WEEKEND Hi!
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WEEKEND Hi!(ウィークエンド・ハイ!)は、関東圏のラジオ局・FM-FUJIで放送されたラジオ番組である。同社東京スタジオ(St.ViViD)から生放送であった。
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[編集] 概要
[編集] 放送概要
[編集] 概説
1992年4月4日、甲府市のFM富士本社スタジオから生放送開始。この年から代々木の東京支社に「STUDIO ViViD」が新設されたのに伴い、5月30日放送分から新スタジオに移り、そこから放送。以後、7年にわたって続く人気番組となる。ただ曲をかけ葉書やFAXを読むだけではなく、リスナーが電話出演をしたり、リスナー同士で意見交換をしあったりなど、他のラジオ番組とは一線を画した、リスナーとの連帯感が取れるコミュニケーションツール的な番組でもあった。大体のリスナーは、毎回、放送中にFAXを送れば大森に読んで貰えた。まさしく、リスナー主導による番組でもある。
東京のスタジオからの放送だが、FM富士らしく「山が富士ならFM富士」などといった、FM富士お膝元の山梨県を愛する郷土色豊かなコーナーも多彩。リスナー有志が手作りで番組オフ会「リスナーの集い」を開催したりなども話題となり、まさにリスナー同士の絆の深さを示した番組である。
インターネットや携帯電話などコミュニケーションが多様になってきた今と違い、FAXや手紙などを大いに活用するなど、ラジオの特性を十分に生かしていたところもこの番組の特色でもある。
番組後期の1996年10月5日より番組構成が大幅に変更され、これまであった『山が富士ならFM富士』などのコーナーに代わり、「何でも相談!今夜教えてYO!」などのコーナーを軸に、「いい富士見つけたFM富士」などのコーナーを新設。オープニング、エンディングの音楽なども一新された。その頃から新聞や雑誌の記事の切り抜きを紹介するコーナーも登場。また、1997年秋ごろにはクイズ、1998年には相性占いといったコーナーも登場するなど、いろいろな企画も生み出された。
さらに1998年4月5日より1年間、新人アイドルの上良早紀(当時15歳)がアシスタントとして登場(22:15ごろ-番組終了)して、番組に華を添えた。これは「THE GOLDEN EGGスターへの道」と題したコーナーの一環で、アイドルの金の卵の育成を目的とし、その第1期生としての登場だったのだが、当初の「第1期生」のはずが予定より延長し、1年間の出演ということになった。このようなアイドル起用は翌年より同枠を引き継ぐ後番組への布石だったといえよう。
[編集] タイトルコール
番組オープニングで大森が発するタイトルコールは『土曜の夜はぁ、ウィークエンドゥハァイ!…ウィークエンドゥハァイ!(エコー)』である。
[編集] 主なコーナー
- 山が富士ならFM富士
- TREND TRACKING
- MEMORIES
- GA-GA-GU-GU!
- カルト富士大会
- 何じゃこりゃタウン
- いい富士見つけた!FM富士
- 何でも相談!今夜教えてYO!
- TREND JUST NOW
- 週刊旅情報~TRAVELINGMANが行く!
- 元気が出るクイズ
- THE GOLDEN EGGスターへの道(出演:上良早紀)
- 開運相性占い
- 切り抜きこれが知りたい! …etc
[編集] 番組の終焉とその後
多くのリスナーに愛されたWEEKEND Hi!だったが、ついに番組も終焉を迎えた。
前述のように、1998年、当時新人の上良早紀がアシスタントとして登場し人気を博すも、登場が夜10時過ぎと遅く、また当時15歳([1])だった上良を、夜9時からの生番組であったにもかかわらず生出演させていたことが、労働基準法の「18歳未満の者の夜9時以降の就業を禁止」に違反したことが災いしたともみられる。
また、同年の11月7日より5分ミニ番組(タイトル失念)が編成され、WEEKEND Hi!の放送時間が番組末尾の5分を削られてしまった。
一方で、古くからのリスナーの中には、週末であるにもかかわらず仕事等の関係で番組を聴けない人が増え、リスナー有志で行う『リスナーの集い』に参加できない人も多くなり、ますます距離を感じるようになっていった。だがそれでも、リスナー同士の絆は健在だった。
さらに、インターネットや携帯電話の普及などコミュニケーションツールの細分化、多様化が進み、またラジオ界においてもアニラジ(アニメ関連のラジオ番組で、声優等が出演)の台頭などによって、状況も大きく様変わりしていた。
このWEEKEND Hi!も企画のマンネリ化や、毎回同じリスナーの占有が増える一方で、衰退の一途をたどるようになっていく。
そしてついに、終焉の日は来た。1999年春、エフエム富士は、大森庸雄との番組出演契約の打ち切りを通告した。事実上の番組終了決定である。
そして1999年3月27日の最終回、STUDIO ViViD前に多くのリスナーが番組終了を惜しむべく集まった。
上良早紀の『1年間ありがとうございました、私もWEEKEND Hi!を忘れません』の挨拶の後、夜11時53分、番組は7年間にわたる歴史に幕を下ろした。
そして、翌週4月2日より同枠の後番組として「JUNGLE PARADISE」が放送開始。お笑い芸人をDJに起用し、女性アイドルやJ-POPシーンを賑すアーティストがゲストで登場して人気を博す。その後、FM-FUJI土曜夜9時は2005年4月スタートの『SATURDAY GLASS SHOW』まで、バラエティー路線を行くことになる。
2006年4月1日からは18:00~の「SATURDAY STORM」の拡大以外はワイド枠が廃止となり、22:00「J-FREAK」22:30「B.B.L」(美勇伝)23:00「HONEY BUNNY」(北出菜奈)と、多彩な番組編成となったが、22:00以降の3番組はすべて9月30日で終了となる。
[編集] 備考
- 1996年9月7日放送分は21:00から特別番組のため22:15からの放送予定になっていたが、その特別番組が予定より早く終了したため実際は21:40放送開始になった。
- 女優の川島なお美や、酒井法子がゲスト出演したことがある。
- 上良早紀の事務所仲間のアイドル大谷允保(当時:大谷みつほ)が友情出演したこともある(本番組終了後、2人ともJUNGLE PARADISEにゲスト出演した)。
- 1998年7月4日、7月11日はSTUDIO ViViDのメンテナンス工事の為、虎ノ門の別スタジオからの放送だった。
[編集] その他
- ↑ 上良早紀は9月18日が誕生日のため、9月19日放送分から最終回までは16歳。
[編集] 関連項目
- SUPER FREAK SUNDAY-チーフディレクターの松浦敏昭が同時期に兼任。
- SUNSHINE BREEZE-1996年9月21日、大森庸雄が宅麻仁のピンチヒッターを担当した。
FM-FUJI 土曜21時 | ||
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