基隆市
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中華民国台湾省基隆市 | |
地理 | |
位置 | 東経121°6' 北緯24°9' |
面積 | 132.7589km² |
人口 | |
戸口(2006年7月) | 140,574戸 |
人口(2006年7月) | 390,951人 |
政治 | |
行政区分 | 省轄市 |
市長 | 許財利 |
地方自治期間 | 基隆市議会 |
下部行政区画 | 7区 |
その他 | |
市外局番 | 02 |
市花 | 紫薇 |
市鳥 | 鷹 |
市木 | 楓香 |
古称 | 鶏籠 |
略称、別称 | 基、雨港、港都 |
基隆市政府 | |
所在地 | 20201 基隆市中正区義一路1号 |
電話番号 | +886-2-24201122 |
外部リンク | 基隆市政府 |
基隆市の市章 |
|
基隆市の位置 |
基隆市(きーるんし)は台湾北部にある港町。中国語ではジーロンシュー(注音: ㄐㄧ ㄌㄨㄥˊ ㄕˋ、ピン音: Jīlúng Shì)という。 台湾で2番目の港であり、貿易で栄えている。尊済宮を中心に栄えた夜市(廟口小吃)が特に有名である。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 歴史
基隆はもともとは鶏籠と呼ばれており、17世紀初頭にスペイン人が進出したのち、オランダ人、さらには鄭成功一派の拠点にもなった港町である。清朝が鄭成功一派を撃破した後は清国の支配下に入る。清朝統治時代の1861年、対外的に開港が定められた。さらに1885年には台湾省が設置され、地名も鶏籠(きーるん)から同音の基隆に改められた。
このように基隆は日本統治時代以前から対外貿易の拠点となっていたが、港湾の水深が浅く岩礁も多かったため大型船の停泊には適さず、近代的な港としては限界があった。そこで日本は1895年から台湾統治を開始すると、早くもその4年後の1899年から浚渫(しゅんせつ)工事と防波堤の建設などを進め、1万トン級の船舶が停泊可能な港へと改造した。同時に基隆は台湾縦貫鉄道の北側の起点とされ、その重要性はさらに高まった。事実、基隆は日本海軍が所在する軍港であり、要塞地帯にも指定されていた。
基隆は台湾北部という地勢のため、日本本土との貿易港としても繁栄した。内地から移住する日本人も多く、急速に都市化が進展していった。1925年には市制がしかれたが、その頃の人口は約7万、そのうちの4分の1が内地人(日本人)であった。
現在、基隆は台湾北部の中心港埠で、台北都市圏の衛星都市として大発展した。
[編集] 行政区画
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 台湾鉄路管理局
線区名 | 駅数 | 駅名称 |
---|---|---|
縦貫線 | 5 | 基隆駅(縦貫線起点) 三坑駅 八堵駅 七堵駅 百福駅(建設中) |
東部幹線 | 3 | 七堵駅 八堵駅 暖暖駅(無人駅) |
深澳線 | 貨物線 | (客運復活計画あり) |
基隆臨港線 | 貨物線 | (部分廃止) |
[編集] ライトレール
現在、基隆市政府は市内を連絡する交通手段としてライトレール方式の基隆軽軌が計画中である。全部の計画路線は下記の通り。
[編集] 捷運
- 地元は台北捷運藍線の延伸を要求する声があり、但し実際的な計画がない。
[編集] バス
- 路線バス
- 基隆市公共汽車管理処 (基隆市営バス) - 市内路線を経営。均一料金制。
- 基隆汽車客運
- 福和客運
- 高速バス
- 國光汽車客運
- 福和客運
- 基隆汽車客運
- 首都客運
[編集] 道路
[編集] 高速道路
- 中山高速公路(国道1号)
- フォルモサ高速公路(国道3号)
- 基金端
- 瑪東系統交流道
- 東西向快速道路 萬里瑞濱段 (省道‧台62線) - 2006年末全線開通予定
- 西定河高架道路(西定川バイパス)
- 基隆港東岸連外快速道路 (計画中)
- 環山道路 (計画中)
[編集] 省道
"台○○線"は本線、"台○○甲,乙,丙,丁,戊,己,庚,辛,壬,癸線"は支線です。
[編集] 船舶
基隆港~南竿‧福澳港~東引‧中柱港→定期運航
なお、スタークルーズにより石垣への観光航路がある。
[編集] 教育
[編集] 大学
[編集] 高校
- 国立基隆高級中学
- 国立基隆女子高級中学
- 基隆市立中山高級中学
- 基隆市立安楽高級中学
- 基隆市立暖暖高級中学
- 天主教聖心高級中学
- 私立二信高級中学
[編集] 高職
- 国立基隆海事職業学校
- 国立基隆商工職業学校
- 光隆高級家事商業職業学校
- 培徳高級工業家事職業学校
[編集] その他学校
各区の教育欄を参照の事
[編集] 施設
[編集] ホール
[編集] 図書館
- 基隆市文化局図書館
- 周氏図書館
各区に区立図書館がある
[編集] スポーツ
- 基隆市立體育場
- 基隆市立體育館
- 暖暖運動公園
[編集] その他
- 主普壇 - 旧暦7月頃が盛大の普度活動(中元祭)の主場所である。
- 国立海洋科技博物館 (2009年開業予定)
[編集] 歴代市長
[編集] 日本統治時代
[編集] 中華民国時代
官選市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 石延漢 | 1945年 | 1947年 | |
第2代 | 梁劼誠 | 1947年 | 1948年 | |
第3代 | 鄧伯粹 | 1948年 | 1949年 | |
第4代 | 謝貫一 | 1949年 | 1950年 | |
第5代 | 高大経 | 1950年 | 1951年 |
民選市長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 政党 |
---|---|---|---|---|
初代 | 謝貫一 | 1951年 | 1954年 | 中国国民党 |
第2代 | 謝貫一 | 1954年 | 1957年 | 中国国民党 |
第3代 | 謝貫一 | 1957年 | 1960年 | 中国国民党 |
第4代 | 林番王 | 1960年 | 1964年 | 無所属 |
第5代 | 林番王 | 1964年 | 1965年 | 無所属 |
補選 | 蘇徳良 | 1965年 | 1968年 | 中国国民党 |
第6代 | 蘇徳良 | 1968年 | 1972年 | 中国国民党 |
第7代 | 陳正雄 | 1972年 | 1977年 | 中国国民党 |
第8代 | 陳正雄 | 1977年 | 1981年 | 中国国民党 |
第9代 | 張春熙 | 1981年 | 1985年 | 中国国民党 |
第10代 | 張春熙 | 1985年 | 1989年 | 中国国民党 |
第11代 | 林水木 | 1989年 | 1993年 | 中国国民党 |
第12代 | 林水木 | 1993年 | 1997年 | 中国国民党 |
第13代 | 李進勇 | 1997年 | 2001年 | 民主進歩党 |
第14代 | 許財利 | 2001年 | 2005年 | 中国国民党 |
第15代 | 許財利 | 2005年 | 現職 | 中国国民党 |
[編集] 観光
[編集] 名所
- 廟口小吃
- 中正公園 (日本統治時代の台湾八景・旭ヶ丘)
- 和平島
- 基隆島
- 八斗子公園
- 外木山海岸
- 碧砂漁港
- 崁仔頂漁市 (台湾を代表する水産物卸売市場である)
- 仙洞巖
- 情人湖
- 暖東峡谷
- 泰安瀑布
- 紅淡山
- 二沙灣砲台 (海門天險)
- 獅球嶺砲台
- 大武崙砲台
- 白米甕砲台 (オランダ城)
- 槓子寮砲台
- 海港大樓 (基隆港務局、基隆税関合同庁舎)
- 霊泉禪寺
- 陽明海洋文化藝術館
[編集] 祭り
- 鶏籠中元祭
[編集] 基隆出身の有名人
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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