牧領民集団(ウルス)を分与し、東西に向かって一族が広がってゆく基礎を置いた。

[編集] チンギス・ハーンの征服

大ハーンに即位したチンギス・ハーンは南の西夏親征し、これを服属させた。さらに、オイラト、トメト、カルルク、西遼などの周辺諸国に次々に遠征軍を送って南シベリア中央アジアまで勢力を広げた。1211年からは金に遠征して中国の東北地区(満州)と華北を席捲し、金は河南のみを支配する小国に転落した。

1218年からは中央アジアのオアシス農業地帯に対する大規模な遠征軍を発し、スィル川(シルダリア川)流域からイランまでを支配する大国ホラズム・シャー朝に侵攻した。モンゴル軍はサマルカンドブハラウルゲンチ、ニーシャープール、ヘラートなど中央アジアの名だたる大都市に甚大な被害を与え、ホラズム・シャー朝は壊滅した。チンギス・ハーンの本隊はホラズム・シャー朝の王子ジャラールッディーンを追ってインダス川のほとりまで至り、カスピ海まで逃げた君主アラーウッディーンを追った別働隊はアゼルバイジャンからカフカスを抜けてロシアに至り、ルーシ諸公を破って勇名を轟かせた。

モンゴリア本土への帰還後、チンギス・ハーンは中央アジア遠征への参加の命令に従わなかった西夏への懲罰遠征に赴いたが、1227年、西夏を完全に滅ぼす直前に陣中で病没した。

[編集] オゴデイの時代

チンギス・ハーンの死後、モンゴルの全千人隊のうち8割を占めるその直属軍は末子相続の法により四男のトルイが相続し、トルイは監国として次期ハーンの選出を差配する役割を与えられた。このとき軍才にすぐれた長兄のジョチは既に亡く、財産の多寡でいえばトルイが圧倒的に有利であったが、次兄チャガタイら有力者たちは、兄弟のいずれとも仲がよく、そのためチンギス・ハーンが生前に後継者とすることを望んでいた三兄オゴデイを推した。こうしてオゴデイが即位し、トルイは帝国の分裂を防ぐために中央軍の指揮権を新ハーンに譲った。

父の死から2年後の1229年に即位したオゴデイは、トルイと協力して金との最終戦争にあたり、1232年に金を完全に滅ぼした。トルイは金との遠征からの帰路に病没するが、これによってチャガタイの強い支持を受けたオゴデイはハーンとしての地位を固め、1234年に自らの主導するクリルタイを開いてモンゴル高原の中央部に首都カラコルムを建設させた。これ以降、オゴデイはカラコルム周辺の草原に留まり、遠征はハーンではなく配下の軍隊に委ねられる。

オゴデイの治世にはカラコルムを中心として行政機構が整備され、チンカイ耶律楚材、マフムード・ヤラワチら様々な民族出身の書記官僚(ビチクチ)たちによる文書行政が行われた。中国や中央アジアでは戸口調査が行われ、遊牧民には家畜100に対して1が、農耕民には10の収穫に対して1が税となる十分の一税制が帝国全土に適用された。帝国の主要幹線路には一定距離ごとにジャムチ(駅伝)が置かれ、ハーンの発給した許可状(パイザ)をもった使者や旅行者、商人は帝国内を自由に行き来することができるようにされた。

1235年、建設間もないカラコルムで開かれたクリルタイは、中国の南宋と、アジア北西のキプチャク草原およびその先に広がるヨーロッパに対する二大遠征軍の派遣を決定した。南宋に対する遠征は司令官とされたオゴデイの皇子クチュの急死により失敗したが、ジョチの次男バトゥを司令官とするヨーロッパ遠征軍はロシアまでの全ての遊牧民の世界を征服し、遠くポーランドハンガリーまで席捲した。オゴデイの治世にはこれ以外にも高麗インドイランに遠征軍が派遣され、モンゴル帝国は膨張を続けた。

[編集] ハーン位を巡る抗争

1241年にオゴデイが急死し、翌年にはチャガタイが病死すると、チンギス・ハンの実子がいなくなった帝国には権力の空白が訪れた。次期ハーンの選出作業にはオゴデイの皇后ドレゲネが監国となってあたったが、ドレゲネがオゴデイの生前に指名した後継者を無視して自身の子であるグユクを擁立しようとしたため、ハーンの選出が遅れた。1246年、ようやく開催されたクリルタイはグユクをハーンに指名したが、グユクと仲の悪いバトゥ率いるジョチ一門がクリルタイをボイコットした。大ハーンのグユクと西方の有力者バトゥの対立により帝国は一時分裂の危機に陥るが、グユクは即位わずか2年後の1248年に病死する。

グユクの死後、監国となった皇后オグルガイミシュは続いてオゴデイ家からハーンを選出しようとクリルタイを召集したが、バトゥは叔父トルイの未亡人ソルカクタニ・ベキと結んでトルイの長男モンケをハーンに即位させようと目論み、クリルタイを欠席した。オグルガイミシュにはオゴデイ家とチャガタイ家、ソルカクタニにはジョチ家とトルイ家がつき、両陣営は後継者をめぐって水面下の対立を続けた。

1251年、トルイ家の陣営はついにオゴデイ家・チャガタイ家の説得を諦め、ジョチ家の協力を受けて自領内のチンギス・ハーンの幕営(オルド)においてモンケの即位式を強行した。モンケは即位するやいなやオゴデイ家とチャガタイ家の有力者に大ハーン暗殺を計画した嫌疑をかけて弾圧し、オグルガイミシュ以下の有力者は処刑され、オゴデイ家とチャガタイ家のウルスは解体寸前の状態にされてしまった。

[編集] モンゴル帝国の再編

モンケは帝国のうち定住民が居住する地帯をゴビ砂漠以南の漢地(中国)、ハンガイ山脈以西の中央アジア、アム川(アムダリア川)以西の西アジアの3大ブロックに分けて地方行政機関(行尚書省)を再編し、さらに3人の同母弟のうち次弟のクビライを漢地の軍団の総督、三弟のフレグを西アジアの軍団の総督に任命してそれぞれにその方面の征服を委ねた。

クビライは1253年雲南大理国を征服し、フレグはイランのムスリム(イスラム教徒)諸勢力を次々に服属させると、1258年イラクに入ってバグダードアッバース朝を征服した。さらにモンケは南宋との決戦のため自ら長江上流域に侵入したが、苦戦を重ねた末に1259年に陣中で疫病に罹って没した。

モンケの死後、首都カラコルムにあって留守を守っていたのは末弟のアリクブケであった。アリクブケはモンケの旧政府の支持を受け第5代ハーンに即位しようとしたが、南宋遠征で別働隊を率いて中国にいた次兄のクビライが中国および南モンゴリア、そして東モンゴリアのチンギス・ハーン諸弟のウルスの支持を受けて、南モンゴリアのドロン・ノールで自らハーンに即位した。続いてアリクブケも即位し、モンゴル帝国は南北に2人のハーンが並立する分裂状態となる。

この内紛の最中に、西アジア方面軍の総督であったフレグはアム川以西の行政機関を支配下におき、イランに留まって西アジアを支配する自立政権、イルハン朝を建設した。イルハン朝は南カフカスの草原地帯の支配をめぐってジョチ・ウルスを継承したバトゥの弟ベルケと対立し、両政権はハーンをまったく無視して争い始めた。また、モンケの弾圧以来低迷していた中央アジアのオゴデイ・ウルスおよびチャガタイ・ウルスはハーン位争いの間に勢力を盛り返そうと蠢動した。1264年、クビライがアリクブケを降し単独の大ハーンとなったとき、大ハーンの影響力が直接及ぶのはモンゴル高原、天山ウイグル王国チベットより東側のみになっていた。モンゴル帝国がバトゥのヨーロッパ遠征、フレグの西征のように帝国の全力をあげて遠征を遂行することは不可能になり、帝国の膨張は東アジアを除いて停滞に向かう。

[編集] 緩やかな連合へ

クビライは帝国の分裂的な状況を追認してフレグのイラン支配を認めるとともに、中国を安定的に支配することを目指し様々な改革を打ち出した。1271年、クビライは大ハーンの支配する国の国号を大元と改め、1276年には南宋の首都杭州を降して肥沃な江南を支配下においた。

しかしこの間、1266年にチャガタイ・ウルスを支配するアルグが死亡すると、中央アジア情勢は再び不穏となった。アルグにかわってチャガタイ家の当主となったバラクは、同年にクビライに対して公然と反旗を翻したオゴデイ家の有力者カイドゥと結び、1269年にジョチ・ウルスの代表者とともに会盟して中央アジアの大ハーン領を3王家の間で分割した。さらに1271年にはバラクが急死してカイドゥが中央アジアの最有力者となり、1282年に即位したバラクの遺児ドゥアやクビライに対して反乱を起こしたアリク・ブケの遺児メリク・テムルらはカイドゥの庇護下に入った。中央アジアに誕生したこの勢力はカイドゥ王国などと呼ばれる。

カイドゥはクビライの元と真っ向から対立し、モンゴリアおよび中央アジアの支配を巡って長く抗争を続けるが、1301年に戦死した。カイドゥの死をもってカイドゥ王国の有力者となったドゥアはカイドゥの遺児チャパルを説いて、時のハーンであるクビライの孫テムルに和睦を申し出た。続いてドゥアは元と結んでチャパルを追放、オゴデイ・ウルスをチャガタイ・ウルスに併合し、カイドゥの王国は中央アジアを支配するチャガタイ・ハン国に変貌する。

こうしてモンケの死より40年以上にわたった内部抗争は終結し、モンゴル帝国は東アジアの元(大元ウルス)、中央アジアのチャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)、キプチャク草原のキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、西アジアのイルハン朝(フレグ・ウルス)の4大政権からなり、元を統べる大ハーンを盟主とする緩やかな連合国家に再編された。

[編集] 繁栄と解体

モンゴル帝国の再編とともに、ユーラシア大陸全域を覆う平和の時代が訪れ、陸路と海路には様々な人々が自由に行き交う時代が生まれた。モンゴルは関税を撤廃して商業を振興したので国際交易が隆盛し、モンゴルに征服されなかった日本東南アジアインドエジプト、ヨーロッパまでもが海路を通じて交易のネットワークに取り込まれた。この繁栄の時代をローマ帝国のもたらしたパクス・ロマーナ(ローマの平和)になぞらえてパクス・モンゴリカ(あるいはパクス・タタリカ)と呼ぶ。

しかし、平和と繁栄の時代も長くは続かなかった。元では1307年のテムルの死後ハーン位を巡る対立と抗争が相次ぎ、1323年にハーン暗殺事件が起こってからは次々にハーンが交代して王朝の安定が失われていった。さらにモンゴル諸政権の安定にとどめを刺したのはペストの大流行をはじめとする疫病と天災の続発であった。

ドゥアの子が相次いでハンに立っていたチャガタイ・ハン国は、1334年のタルマシリン・ハンの死後、東西に分裂した。イルハン朝では1335年にフレグの王統が断絶、ジョチ・ウルスでは1359年にバトゥの王統が断絶し、傍系の王子たちを擁立する有力者同士の争いが起こって急速に分裂していった。

元も1351年に起こった紅巾の乱によって経済の中心地であった江南を失い、1368年、ついに紅巾党の首領のひとりであった朱元璋の立てたによって中国を追われた。北元と呼ばれるようになった元はモンゴリアに拠って明への抵抗を続けるが、1388年にクビライ王統最後のハーン、トグス・テムルが内紛により殺害され、かつてモンゴル帝国を構成した諸部族は分裂した。

[編集] 帝国の遺産

しかし、元が北走してからも14世紀後半には東はモンゴリアの北元から西はイラクのジャライル朝まで大小さまざまなモンゴル帝国の継承政権があり、その政治・社会制度の残滓はそれよりはるか後の時代になってもユーラシアの広い地域で見られた。モンゴルを倒して漢民族王朝を復興したとされる明においてもその国制はおおむね元制の踏襲であり、例えば軍制の衛所制が元の千戸所・万戸府制(後述)の継続であることは明らかである。同じ頃、中央アジアから西アジアに至る大帝国を築き上げたティムールは、先祖がチンギス・ハーンに仕えた部将に遡るバルラス部の貴族出身であり、その軍隊は全く西チャガタイ・ハン国のものを継承していた。

そして、チンギス・ハーンの名とその血統はその後も長らく神聖な存在でありつづける(チンギス統原理)。東ヨーロッパのクリミア半島では1783年まで、中央アジアのホラズムでは1804年まで、インド亜大陸では1857年まで、王家がチンギス・ハーンの血を引くことを誇りとするモンゴル帝国の継承政権(クリミア・ハン国ヒヴァ・ハン国シャイバーン朝ムガル帝国)が存在した。また、かつてのジョチ・ウルス東部に広がった遊牧民カザフの間ではソビエト連邦が誕生する20世紀初頭までチンギス・ハーンの末裔が指導者層として社会の各方面で活躍した。また、2004年オクスフォード大学遺伝学研究チームの報告によると、チンギス・ハーンが最も遺伝子を遺した人物とし、その数はアジア・ヨーロッパを中心に1,600万人いるとされる。

モンゴル帝国の故地モンゴリアでは、15世紀の終わりに即位したクビライの末裔ダヤン・ハーンのもとで遊牧部族の再編が行われ、世代を重ねるごとに分家を繰り返したダヤン・ハーンの子孫たちが諸部族の領主として君臨するようになる。17世紀には満州人大清がダヤン・ハーンの末裔チャハル部から元の玉璽を譲り受け、大元の権威を継承して満州・モンゴル・中国の君主となる手続きを取り、新たにモンゴルの最高支配者となっている。清のもとでもダヤン・ハーンの末裔の王族たちは領主階層として君臨しつづけ、近代にもカザフのチンギス・ハーンの末裔たちと同様に社会の指導者層として活躍した。現在のモンゴル国内モンゴルの国境や社会組織は清代のものを継承しており、モンゴル帝国の影響は今も間接的に残っているといえる。

[編集] 社会制度

モンゴル帝国は匈奴以来のモンゴリアの遊牧国家の伝統に従い、支配下の遊牧民を兵政一帯の社会制度に編成した。モンゴルにおける遊牧集団の基本的な単位は千人隊(千戸)といい、1000人程度の兵士を供出可能な遊牧集団を領する将軍や部族長がその長(千人隊長、千戸長)に任命された。

千人隊の中には100人程度の兵士を供出する百人隊(百戸)、百人隊の中には10人程度の兵士を供出する十人隊(十戸)が置かれ、それぞれの長にはその所属する千人隊長の近親の有力者が指名され、十人隊長以上の遊牧戦士がモンゴル帝国の支配者層である遊牧貴族(ノヤン)となる。千人隊長のうち有力なものは複数の千人隊を束ねる万人隊長(万戸)となり、戦時には方面軍の司令官職を務めた。

チンギス・ハーンとその弟たちの子孫は「黄金の氏族(アルタン・ウルク)」と呼ばれ、領民(ウルス)として分与された千人隊・百人隊・十人隊集団の上に君臨する上級領主階級となり、ハーンは大小様々なウルスのうち最も大きい部分をもつ盟主であった。ハーンや王族たちの幕営はオルドと呼ばれ、有力な后妃ごとにオルドを持つ。それぞれのオルドにはゲリン・コウ(ゲルの民)と呼ばれる領民がおり、オルドの長である皇后が管理した。

[編集] 行政制度

ハーンの宮廷にはケシクと呼ばれるハーンの側臣が仕え、彼らは親衛隊を務めるとともにケシクテイと呼ばれる家政機関を構成した。ケシクはコルチ(箭筒士)、ウルドゥチ(太刀持ち)、シバウチ(鷹匠)、ビチクチ(書記)、バルガチ(門衛)、バウルチ(料理番)、ダラチ(掌酒係)、ウラチ(車係)、モリチ(馬係)、スクルチ(衣装係)、テメチ(駱駝飼い)、コニチ(羊飼い)など様々な職制に分かれ、ノヤン(貴族)の子弟や、ハーンに個人的に取り立てられた者が属した。

モンゴル帝国は遊牧民の連合国家ではあるが、中央政府や占領地の統治機関はハーンの直轄支配下に置かれるので、これらはケシクからの出向者によって形成された。中央ではケシク内のモンゴル貴族から任命されたジャルグチ(断事官)が置かれ、行政実務や訴訟を担当した。その頂点に立つのが大断事官(イェケ・ジャルグチ)で、最初の大断事官はチンギス・ハーンの妻ボルテの養子シギ・クトクが務めた。地方では多くがモンゴル人から任命されるダルガチ(監督官)が都市ごとに置かれ、占領地の統治を管掌した。

そして、実務においてジャルグチやダルガチを助け、末端の文書・財務行政を担う重要な役職がビチクチ(書記)である。ビチクチは占領地の現地の言語に通じている必要があるので、漢民族西夏人契丹人女真人などの漢人や、ウイグル人ムスリム(イスラム教徒)などの色目人出身者が数多く参入した。

ハーンに仕えるビチクチたちはケシクの一員として主君の側近に仕え、被支配者に対する命令である勅旨(ジャルリグ)を記録、翻訳し文書によって発給した。中央から発せられた命令はジャムチと呼ばれる駅伝制によって1日100km以上もの速さで帝国の幹線路を進み、すみやかに帝国細部にまで行き届かせることができた。

さらに、モンゴル帝国は大ハーンのみならず、王族や貴族、皇后のオルドにもケシクに準じる組織があり、その将校、領民や出入りの商人に至るまで様々な出自の者が仕えた。彼らの小宮廷にも大ハーンと同じような行政機関が生まれ、言葉(ウゲ)と呼ばれる命令を発する権力をもった。また、14世紀の初め頃までは王族たちは自分の所領として分与された定住地帯の都市や農村に自分の宮廷からダルガチや徴税吏を派遣し、その地方行政に関与していた。

[編集] 軍事制度

モンゴル帝国の軍隊は、十進法単位で編成された千人隊・百人隊・十人隊に基づいて形成される。千人隊は遊牧民の社会単位でもあり、日常から各隊は、日常から長の帳幕(ゲル)を中心に部下のゲルが集まって円陣を組むクリエンという社会形態をつくって遊牧生活を送った。彼らは遊牧を共同してを行うとともに、ときに集団で巻狩を行い、団結と規律を高めた。

遠征の実施が決定されると、千人隊単位で一定の兵数の供出が割り当てられ、各兵士は自弁で馬と武具、食料から軍中の日用道具までの一切を用意した。軍団は厳格な上下関係に基づき、兵士は所属する十人隊の長に、十人隊長は所属する百人隊の長に、百人隊長は所属する千人隊の長に絶対服従を求められ、千人隊長は自身を支配するハーンや王族、万人隊長の指示に従う義務を負った。軍規違反に対しては過酷な刑罰が科せられ、革袋に詰めて馬で生きたまま平らになるまで踏みつぶしたり生きたまま釜ゆでにしたりすることもあったという。ただし、モンゴルの慣習では、こうした大地に血を流さない処刑方法は、貴人に死を賜るときの礼儀でもあった。

このように、モンゴル軍の主力となる軍隊は本来が遊牧民であり遊牧生活を基本としていたので、放牧に適さない南方の多湿地帯や西アジアの砂漠、水上の戦闘では機動や兵站に難があってそれが膨張の限界ともなった。これを補うため中国などでは支配民族から徴募した兵士の割合が増す。

支配民族の軍は、東アジアの元の場合では、世襲の農地と免税特権を与えられた軍戸に所属する者から徴募された。その軍制は遊牧民による千戸制の仕組みを定住民にあてはめたものであり、軍戸は百戸所、千戸所と呼ばれる集団単位にまとめられ、ある地方に存在する複数の千戸所は万戸府に統括される。兵士の軍役は軍戸数戸ごとに1人が割り当てられ、兵士を出さなかった戸が奥魯(アウルク、後方隊の意)となってその武器や食料をまかなった。

[編集] 編成

全軍は、右翼(バルーン・ガル)・中軍(コル)・左翼(ジューン・ガル)の三軍団に分けられ、中軍の中にもそれぞれの右翼と左翼があった。これはモンゴリアにおける平常の遊牧形態を基本としており、中央のハーンが南を向いた状態で西部にある遊牧集団が右翼、東部にある遊牧集団が左翼となる。また、おのおのの軍団は先鋒隊(アルギンチ)、中軍(コル)、後方輜重隊(アウルク)の三部隊に分けられた。

先鋒隊は機動力に優れた軽装の騎兵中心で編成され、前線の哨戒や遭遇した敵軍の粉砕を目的とする。中軍は先鋒隊が戦力を無力化した後に戦闘地域に入り、拠点の制圧や残存勢力の掃討、そして戦利品の略奪を行う。全軍の最後には、後方隊が家畜の放牧を行いながらゆっくりと後に続き、前線を後方から支えた。後方隊は兵士たちの家族など非戦闘員を擁し、征服が進むと制圧の完了した地域の後方拠点に待機してモンゴリア本土にいたときとほとんど変わらない遊牧生活を送る。前線の部隊は一定の軍事活動が済むといったん後方隊の待つ後方に戻り、補給を受けることができた。部隊の間には騎馬の伝令が行き交い、王族・貴族であっても伝令に会えば道を譲るよう定められた。

個々の兵士は全員が騎馬兵であり、速力が高く射程の長い複合弓を主武器とした。遊牧民は幼少の頃から馬上で弓を射ることに慣れ、強力な弓騎兵となった。兵士は遠征にあたって1人あたり7~8頭の馬を連れ、頻繁に乗り換えることで驚異的な行軍速度を誇り、軽装騎兵であれば1日70kmを走破することができた。

[編集] 戦闘

戦闘ではスキタイ以来の遊牧民の伝統と同じく、主力の軽装騎兵によって敵を遠巻きにし、弓で攻撃して白兵戦を避けつつ敵を損耗させた。また、離れた敵を引き寄せて陣形を崩させるために偽装退却を行い、敵が追撃したところを振り向きざまに射るといった戦法もよくとられた。弓の攻撃で敵軍が混乱するとサーベルメイスを手にした重装騎兵を先頭に突撃が行われ、敵軍を潰走させた。

追撃の際、兵士が戦利品の略奪に走ると逆襲を受ける危険があったことから、チンギス・ハーンは戦利品は追撃の後に中軍の制圧部隊が回収し、各千人隊が拠出した兵士の数に応じて公平に分配するよう定めた。

攻城戦は、モンゴリアにはほとんど都市が存在しないため得意とはしなかったが、撤退を装って守備軍を都市外に引きずりだすなど計略をもってあたった。金に対する遠征では、漢人やムスリムの技術者を集め、梯子や楯、土嚢などの攻城兵器が導入され、中央アジア遠征では中国人を主体とする工兵部隊を編成して水攻め、対塁建築といった攻城技術を取り入れた。中央アジア遠征ではサマルカンドで火炎兵器の投擲機、カタパルト式投石機などの最新鋭の城攻兵器の技術を入手するが、これらはホラズムやホラーサーンの諸都市に対する攻撃で早くも使われた。

攻城にあたってはあらかじめ降伏勧告を発し、抵抗した都市は攻略された後に略奪され、住民は虐殺された。その攻撃は熾烈を極めチンギス・ハーンの中央アジア遠征のとき、バーミヤーン、バルフなどの古代都市はほとんど壊滅して歴史上から姿を消す。

[編集] 情報戦略

モンゴル軍の遠征における組織だった軍事行動を支えるためには、敵情の綿密な分析に基づく綿密な作戦計画の策定が必要であり、モンゴルは遠征に先立ってあらかじめ情報を収集した。実戦においても先鋒隊がさらに前方に斥候や哨戒部隊を進めて敵襲に備えるなど、きわめて情報収集に力がいれられる。また、中央アジア遠征ではあらかじめモンゴルに帰服していた中央アジア出身のムスリム商人、ヨーロッパ遠征では母国を追われて東方に亡命したイングランド貴族が斥候に加わり、情報提供や案内役を務めていたことがわかっている。

チンギス・ハーンの中央アジア遠征の場合、連戦連勝で進んだモンゴル軍はアム川を越えてホラーサーン、アフガニスタンに入るとしばしば敗戦も喫し、無思慮な破壊や虐殺が目立つようになるが、これはホラズム・シャー朝があまりにも急速に崩壊したために事前の作戦計画が立てられないまま戦線を拡大してしまったためである。

中央アジアの諸都市ではそれぞれで数十万人の住民が虐殺されたとされ、バトゥのヨーロッパ遠征で滅ぼされたルーシの中心都市キエフは陥落後10年経っても人間の姿が見られなかったという。また、日本に対する遠征(元寇)の際は、捕虜の手に穴を空けて連行したと伝えられており、モンゴル軍の残虐さを物語る逸話はユーラシアの各地に数多く残る。しかし、中央アジアではこの時代のオアシス都市としてはありえない数十万人の住民が殺害されたと言われているように、このような言い伝えには誇張もあると思われる。実は、恐怖のモンゴル軍のイメージは、戦わずして敵を降伏させるために使われたモンゴルの情報戦術のひとつだったのではないかとも言われている。

[編集] 経済

モンゴル帝国は、先行する遊牧国家と同様に、商業ルートを抑えて国際商業を管理し、経済を活性化させて支配者に利益をあげることを目指す重商主義的な政策をとった。内陸の国や港湾国家は一般に、通過する財貨に関税をかけて国際交易の利益を吸い上げようとするが、モンゴル帝国は商品の最終売却地でのみ商品価格の三十分の一の売却税をかけるように税制を改めた。

遊牧民は生活において交易活動が欠かせないため、モンゴル高原には古くからウイグル人やムスリムの商人が入り込んでいたが、モンゴル帝国の支配者層は彼らを統治下に入れるとオルトクと呼ばれる共同事業に出資して利益を得た。占領地の税務行政がの取り立てに特化したのも、国際通貨である銀を獲得して国際商業への投資に振り向けるためである。モンゴル帝国の征服がもたらしたジャムチの整備とユーラシア大陸全域を覆う平和も国際商業の振興に役立った。

モンゴル帝国の拡大とともにユーラシアを横断する使節、商人、旅行者の数も増加し、プラノ・カルピニ、モンテ・コルヴィノのジョヴァンニ、マルコ・ポーロイブン=バットゥータなどの著名な旅行家たちがあらわれる。

[編集] 文化

モンゴル部族の伝来の宗教は素朴な天に対する信仰を基礎としたシャーマニズムであり、かつ仏教ネストリウス派キリスト教イスラム教を信仰する人々とも古くから接してきたため、神を信じる全ての宗教を原則として平等に扱った。モンゴル帝国に服属した宗教教団は保護が与えられて宗教上の自治を享受した。

モンゴルはチンギス・ハーンのジャサク(ヤサ)と呼ばれる遊牧民の慣習法とチンギス・ハーンの勅旨・訓言を律法として固く守り、少数支配者であってもモンゴルの社会制度を維持した。14世紀に入ると、モンゴル人たちは次第に東方ではチベット仏教、西方ではイスラム教を受け入れていくが、チンギス・ハーンのジャサクに基づく社会制度は極力維持され、宗教的な寛容は保たれた。

その一方で、実用に役立つ異文化の摂取については排他性が薄く、学術や技術の東西交流を促進させた。この時代に西アジアには中国から絵画の技法が伝わって細密画(ミニアチュール)が発達する。中国には西アジアから天文学など世界最先端の科学が伝えられ、投石機などの優れた軍事技術がもたらされた。逆に中国では、モンゴルのケシク制度に適合しない科挙が廃れるなど、儒教があまり重視されなかったが、儒学の中でも実用性を重んじる朱子学が地位を高め、14世紀に科挙が部分復活したとき正式の解釈として採用されるようになる。

[編集] モンゴル帝国の継承政権

チンギス・ハーン家の略系図
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チンギス・ハーン家の略系図

ジョチのウルスから生まれた政権

チャガタイのウルスから生まれた政権

トルイのウルスから生まれた政権

  • 北元 - トルイの次男クビライの子孫
    • オイラト - トルイ家の重臣オイラト部族を核とした部族連合
      • ジュンガル - オイラトのジュンガル部族が形成した遊牧政権
  • イルハン朝 - トルイの三男フレグの子孫
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