Wけんじ
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Wけんじ(だぶるけんじ 1961年(昭和36年)4月 - 1999年(平成11年)1月7日)は、東けんじ、宮城けんじによる日本の漫才コンビ。通称「ダブケン」。
1960年代を中心に活躍。テンポの速いしゃべりに、レンズの入っていないロイド眼鏡を掛けたとぼけた味わいの東のボケと宮城のキレのあるツッコミで人気を博し、東京を代表する漫才師となった。しゃべりを止めない東を宮城が叩くとワンテンポ遅れて東が「いてーなー」と言い、それに宮城が「遅いよ〜」とツッコミを入れる定番ギャグの他、「やんなっ!」「バカだなぁ〜」「なっ。オー!」などの流行ギャグを生み出し一世を風靡する。全盛期にはヘリコプターで移動して舞台を掛け持ちするほどの人気ぶりであった。
得意の演目は「愛染かつら」「ど忘れ物語」「調子いい物語」などで、特に「愛染かつら」は十八番ネタ。医師の津村浩三役を宮城が、看護婦の高石かつ枝役を東が演じ、映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」に合わせた東の当て振りがウケた。特に東が得意とする、立ち位置から動かないでその場にいながら走ってるように見えるパントマイムを披露する場面は大ウケであった。
共に師匠を持たない当時としては非常に珍しいコンビであった。東は大の酒好き、宮城は大の博打好きで、舞台を降りると東は飲み屋へ、宮城は雀荘へと向かった。
浅草松竹演芸場には漫才協団幹部として定席にも出演。また、東京演芸人の最高峰とされた日比谷・東宝演芸場の東宝名人会にも多数出演した。その反面、落語家の団体には所属していなかったため、寄席には殆ど出演しなかった。
コンビ結成40周年を目前にして東が死去したことによりコンビ解消。
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[編集] 来歴
東けんじは中学卒業後に地元の東野鉄道に就職。元来の芸事好きが高じて駅員仲間を集めて素人劇団を結成したが、それを駅長にとがめられた事に腹を立て辞表を提出。サーカス団に入り「ヘンリー東」を名乗り、生まれつきの身体の柔らかさを生かしたパントマイムやアクロバット、または花形ピエロとしても活躍した。その後、地方回りのレビュー団を経て1955年(昭和30年)に玉川良一と漫才コンビ「Wコント」を結成。大阪に拠点を移し、千日前の大阪劇場やなんば花月等で活動。1956年(昭和31年)に三波伸介を加え「おとぼけガイズ」となった。三波が抜け再び「Wコント」に戻るも一年も経ずに解散し東京に戻る。所属する一映プロダクションの夏野偵三代表からの勧めで宮城を誘って1961年(昭和36年)4月に「Wけんじ」を結成。
宮城けんじは3才の時に養子に入った巣鴨の家の隣が大都映画の撮影所であったことから、遊び場として出入りしているうちに7歳で子役としてデビュー。 大都映画の専属俳優から軽演劇界、新宿ムーランルージュを経て、歌手の春日八郎の専属司会を約10年勤める。「春日八郎ショー」で全国を回っていたある日、東から楽屋に電話があり、コンビ結成の誘いを受ける。東の死後はマセキ芸能社に移籍。ピンの漫談家として講演会を中心に活動。司会や漫談で活躍した。
[編集] メンバー
[編集] 失踪事件
人気絶頂の1966年(昭和41年)6月13日、東が突如失踪し、大阪・朝日放送テレビの収録に穴を開け大問題となる。翌日、地元・栃木県の実妹宅にいるところをマネージャーに突きとめられ、15日には東京へ戻り所属事務所社長と宮城同席のもと釈明の記者会見を開いた。前夜の酒がもとで寝坊をして大阪行きの新幹線の時間に間に合わず、元来の内向的で小心者であった東は頭が混乱。「もうお終いだ」と思いこみ田舎に逃げたのが事の顛末であった。
[編集] 「やんなっ!」由来の諸説
- 浅草の松竹演芸場で舞台出演中、宮城がツッコミで顎に張り手を当てるはずが、汗っかきであった東の汗で手が滑って喉に当たってしまった。その時に偶然、東が痛かったので「やんなっ!」と言ったのがウケたのでギャグとなった。
- 結成当初、漫才を終えて舞台を降りる際、ちっともしゃべらない東に腹を立てた宮城が叩いた時に、東がアドリブで「やんなっ!」と絶叫。これがウケたためギャグとなった。
- 結成当初、東の奔放なアドリブに宮城も客もついて行けないためコンビは行き詰まる。解散を決意した宮城が舞台上にも拘わらずキレて本気で東を叩いたところ、逆ギレした東が「やんなっ!」と怒鳴った。これが大ウケしたのでギャグとなった。
[編集] 弟子
Wモアモア(東城けん・東城しん)、東京二たかしの東京二、甘味けんじ、Wエースの谷エース、Wチャンス(青木チャンス・斎藤チャンス)などがいる。また、人気ラーメン店「なんでんかんでん」の川原ひろし社長はラーメン店を経営する前はWけんじに師事し、前座歌手をしていた。
[編集] 主な出演歴
[編集] テレビ
- 「大正テレビ寄席」(NET)
- 「ポリドール歌の遊覧船」番組司会 1965年(昭和40年)
- 「今週の花嫁花むこ」(大阪朝日放送)番組司会 1965年(昭和40年)
- 「初詣!爆笑ヒットパレード」(フジテレビ)
- 「水戸黄門」(TBS)1966年(昭和41年)
- 「花王名人劇場 Wけんじリサイタル」(フジテレビ)1985年(昭和60年)
[編集] ラジオ
- 「全国ファン歌謡ナイター」(TBSラジオ)
- 「サントリーキャラバン隊」(文化放送)1966年(昭和41年)
- 「らんまんラジオ寄席 Wけんじ特集」(TBSラジオ)2005年(平成17年)10月30日 宮城けんじ追悼記念として放送。
演目 「鈍感物語」1965年(昭和40年)収録/「ど忘れ物語」1979年(昭和54年)収録/「温泉問答」1995年(平成7年)収録
[編集] 映画
- 「われらの友情」(松竹)1966年(昭和41年)
- 「あなたの命」(日活)1966年(昭和41年)
- 「落語野郎 大馬鹿時代」(東宝)1966年(昭和41年)
- 「落語野郎 大脱線」(東宝)1966年(昭和41年)
- 「新・事件記者 殺意の丘 」(東宝)1966年(昭和41年)
- 「喜劇 急行列車」(東映)1967年(昭和42年)
- 「喜劇 団体列車」(東映)1967年(昭和42年)
- 「落語野郎 大爆笑」(東宝)1967年(昭和42年)
- 「落語野郎 大泥棒」(東宝)1967年(昭和42年)
[編集] 舞台
- 「新春Wけんじとその一味」(大手町サンケイホール)1965年(昭和40年)〜
- 「三波春雄ショー」(歌舞伎座)1966年(昭和41年)
- 「モルガンお雪」(帝国劇場)1977年(昭和52年)
- 「アメリカ寄席」(アメリカ)1978年(昭和53年)
- 「Wけんじ一門会」(浅草松竹演芸場)1979年(昭和54年)
- 「Wけんじ漫才20周年記念特別公演」(東京・大阪・横浜・札幌・福岡・名古屋)1980年(昭和55年)
[編集] 吹替
[編集] 受賞歴
1963年(昭和37年):第11回 NHK漫才コンクール優勝
[編集] レコード
A面「ダブ子ちゃん」/B面「おしかった」(作詞:丹古晴己/作曲:大本恭敬/編曲:小野崎孝輔)東芝レコード
[編集] 備考
大阪の漫才師・Wヤングとは一切関係がない。