戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)
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戦前・戦中期日本の言論弾圧(せんぜん・せんちゅうきにほんのげんろんだんあつ)。1920年代以降1945年に至る時期の日本において、左翼勢力・自由主義者・宗教団体に対して治安当局が行った弾圧事件の年表。
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[編集] 概要
- 戦前期 - 戦中期の日本の言論弾圧の歴史は、(1)非合法的左翼勢力(すなわち日本共産党・共産主義者)およびその関連団体(大衆運動組織)を中心とする弾圧、(2)合法的左翼勢力(すなわち一部の急進的社会民主主義者)および自由主義的知識人を中心とする弾圧、(3)体制内の非主流派・批判的グループ(左翼からの転向者が多かった)を中心とする弾圧の順に展開された。また、一部の宗教団体も天皇制に対する批判勢力と見なされ、厳しい弾圧を受けた。この中で弾圧立法として大きな役割を果たしたのが治安維持法であり、いくどかの改定を経て本来の立法意図をすら逸脱し、広い意味での体制批判者を取り締まる法へと拡大解釈されていった。敗戦後、GHQの政策により治安維持法体制は一転して解体に向かった。
- 1920年 - 1925年
- 1926年 - 1932年
- 1933年 - 1936年
- 1937年 - 1940年
- 1940年 - 1945年
[編集] 年表
[編集] 1920年 - 1925年
- 1920年1月10日:森戸事件。
- 1920年10月2日:警視庁特別高等課に労働係を新設。
- 1921年5月9日:日本社会主義同盟結社禁止。
- 1921年12月:暁民共産党事件[近藤栄蔵ら検挙]。
- 1921年:第一次大本事件[出口王仁三郎ら不敬罪・新聞紙法違反で起訴]。
- 1923年6月5日:第一次日本共産党事件[翌1924年3月:解党]。
- 1923年6月9日:社会主義者高尾平兵衛射殺さる。
- 1923年9月1日:関東大震災[翌2日:戒厳令施行]
- 1923年9月4日:亀戸事件[平澤計七・河合義虎らが軍隊により殺害]。
- 1923年9月16日:甘粕事件。
- 1925年4月22日:治安維持法公布[5月19日施行]。
- 1925年12月1日:農民労働党が結成され即日禁止。
[編集] 1926年 - 1932年
- 1926年1月15日:京都学連事件本格化。
- 京都帝大など全国の学生社会科学連合会メンバーが検挙、最初の治安維持法適用事件。翌1927年5月30日:京都地裁による有罪判決。
- 1926年11月12日:松本治一郎ら全国水平社幹部の検挙。
- 福岡連隊内差別事件の糾弾運動に対する弾圧。連隊爆破陰謀の容疑。
- 1928年:三・一五事件。
- 全国で検挙1568名、起訴483名(初めて治安維持法を適用)。4月10日に報道解禁。
- 1928年4月3日:ほんみち教祖ら不敬事件で起訴。
- 1928年4月10日:労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟に解散命令。
- 1928年4月18日:京都帝大は経済学部教授河上肇を追放。
- 1928年6月29日:治安維持法中改正を公布する緊急勅令。
- 最高刑を死刑とする。1929年3月5日:衆議院で事後承諾案可決。
- 1928年7月3日:全国の警察署に特別高等課設置。
- 1928年7月24日:各地裁に思想係検事(思想検事)を設置。
- 1928年10月6日:共産党書記長渡辺政之輔、台湾・基隆にて警官に追いつめられ自殺。
- 1929年:四・一六事件[全国で共産党関係者起訴339名]。
- 1929年3月5日:治安維持法改正事後承諾案に反対した山本宣治代議士刺殺。
- 1930年5月1日:武装メーデー事件[川崎で竹槍武装デモ行進]。
- 1930年5月20日:共産党シンパ事件[中野重治・三木清ら検挙]。
- 1931年5月25日:三・一五と四・一六両事件の統一公判開始。
- 1932年10月29日:一審判決。
- 1932年4月:プロレタリア文化団体への弾圧、4日蔵原惟人、7日宮本百合子検挙。
- 1932年6月29日:警視庁特高課が特別高等部に昇格。
- 1932年10月6日:赤色銀行ギャング事件。
- 共産党内に潜入した特高スパイMによる挑発的事件。
- 1932年10月30日:司法官赤化事件。
- 東京地裁尾崎陞判事らを共産党シンパとして検挙。
- 1932年11月3日:共産党中央委員岩田義道虐殺。
- 1932年11月12日:熱海事件[共産党全国代表者会議の直前に一斉検挙]。
[編集] 1933年 - 1936年
- 1933年1月:大塚金之助、河上肇の検挙。
- 1933年2月4日:教員赤化事件。
- 長野県下で共産党シンパとされた教員の一斉検挙開始。4月までに65校138名検挙。
- 1933年2月20日:小林多喜二、検挙され警視庁築地署で虐殺される。
- 1933年4月22日:滝川事件の始まり。
- 1933年6月7日:共産党幹部佐野学および鍋山貞親が獄中で転向声明。
- これ以後共産党被告の転向が続く。
- 1933年8月11日:桐生悠々、信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤う」を掲載。
- その後問題化し、桐生は退社に追い込まれた。
- 1933年9月13日:日本労農弁護士団の検挙。
- 1933年11月28日:共産党委員長野呂栄太郎の検挙[翌1934年2月19日:獄死]。
- 1934年1月15日:共産党内のスパイ査問事件(1933年12月13日)が発覚。
- 1934年5月2日:出版法改正公布[皇室の尊厳冒涜・安寧秩序妨害への取締強化]。
- 1934年6月1日:文部省に思想局を設置。
- 1935年2月18日:天皇機関説事件の始まり。
- 1935年3月4日:袴田里見の検挙[共産党中央委員会の壊滅]。
- 1935年12月8日:第二次大本事件。
- 1936年月1月12日:共産党関西地方委員会の指導分子が検挙され組織壊滅。
- 1936年5月28日:思想犯保護観察法公布。
- 1936年5月28日:不穏文書臨時取締法公布。
- 1936年12月5日:関西の共産党「中央再建準備委員会」の一斉検挙、組織壊滅。
- 1936年3月24日:内務省がメーデー禁止を通達。
- 1936年7月10日:コム・アカデミー事件。
- 1936年9月28日:ひとのみち教団(現パーフェクト・リバティー教団)幹部の検挙。
- 翌1937年4月28日:結社禁止。
- 1936年11月29日:新興仏教青年同盟の妹尾義郎検挙。
- 1937年10月20日幹部12名検挙。計29名が起訴。
[編集] 1937年 - 1940年
- 1937年11月8日:中井正一・新村猛ら『世界文化』同人の一斉検挙開始。
- 1937年11月24日:矢内原事件。
- 1937年12月15日:第1次人民戦線事件。
- 1937年12月22日:日本無産党および日本労働組合全国評議会の結社禁止。
- 1938年2月1日:第2次人民戦線事件。
- 1938年2月18日:『中央公論』3月号掲載の石川達三「生きてゐる兵隊」発禁。
- 1938年3月11日:社会大衆党代議士西尾末広の政府激励演説が問題化。
- 1938年9月13日:「日本共産主義者団」の春日庄次郎ら一斉検挙。
- 1938年10月5日:東京帝大経済学部教授河合栄治郎の主著発禁。
- 1938年10月:「京浜労働者グループ」事件。
- 京浜工業地帯の労働者による研究会への弾圧。講師の企画院属・芝寛が逮捕。
- 1938年11月21日:ほんみち教団への弾圧。
- 1938年11月29日:唯物論研究会事件。
- 1939年1月28日:平賀粛学事件。
- 東京帝大総長平賀譲、河合栄治郎および土方成美両教授の休職を文相に上申。
- 1939年3月25日:軍事資源秘密保護法公布。
- 1939年4月8日:宗教団体法公布。
- 1939年6月21日:灯台社への弾圧。
- 明石順三ら計130名の一斉検挙。同年8月27日結社禁止。1942年5月30日:懲役12年の判決。
- 1940年1月11日:津田左右吉右翼の攻撃により早大教授辞任。
- 2月12日:主著『神代史の研究』など発禁。3月8日:起訴。
- 1940年2月2日:斎藤隆夫代議士「反軍演説」事件。
- 戦争政策を批判した衆議院での演説が問題化。3月7日:議員除名処分。
- 1940年2月6日:生活綴方運動への弾圧開始。村山俊太郎ら検挙。
- 運動関係者・『生活学校』関係教員約300名を検挙。
- 1940年8月25日:賀川豊彦、反戦平和論により憲兵隊に拘引。
[編集] 1941年 - 1945年
- 1941年1月:企画院事件の始まり。調査官の稲葉秀三・正木千冬・佐多忠隆検挙。
- 1941年3月10日:治安維持法全面改正公布[予防拘禁制度の新設]。
- 1941年5月15日:予防拘禁所設置。
- 1941年10月15 日:尾崎秀実検挙。ゾルゲ・尾崎事件の始まり。
- 10月18日:リヒャルト・ゾルゲ検挙。1944年11月7日:処刑。
- 1941年12月9日:全国の治安維持法違反被疑者・要視察人・予防拘禁予定者計396名を検挙・検束・仮収容。
- 1941年12月19日:言論出版集会結社等臨時取締法公布。
- 1942年4月24日:尾崎行雄、選挙演説で不敬罪で起訴。
- 翼賛選挙における非推薦候補の運動に対する全国的干渉の一環。
- 1942年6月29日:中西功ら上海反戦グループ(「中共諜報団」)の検挙。
- 1942年9月12日:横浜事件の始まり。
- 1942年9月21日:満鉄調査部事件。調査部の具島兼三郎・大上末広ら検挙。
- 翌1943年7月:伊藤武雄・石堂清倫ら検挙。
- 1943年1月1日:中野正剛の「戦時宰相論」を掲載した朝日新聞の発禁。
- 1943年3月13日:戦時刑事特別法公布。
- 1943年3月15日:大阪商大事件。
- 名和統一教授および急進的学生グループなど20名が検挙。
- 1943年3月15日:『中央公論』掲載の谷崎潤一郎「細雪」連載禁止。
- 1943年6月20日:創価教育学会の牧口常三郎・戸田城聖ら検挙。
- 1944年2月23日:竹槍事件。
- 毎日新聞「竹槍では間に合わぬ」の記事で差し押さえ。
- 1945年2月:戦争敗北の流言が広まり東京で1月以来40余件が送検。
- 1945年8月15日:終戦。対連合国軍無条件降伏。
- 1945年9月1日:降伏文書に調印。米軍による占領開始。
- 1945年9月26日:三木清の獄死。
- 1945年10月4日:GHQ/SCAP、政治・信教・民権の自由制限撤廃の覚書発表。治安維持法廃止指令。
- 1945年10月10日:政治犯約3000名釈放。
- 1945年10月15日:治安維持法・治安警察法・保護観察法など廃止。特高警察官罷免。