バグダード
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バグダード(بغداد Baghdād)は、イラクの首都。日本では多くの場合バグダッドと表記されるが、アラビア語の綴り・発音に近づけるとバグダードという表記になる。
アッバース朝によって建設された古都で、中東諸国ではカイロ、テヘラン、イスタンブルに次ぐ大都市で、2003年の人口はおよそ577万人。
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[編集] 地理
イラクのほぼ中央にあり、メソポタミア平原の中心。チグリス川の河畔に位置する。川の左岸には諸官庁、右岸には空港やテレビ局などがある。
[編集] 歴史
バグダードの歴史はメソポタミア文明にまでさかのぼり、サーサーン朝時代にはチグリス河畔の交通の要衝であることから周辺地域の物流の中心となった。都市名のバグダードはペルシア語で「神の贈り物」を意味するとされる。
メソポタミアの農産物の集積地として食料事情に恵まれ、交易の結節点となりうる地の利を持つバグダードの地は762年にアッバース朝の第2代カリフ、マンスールによって新都に定められ、北アフリカから中央アジアに至る広大なイスラム帝国の中心にふさわしい新都として、直径2.35kmの正円の城壁を持った都市が建設された。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームの名が与えられた新都バグダードは中近東の代表的な商業都市として栄え、市街地は城壁を越えてチグリス川の対岸まで大きく広がった。アッバース朝の最盛期を築いたハールーン・アッ=ラシードの時代から数十年のあいだ繁栄を極めたバグダードの人口は100万人を越え、イスラム世界の学問の中心地として各地から多くの学者が集まり、千夜一夜物語の多くの物語の舞台にもなった。
9世紀の一時的なサーマッラーへの遷都の時代もバグダードの繁栄は揺るがなかったが、10世紀頃からアッバース朝を支える軍人同士の抗争や洪水の頻発から次第に荒廃し始め、1258年のモンゴル帝国軍の侵攻によってアッバース朝が滅ぼされ、カリフの都の座を奪われると学問の中心の座もマムルーク朝の都カイロに譲り、ただイラク地方の中心に過ぎない地方都市へと転落した。
アッバース朝滅亡後のバグダードはイルハン朝、ティムール朝の支配を受けたのち、オスマン朝とサファヴィー朝の争奪を経て17世紀にオスマン朝の支配下に入った。この間、政治的には全く周縁であったバグダードは衰退を続けたが、オスマン帝国支配下で次第に復興を遂げた。1921年にイギリスの委任統治下で成立したイラク王国の首都となり、1900年に14万人だった人口は1950年には50万人に増加した。2003年のイラク戦争ではアメリカ軍が空爆を行い、最終的には制圧したが、反米組織やテロ組織によるテロが増え、治安が悪化している。
[編集] 公共施設
[編集] 産業
伝統的にじゅうたんや絹織物を生産する。また石油化学工業なども盛ん。