マリンライナー (列車)
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マリンライナーは、西日本旅客鉄道(JR西日本)と四国旅客鉄道(JR四国)が岡山駅~高松駅間を宇野線・本四備讃線・予讃線(瀬戸大橋線)経由で共同で運行する快速列車の名称である。
列車の案内表記は、ゴシック体で「快速マリンライナー」(英語案内表記:Rapid Service Marine Liner)。 JR四国管内に乗り入れるためにJR西日本オリジナルの表記にしなかったと思われる。しかし、オレンジの「快速(Rapid Service)」幕で運転したこともあった。
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[編集] 運行概況
岡山駅~高松駅間71.8kmを52分~63分で運行する。運行主体は、岡山駅~児島駅間はJR西日本、児島駅~高松駅間はJR四国である。担当乗務員は、JR西日本区間が岡山運転区および岡山車掌区、JR四国区間が高松運転所および高松車掌区である。
瀬戸大橋を渡る際に自動車に比べて金額が大幅に安いため本州~四国間の移動に利用されてきたが、明石海峡大橋の開通や高松自動車道の完成などで高速バスが充実し、厳しい局面に立たされている。また、岡山駅~茶屋町駅間の朝夕ラッシュ時の混雑率は実質4両という編成の短さのため首都圏中電並みの200%超になり(特に妹尾駅までの区間)、単線区間も多いため慢性的な列車遅延が発生している。この大混雑は航空機や高速バスに客を奪われる一因ともなっている。
なお、台風など強風により瀬戸大橋を渡れなくなった場合は、宇野駅まで運転し宇野港~高松港間を船舶によって代行輸送を行うか、児島駅止まりで運転されることもある。
高松駅~坂出駅間で130km/h運転を行っており、特別料金を払わない列車での130km/h運転は関西地区の新快速などと並び日本最速となる。高松駅~坂出駅間は、早朝・深夜を除き途中の駅には止まらない。2006年度中に本四備讃線西日本管内の線路高速化改良、宇野線久々原~備中箕島間の複線化が完成する予定であったが、環境アセスメントを盛り込まず計画したミスが発見され、完成は2007年度以降になる模様。一連の工事の完成後は、130km/h運転区間が延長される予定。
[編集] 使用車両
1987年の「備讃ライナー」運行開始時からステンレス車体の213系が使われており、高松側の先頭車両は瀬戸大橋の眺望を望めるように展望グリーン車を連結していた。
運行開始当初は毎時1本という運行本数であり指定席がグリーン車のみで即日完売となるなど人気が集中したことから、瀬戸大橋線開業当日には「マリンライナー2号」の続行で2本の臨時列車(1本はキハ181系で茶屋町駅まで)が運転されたほか、翌日からもJR西日本の115系、117系、JR四国の111系等を使用した臨時快速が岡山駅~宇多津駅・坂出駅・高松駅間(一部は岡山駅~茶屋町駅・児島駅間の普通列車を延長運転)に運行された。これらの列車は全国版時刻表には当初は掲載されず、沿線で配布された修正時刻表にのみ記載される列車であった。その後も瀬戸大橋線の利用が好調であったことから、1988年7月より普通車の座席指定席を設けるとともに、JR西日本の117系100番台、115系3000番台等を使用した「臨時マリンライナー」や、167系、115系を使用した臨時快速が岡山駅~高松駅間に設定され、213系の増備による増発(1989年3月)までの間、毎日運転の臨時列車として運行された。「臨時マリンライナー」はその後も繁忙期に運転された時期があり、JR西日本の221系が使用されたこともあった。
ちなみに、「備讃ライナー」時代から全車禁煙となっていた。今でこそJRの快速・普通列車は全面禁煙が主流だが、当時としては思い切った施策であった。なお、普通列車が全面禁煙となったのはJR西日本が1993年(ただし岡山・広島地区では1992年)、JR四国が1994年である。ただし、JR四国管内の電車や1000形は使用当初から全車禁煙である。
しかし、運行から15年程度しか使用されていないものの塩害による車体へのダメージが酷いうえ、2扉のためラッシュ時の乗降に時間がかかっていたため、2003年10月1日にJR四国の5000系(M編成、5100形(Thswc)-5200形(T)-5000形(Mc))とJR西日本の223系5000番台(P編成、クハ223-5000形(Tc)-クモハ223-5000形(Mc))へ置き換えられた。使用車両が全てJR西日本所有であったのでJR四国は車両使用料を支払わなければいけなかったことも1つの要因とされている。
高松側の先頭車両は2階建展望車であり、2階はグリーン席、1階は指定席でどちらもリクライニングシートである。なお、高松側運転席後ろの平屋席4席もグリーン席となっており、指定の際も「マリンライナー(パノラマグリーン)」と別列車扱いとなっている(切符には「マリン・パノラマxx号」と書いてある)。高松側デッキはグリーン車のデッキとして扱われ、ここでの立席乗車はグリーン料金が発生する。岡山側の平屋席2席は車椅子対応の普通席となっており、その特殊性ゆえこの席はマルスでは原則として販売されない。
基本的にM編成+P編成の5両編成で運用されている。早朝、深夜の一部列車はP編成のみの2両編成やM編成のみの3両編成、また朝ラッシュ時の上りにはM編成1編成とP編成2編成による7両編成(3+2+2)での運用もある。また年末年始や大型連休と盆休等の多客期には終日7両編成での運用のほか、5101を中間に連結してM編成2編成とP編成1編成による8両編成(3+2+3)で運用されることもある。
また、213系時代には優先座席の設定がなかった。
変わったところでは、グリーンデッキのトイレは、男女兼用と男性専用の2種類がある。JR西日本区間ではグリーン席・指定席の客は1号車、自由席の客は4号車のトイレを利用するようにさせているが、JR四国ではそのようなことはしていない。
[編集] 停車駅
- 岡山駅 - (大元駅) - (備前西市駅) - (妹尾駅) - (早島駅) - 茶屋町駅 - (植松駅) - (木見駅) - (上の町駅) - 児島駅 - 坂出駅 - (鴨川駅) - (国分駅) - (端岡駅) - (鬼無駅) - 高松駅
- ()内の駅には一部の列車が停車。この書体は早朝・深夜のみの停車。
- 妹尾と早島は、昼間は千鳥停車し、ラッシュ時は両方に止まる。両方通過する列車はなく、どちらかに必ず停車する。
- ラッシュ時は、朝の上りは全区間、夕方・夜の下りは岡山~児島間で補助イス使用不可。
- 但し、備前西市駅の停車は上りのみで、下りの停車はない。
[編集] 四国連絡列車の沿革
元々宇高連絡船との連絡の関係で、宇野線には東京駅・大阪駅発着のものを中心に、多くの列車が運行されていた。
1972年3月の山陽新幹線岡山駅乗り入れにより、従来の東京駅・大阪駅からの昼行の連絡列車を廃止し、代わりに岡山駅~宇野駅間の快速列車を設定して新幹線などから宇高連絡船への連絡とした。当初は、153系など運行されなくなった急行列車用の車両が充当されたが、混雑緩和のため宮原電車区の113系に置き換えられ、更に京阪神地区での車両の所要増から1980年に岡山電車区の115系に置き換えられ、この時グリーン車が廃止された。さらに1987年3月より「備讃ライナー」の名称が与えられて213系が使用されるようになった。「備讃ライナー」は「マリンライナー」に投入する車両の先行使用の性格が強い列車であった。
「マリンライナー」が宇高連絡船の代替列車として運行されるようになったのは、1988年4月10日からである。
[編集] 宇野線開業
- 1910年6月12日、それまで、本州と四国の間は山陽鉄道(現在の山陽本線を敷設した私鉄。1906年12月1日に鉄道国有法に基いて国有化。)によって運行が開始された岡山~高松間航路によって連絡されていた。しかし岡山側では鉄道との連絡が不便だったため、この時岡山駅~宇野駅間の宇野線と宇野駅~高松駅間の宇高航路(宇高連絡船)が開業し、それに本州~四国間輸送を譲って岡山~高松間航路は廃止された。
[編集] 直通列車の運行開始
- 1930年10月1日、宇野線の列車は線内間を走るもののみといった状態が長く続いていたが、この時京都駅~宇野駅間に夜行普通列車が1往復、大阪駅~宇野駅間下り夜行・上り昼行の不定期快速列車が1往復設定された。夜行普通列車の方は二等寝台車も連結した。
- 1934年12月1日、京都駅発着の夜行普通列車が鳥羽駅(三重県・参宮線)発着となる。
- 1943年2月15日、閣議決定された「戦時陸運非常体制」に基くダイヤ改正が行われ、旅客列車が大幅削減。大阪駅~宇野駅間の不定期快速列車が廃止される。鳥羽駅直通列車も廃止。
[編集] 戦後の直通列車
- 1950年10月1日、東京駅~宇野駅間に夜行急行列車1往復が設定される。(岡山駅まで広島駅への「安芸」と併結。)東京発着の四国連絡列車が初登場した。また、大阪駅~宇野駅間にも夜行準急列車が設定された(広島駅行きと併結)が、こちらの方は宇高連絡船に客車の一部を積み込み、松山駅(愛媛県)・須崎駅(高知県)まで直通運転を行った。この準急列車は、「海を行く汽車」として話題になった。
- 1951年12月2日、東京駅~宇野駅間夜行急行列車に「せと」と命名。
- 1953年11月11日、大阪駅~宇野駅間の夜行準急列車が独立運行となる。
- 1955年5月11日、宇高連絡船で紫雲丸事故が発生。これにより、「客車内に居る乗客が、船が沈没する際に脱出することは困難である」とされたため、乗客の乗った客車の航送は中止される。
- 1956年11月19日、「せと」は「瀬戸」と表記を改め、独立運行となる。大阪駅~宇野駅間の夜行準急列車は普通列車に格下げ。その代替として、京都駅~宇野駅間に昼行の準急列車が設定される(広島駅行き準急列車と併結)。
- 1958年10月1日、京都駅~宇野駅間運行の準急列車、独立運行となる。
- 1959年9月22日、準急列車に「わしう」と命名。
- 1960年10月1日、「わしう」は「鷲羽」と漢字表記に変更。またこの時、山陽本線の倉敷駅までと宇野線の電化が完成したため、「鷲羽」は153系を使用して客車から電車化され、更に3往復に増発(京都駅・大阪駅~宇野駅)される。
- 1961年10月1日、「サン・ロク・トオ」と年月を取って後に呼ばれるようになるほど大規模なダイヤ改正が行われ、東京駅~宇野駅間に特急「富士」が1往復、その間合い運用で大阪駅~宇野駅間に特急「うずしお」が1往復設定される。初めて宇野線に特急列車が登場した。また山陰方面からの直通列車として、準急「しんじ」が宇野駅まで乗り入れるようになった。(宇野駅~出雲市駅~博多駅間運行)
- 1962年9月1日、準急「砂丘」(宇野駅~鳥取駅間運行)が設定され、岡山駅~宇野駅間で「しんじ」と併結して乗り入れるようになった。
- 1964年10月1日、東海道新幹線が開業し東海道本線の昼行特急列車を全廃することになったため、「富士」は廃止。元「富士」の東海道新幹線と重複しない区間(新大阪駅~宇野駅間)に関しては、「ゆうなぎ」の名前に変更されて存続した。また「瀬戸」の補助列車としとして、それと同区間に急行「さぬき」を設定。
- 1965年10月1日、宇野線の列車の大増発が行われ、「鷲羽」は夜行1往復も登場して下り7本・上り8本になる。また、宇野駅~出雲市駅間に準急「たまつくり」を設定。
- 1966年3月5日、走行距離100km以上の準急列車は急行列車に格上げられることとなったため、「鷲羽」・「砂丘」・「しんじ」は急行列車となった。
- 1968年10月1日、「サン・ロク・トオ」同様、年月を取って「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる事になる大規模なダイヤ改正がこの時行われた。宇野線では、「うずしお」が「ゆうなぎ」統合と同時に1往復増発されて3往復、「瀬戸」が「さぬき」を統合して2往復、「しんじ」も「たまつくり」を統合して2往復、「鷲羽」は定期9往復・不定期2往復の11往復となった。
[編集] 新幹線岡山開業後
- 1972年3月15日、山陽新幹線の新大阪駅~岡山駅間が開業し、同区間における輸送は多くが新幹線に振り返られることとなったため、「うずしお」は全廃、「鷲羽」も夜行1往復残して廃止となる。「砂丘」・「しんじ」の宇野駅乗り入れも廃止。それらの列車の代替として、岡山駅~宇野駅間にほぼ1時間間隔で快速列車が運行を開始した(途中茶屋町駅のみ停車。)。快速列車は「鷲羽」で使っていた153系を流用し、グリーン車も連結した。「瀬戸」は1往復になった代わりに特急へ格上げられた。その後混雑を緩和するために快速列車は宮原電車区の113系に置き換えられ、なお、153系は現行の「サンライナー」に相当する山陽本線岡山駅~三原駅間の快速列車にグリーン車も営業して使用された。
- 1980年2月13日、京阪神地区の増発に宮原電車区の113系を捻出する必要が生じたことと、国鉄の度重なる料金・運賃の値上げから利用が減少した事により、快速列車のグリーン車を夜行急行「鷲羽」の間合い運用であった1往復を除いて廃止、車両も岡山電車区の115系に置き換えられた。
- 1980年10月1日、宇野駅発着が深夜であり、そのためもあってか利用客が少なくなっていた夜行急行「鷲羽」を廃止。これにより、快速列車のグリーン車も全廃された。
- 1987年3月23日、翌年の瀬戸大橋の完成を前にして、快速列車に115系に代わって213系が使用されるようになり、「備讃ライナー」と命名された。同列車には指定席も設けられた。
[編集] 本四備讃線(瀬戸大橋線)開業後
- 1988年4月10日、瀬戸大橋の完成に伴って本四備讃線(茶屋町駅~宇多津駅間)も開通し、先月に開業していた青函トンネルとあわせ、日本四島は線路で結ばれる事になった(一本列島というキャッチコピーも生まれた)。なお、本四備讃線と宇野線の岡山駅~茶屋町駅間、予讃線の宇多津駅~高松駅間をあわせて、岡山駅~高松駅間には「瀬戸大橋線」という愛称が付けられた。これにより、「備讃ライナー」と宇高連絡船の普通便と急行便(ホーバー便)は廃止され、代わりに岡山駅~高松駅間に快速「マリンライナー」が設定された。車両は213系を引き続いて使用したが、新造された展望車のグリーン車が設けられ、1980年以来8年ぶりに四国連絡列車のグリーン車が復活した。7月には普通車指定席も設けられた。「マリンライナー」は宇多津通過線という短絡線を通るため、宇多津駅は通過扱いとなった。その他にも「瀬戸」が高松駅発着になったり、岡山駅に四国からの特急「しおかぜ」・「うずしお」・「南風」が乗り入れるなどといった動きがあった。ちなみに、宇高連絡船の急行便(高速艇便)が瀬戸大橋線開業後も1990年3月まで存続していた。
- 1998年7月10日、「瀬戸」が285系を使用し電車化。列車名も「サンライズ瀬戸」となる。
- 2003年10月1日、「マリンライナー」の利用率が下がっていることと、使用車両が陳腐化してきたことから、同列車の使用車両を5000系・223系5000番台に置き換える。
[編集] 関連項目
- 岡山市
- 倉敷市
- 坂出市
- 高松市
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 四国旅客鉄道(JR四国)
- 1972年3月15日国鉄ダイヤ改正
- 一本列島(1988年4月10日JRダイヤ改正)
- 東海道本線優等列車沿革
- 山陽本線優等列車沿革
- 瀬戸 (列車)
- 日本の列車愛称一覧