大理国
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大理国(だいりこく、dàlǐguó)は、937年に白蛮(タイ系のペー族)出身の段思平が南詔にかわって樹立し、現在の雲南地方を主たる領域として統治していた国家。1254年、大理は元の世祖クビライに降伏、その地はクビライの庶子フゲチに与えられ、雲南王国(のち梁王国)となった。大理の旧王家の段一族は、フゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせるなど、この地における支配者集団の一員としての地位を保ち続けた。1390年に明朝が梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切り、明に取り入って大理国の復活を目論んだが、領内にあった東アジア有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を拒否、この地を中国に併合し、南詔以来の独立王国の歴史はここに終焉を迎えた。
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