トムス
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株式会社トムス(英文名称:TOM'S Co., Ltd.)は、主にトヨタ車向けのアフターパーツなどの開発・販売を手がける日本の企業。1974年設立。トヨタ車を用いたレース活動を盛んに行っている。TOM'Sの名の由来は、設立者の舘信秀、大岩湛矣とモータースポーツの頭文字を組み合わせたものである。
一時はイギリスに置いた現地法人のトムスGBにおいて、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)にフル参戦した他、独自にF3マシンを開発・販売していたことでも知られる。トムスGBは後にアウディに売却されたが、その後名称を「アウディスポーツUK」と改めアウディ・R8やアウディ・R10といったマシンを世に送り出している。
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[編集] レース活動
[編集] 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
1983年のシリーズ開幕戦、鈴鹿500kmから参戦。以降1992年のシリーズ最終戦MINE500kmまで全戦参加する。83年開幕時は、82年WEC用に開発したトムス童夢・セリカCを改良したトムス82Cを使用し、シーズン途中からトムス83Cに変更した。以降84C、85C、86C、87C、88C、88C-V、89C-V、90C-V、91C-V、92C-V、TS010を投入し、10年間で8勝をあげた。1992年にはCクラスでチャンピオンを獲得している。1987年からは「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタのワークス活動も担う。これに伴い87C以降はマシン名も「トムス」から「トヨタ」になった。
[編集] ル・マン24時間レース
初参戦は1980年で、マシンはIMSA-GTX仕様A40セリカ・ターボ。この時は予選落ちに終わる。1985年からはグループCで参戦を続ける。85年はトムス・85C/トヨタで12位完走。1987年からは「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタのワークスとして参戦。1990年にはトヨタ90C-Vで6位入賞。1991年には参戦を休止したが、1992年にはトヨタTS010で復帰、2位に入賞し関谷正徳が日本人として初めてル・マンの表彰台に立った。翌1993年もTS010で挑むがまたしてもプジョーに破れ4位。以降トムスはル・マンに参戦していない。
[編集] 世界スポーツプロトタイプカー選手権
1989年から「TOYOTA TEAM TOM'S」(TTT)としてトヨタ88C、89C-Ⅴでフル参戦。第2戦ディジョンでは88Cが4位に入賞している。翌1990年には全戦2カーで挑むが、開幕戦の鈴鹿の6位が最高位。スポーツカー世界選手権(SWC)と改称した翌91年は参戦を休止したが最終戦オートポリスに翌年の参戦を条件に特例で開発したばかりのTS010でスポット参戦し6位となった。1992年にTS010でシリーズ復帰。開幕戦モンツァでは小河等が優勝を飾るも、その後はプジョーに勝てずチャンピオンの座は獲得できなかった。SWCはこのシーズンをもって終了した。
[編集] 全日本ツーリングカー選手権
[編集] 全日本GT選手権・SUPER GT
1995年より参戦。1997年と2006年にシリーズチャンピオンに輝いている。マシンは2005年まではトヨタ・スープラを使用していたが、2006年からレクサス・SC430に変更された。エントラント名は2000年以前はスポンサー名を含むものだったが、2001年から「TOYOTA TEAM TOM'S」に統一した。同年に関谷正徳が監督に就任している。
- 1995年
- 1996年
- 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/ペドロ・デ・ラ・ロサ
- 1997年
- 36号車 カストロールトムススープラ ミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサ
- 37号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/鈴木利男
- 1998年
- 36号車 カストロールトムススープラ 関谷正徳/ノルベルト・フォンタナ
- 37号車 カストロールトムススープラ 鈴木利男/ケルビン・バート
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 36号車 WOODONEトムススープラ 土屋武士/マルコ・アピチェラ
- 37号車 DYNACITYトムススープラ ジェームス・コートニー/片岡龍也
- 2005年
- 36号車 DYNACITY(OPEN INTERFACE)トムススープラ 土屋武士/ジェームス・コートニー
- 37号車 DYNACITY(OPEN INTERFACE)トムススープラ 片岡龍也/山本左近
- ※メインスポンサーは第4戦までダイナシティだったが、同社の社長の不祥事などが理由で、第5戦からオープンインタフェースに交代している。
- 2006年
- 36号車 OPEN INTERFACE TOM'S SC430 脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー
- ※2006年は1台のみのエントリーなのは、トヨタがSCの供給を全部で4台に絞ったため。
[編集] チューニングパーツメーカーとしての活動
事業内容にもあるように基本的にトヨタ車専門のパーツメーカーである(かつてDoエンジニアリングとの共同で、FD3S RX-7用アドヴォクスを発売した例外はある)。
ディーラー販売もされるため、過激なチューニングメニューは取り揃えてはいない。しかし、高級車高調「コイルダンパーユニット アドヴォクス」の高級車並の快適性をスポイルせずに、運動性能を引き上げるというコンセプトは、多くのチューニングカー雑誌から賞賛されている。また、このアドヴォクスが上手く働かないからと言う理由で、フロアプレースバーを製作する。アドヴォクスと組み合わせるとドライバーにとって違和感のある動きをするという理由でARSキャンセラーを製作するなど、足回りにはこだわりが見られる。
またトヨタ・アリスト(JZS161 アリストV300)の難攻不落と言われていたECUをほぼ完全掌握した「T.E.C.II」はアリストチューンに更なる選択肢を与える事となった。