ジェンソン・バトン
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F1での経歴 | |
国籍 | イギリス イングランド |
車番 | 12 |
所属チーム | ホンダ |
活動年数 | 2000 - |
過去の所属チーム | ウィリアムズ, ベネトン, ルノー, B・A・R |
出走回数 | 118 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 223 |
表彰台(3位以内)回数 | 15 |
ポールポジション | 3 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2000年オーストラリアGP |
初勝利 | 2006年ハンガリーGP |
2006年順位 | 6位 (56ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
ジェンソン・アレクサンダー・ライオンズ・バトン(Jenson Alexander Lyons Button, 1980年1月19日 - )は、イギリス人の自動車レーサー。現役のF1ドライバーである。
目次 |
[編集] プロフィール
8歳でレースキャリアをスタート。1998年イギリス・フォーミュラ・フォード王者などを経て、1999年イギリスF3参戦。参戦初年度ながら3勝を挙げシリーズ3位に食い込む活躍を見せ、この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝く。これの副賞として、ジェンソンはこの年の9月マクラーレンのテストに参加しF1ドライブを初体験。続けて、アラン・プロストから直々にオファーを受け参加したプロスト・グランプリのテストドライブでは、レギュラードライバーのジャン・アレジを上回るタイムを記録し注目される。
そして2000年の初め、ジェンソンに大きなチャンスが舞い込む。F1の名門チームウィリアムズは、解雇したアレックス・ザナルディの代役を決めるトライアウトを開催。チーム代表のフランク・ウィリアムズからオファーを受けてこれに参加したジェンソンは、ブラジル人ドライバーのブルーノ・ジュンケイラとの激しい争いの末、見事ウィリアムズのレギュラーシートを勝ち取った。20歳でのF1デビューだった。大きな期待とプレッシャーの中で、ジェンソンはドイツGPで4位入賞、計12ポイントを獲りランキング8位という成績を残した。
だが2001年シーズン、ウィリアムズはCARTチャンピオンのファン・パブロ・モントーヤがチームに加入したことを受け、ジェンソンをベネトンへレンタル移籍させる。この年のベネトンは戦闘力に欠けるマシンで、入賞はわずか1度、2ポイントに終わる。2002年もベネトンを買収したルノーから引き続き参戦、自己最高の14ポイントを獲得するが、翌2003年は同チームテストドライバーのフェルナンド・アロンソに押し出される形でB・A・Rに移籍。しかしここでジェンソンは、エースドライバーのジャック・ヴィルヌーヴを上回る7度の入賞を果たす。
ヴィルヌーヴのチーム離脱を受け、エースとして迎えた2004年シーズン、高い戦闘力をもつマシン(B.A.R Honda 006)を駆ったジェンソンは、第2戦マレーシアGPで3位となり初めて表彰台に上る。これをきっかけに、ウィリアムズやマクラーレンの不振にも乗じて表彰台には計10度上った。また第4戦サンマリノGPでは初のポールポジションも獲得。B・A・Rのコンストラクター・ランキング2位躍進に大きく貢献したもののフェラーリの壁は厚く、またチーム戦略の拙さもあり、初優勝にはあと一歩手が届かなかった。
2004年シーズン中、ジェンソンにはウィリアムズへの移籍騒動が勃発したが、契約承認委員会(CRB)の裁定により、2005年はB・A・Rに残留した。シーズン前半戦には、サンマリノGPでの重量規定違反による失格とその後2戦の出場停止でまさかのノーポイントが続いていたが、第10戦フランスGPからは残り10戦全てでポイント獲得を果たした。
2006年については、ウィリアムズ側は、バトンは契約により移籍すべきであると主張し、マスコミなども移籍濃厚と見ていたが、推定3000万ドル(約33億円)という違約金を、チームから前借り(ホンダは「出世払い」と表現したが)した上で自ら支払いチーム残留が決定した。1990年代以降契約は軽んじられる傾向にあるが、この2年間の同選手の行動は度が過ぎていると非難する声もある。現在チームとは5年、推定8800万ドル(約98億円)の契約を交わしているといわれ、これは未勝利ドライバーとしては破格の超高額契約であった。
2006年は、フェラーリで9回の優勝を達成したルーベンス・バリチェロがチームメイトとなったが、母国イギリスで「100戦して未勝利のドライバーがチャンピオンにはなれないのではないか」と言われているバトンにとっては正念場のシーズンと言われ、実際に中盤まで苦戦が続いていたが、第13戦ハンガリーGPにおいて参戦113戦目で待望のF1初優勝を飾った。これは、2006年時点において、125戦のルーベンス・バリチェロ、119戦のヤルノ・トゥルーリに次いで、史上3番目に遅い初優勝となった。
[編集] F1での戦歴
(2006年第18戦終了時)
年 | 所属チーム | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | ウィリアムズ | 12 | 8位 | 4位・1回 | 0回 | 3位・1回 |
2001年 | ベネトン | 2 | 17位 | 5位・1回 | 0回 | 9位・1回 |
2002年 | ルノー | 14 | 7位 | 4位・2回 | 0回 | 6位・1回 |
2003年 | B・A・R | 17 | 9位 | 4位・2回 | 0回 | 5位・1回 |
2004年 | 85 | 3位 | 2位・4回 | 10回 | 1位・1回 | |
2005年 | 37 | 9位 | 3位・2回 | 2回 | 1位・1回 | |
2006年 | ホンダ | 56 | 6位 | 1位・1回 | 2回 | 1位・1回 |
[編集] バトンゲート
2004年から2年に渡るウイリアムズ、ホンダ、バトン間の契約問題を、1970年代アメリカを舞台にした一大スキャンダルになぞらえた造語。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
2006年シーズンのF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
M | RENAULT | M | McLAREN | B | FERRARI | B | TOYOTA | B | WILLIAMS | 使用タイヤ: M: ミシュラン B: ブリヂストン |
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1 | アロンソ | 3 | ライコネン | 5 | M.シューマッハ | 7 | R.シューマッハ | 9 | ウェバー | ||
2 | フィジケラ | 4 | デ・ラ・ロサ | 6 | マッサ | 8 | トゥルーリ | 10 | ロズベルグ | ||
M | HONDA | M | RED BULL | M | BMW SAUBER | B | SPYKER MF1 | M | TORO ROSSO | B | SUPER AGURI |
11 | バリチェロ | 14 | クルサード | 16 | ハイドフェルド | 18 | モンテイロ | 20 | リウッツィ | 22 | 佐藤 |
12 | バトン | 15 | ドーンボス | 17 | クビサ | 19 | アルバース | 21 | スピード | 23 | 山本 |
井出 (スーパーアグリ-23・第1~4戦) / モントーヤ (マクラーレン-4・第1~10戦) モンタニー (スーパーアグリ-23・第5~11戦) / ヴィルヌーヴ(BMW-17・第1~12戦) クリエン (レッドブル-15・第1~15戦) |